32323 返信 Re:こりゃ、だめだ・・・・・ URL 水原文人@パラノイア 2005/01/22 04:30
tpknさま、亀レスです(汗)

NHK騒動みたいに政治家が直接動いてくれるみたいなハデなこともなく、まだ撮影半ばなんでオクラにされるのでもなく、改変要求すらない以前の話ですらなく、突然契約解除とか手を引かれてしまうのですらなく、期日未定の「放映延期」という困った状況(いわば真綿で首をしめる、ってヤツ)になってしまってドタバタしておりました。

ふう。こりゃ日本のテレビ局では当分どこも引き受けてくれんやろなぁ。自主か、海外資本か・・・

> VAWW-NETがNHKに対して起こした訴訟の陳述書
> http://www1.jca.apc.org/vaww-net-japan/nhk/nishino.html
>
> などを読む限り、この提訴自体が放送局の自由を侵害する「圧力」でしかないと思えるのですが。

まあ裁判に訴えるためには、極端な主張にするしかないのでしょう。この裁判からして本当にドキュメンタリー・ジャパンを訴えるというよりは、NHKのことを社会全般に訴えるための手段という色彩の濃いものですからね。敗訴したDJは複雑な思いでしょうが…。

NHKもたぶんそうだと思いますが、海外相手ならともかく国内の下請け相手の場合、だいたい契約自体が完パケ納品後、下手すりゃ放映後というのが、地上波・CSを問わず日本のテレビの常識です。そういう実情をある程度知っていると、こう言っては悪いけど「因果関係」とか「放送免許」とか、NHKの予算は国会の承認を必要とすることを挙げていることすら、別世界、というか世間知らずという印象は感じます。

というか、NHKで編成局長レベルが直接、表に出る形で動いたり、安倍と中川が直接動いたこと自体、たいしたことだ、と思います。契約書ですら形式でしかない口約束ワールドに証拠だテープだと言うこと自体が、なんだか凄い。

口約束ワールドですから、編成部長や局長レベルまで一応話が通ってないと予算が決まって制作会社が動くなんてことはあり得ないにも関わらず、イザというときには現場のプロデューサーが勝手にやったことになって、いわばとかげの尻尾きりでおしまいにもできるのがこの世界です。そうやって下請けに損害が出る場合には、他のところで補填される、とか。

でもこういうことって、別にテレビとか映画、あるいはマスコミの世界に限った話ではないはずですよね?

> おっちゃんが#32188で指摘していますが、VAWW-NETが言っていることは、端的にいって「取材に全面協力したのに、私たちの期待する番組にはなっていなかった」というものであり、これは基本的には通らない主張なのですね。これ、ジャニーズ事務所が「タレントのスキャンダルを報じるなら今後そちらの局には出演させない」と言うようなのと同じなんですけど…。

ちょっと違うのは、基本的にドキュメンタリーでは出演者にギャラを払ったりしないことなんです。おっちゃんんが「約束」を指摘したのもある意味「現場を知らんなぁ」って感じでして。

一方ジャニーズは契約結んでギャラ払って、の世界ですからね。ちょっと次元が違います。

> inti-solさんは「VAWW-NETは民間団体なので、気に入らない番組に取材協力する義務などない」みたいなことを書いていたけども、

まあこれは暴言、というか倒錯。NHKであの裁判が詳細に取り上げられるのは、明らかにVAWW-NETにとってもメリットのあることです。裁判というのはこと今日の社会では多分に演劇性を伴ったパフォーマンスの場になるわけですが、こと民衆裁判は実際に刑罰を行使する権限があるわけでなし、世間に知られなければ意味がないわけですから。

その意味でドキュメンタリーの作り手と対象の関係というのは、金銭的な次元を超えた持ちつ持たれつの部分が、こと社会問題的なことを取り上げるドキュメンタリーの場合はあります。一方で対象の側も世間に自分たちの姿をさらすことで生じるリスクがあるわけですし。

一応“師匠”(といったら怒られるけど)の土本典昭は、最初に水俣を撮った日本テレビのドキュメンタリー劇場『水俣の子は生きている』で、たまたま画面内に入ってしまった胎児性患者の母親に「あんたららいくら撮ったってこの子の病気はいっこうによくならん!」と罵倒されたことに深く悩んだそうです。その3年後に『水俣 患者さんとその世界』として完成する映画の企画を持ち込まれたとき、最初は逃げ回ったとか。

まあ地方の小さな共同体、それも加害企業であるチッソなしには経済が成り立たなかった地域で差別偏見に晒された「犠牲者」の立場であった患者さんたちと、VAWW-NETではぜんぜん立場が違うわけですが。

> 逆に言えばNHKは、取材に協力してもらったからといって、協力者の意に添う番組を作る義務などないわけです。取材協力というのは、そういう結果を担保するものではない。もしそんなことが通れば、何かを批判するにあたって当事者の意見を聞くなんてことは不可能になってしまいます。

VAWW-NETの場合はパブリックな行為としてあの裁判をやっているのだし、「「法廷」には世界30カ国以上から約400名が参加し、3日間の審理には日本からの参加者を含めて連日およそ1000名が傍聴し、最終日の判決概要言い渡しにはおよそ1300名が傍聴しました。 また、「法廷」は143社305名のメディア関係者が取材し、このうち海外メディアは95社200名、日本メディアは100名を越えました」と自ら宣言しているのですから、ドキュメンタリー・ジャパンを訴えることそれ自体は、やはり筋違いでしょう。

> 水テソさんはどう思いますか? ドキュメンタリー・ジャパン及びNHKの権利を侵害しているのは、まず第一に取材対象者では?
>
> ↑これは、#32163の下記↓の部分に対するレスです。
>
> > 当然ながら取材を受けることも拒否することも彼らの自由なのですが、彼らの主張だけにのっとった番組作りを要求したりするのなら、それはドキュメンタリーではなく、プロパガンダです。
>
> 事態が錯綜しているのでしばらく黙ってましたが、なんとなくこれはVAWW-NETがいちばん問題なのではないかという気がしてきた。

…というかですね、もっとデリケートで複雑な話だと考えます。当然のことながら、作品が完成するまでは基本的にラフカットなどは取材対象にも見せませんし、こちらがどう構成するかの内容にも口出しはさせないというのが、ドキュメンタリー作りの原則です。しかしそれは決して相手の立場を慮らないということではないのです。

たとえば、どうしてもその人の社会的な立場が悪くなるであろうこと(そう言ったのがバレたら訴訟沙汰になるかも、とか)が入ってる可能性があるときには、原則を曲げることもあります。そこまで責任をとれるのか、といえば、しょせん映像には社会を直接的に変える力はありませんから(ちなみに、それはむしろいいことだと思いますが)黙るしかありません。

たいていの場合、そもそもそういう問題になるものが写りうる場所にキャメラを持って行くことは、こっちから遠慮するのが対象との信頼関係を維持するためには必要でしょうし、また信頼されていれば向こうから「ちょっとここは」とか言って来るでしょうね。

結局、信頼関係の問題だと思います。元来パブリックでないものを撮ることでパブリックにする場合は(DJは密着取材だったのですから、これに当てはまります)、この取材者なら自分たちの行動や発言を故意にねじまげたり恣意的な引用をしたりしないだろう、と対象に思って頂くことが基本だ、としか言えません。一方でこの人の作品なら出てもいい、と思われる必要もあります。

この場合は元々、DJの方から提案した色彩がかなり強い企画のようですが、それだけに直接の取材者であったDJが結果として完成作品にまるで責任を持てない(言うまでもなく、法的な責任としての著作権保有者であるNHKではなく、もっと人間的な信頼関係における責任の問題です)かっこうになったことが、取材者と対象という関係性でいえば本当の問題なのだろうと考えます。それを解決するのに、裁判という形式や法的な名目だけに寄ることを余儀なくされるチャンネルしかなかったのは、残念なことですし、一方で今の日本社会が抱えている「タテマエとホンネ」をめぐる歪みの典型例であるとも言えます。

で、たとえば僕がVAWW-NETと接触があってこの裁判のドキュメンタリーを撮ることになっていたとしたら(当時はまだ僕は批評しかやってませんでしたから、あくまで仮定の話ですが)、別に秦郁彦なんて引っ張り出さないでも、VAWW-NETや裁判そのものに対して批判的な内容に構成することはたぶんできるでしょうし、「公平」な番組にすることなんてたぶん余裕ですし(というのは、tpkn殿は僕の第1作の“イスラエル映画”を見てるから解るだろうけど)、彼らのプロパガンダしか撮れないのだったら最初からやりませんし…。それは別に両論併記みたいなことをやらなくても、出来ることです。なのに「バランスをとるため」に“反対派”秦郁彦を引っ張り出してみたりというのはただの逃げですし、日本軍の加害に関わる証言をカットしたりってのは、そのこと自体がいわば自己検閲である以上に、表現として自殺行為でしょうね。それこそが作品の構成のなかでもっとも核になる映像のはずなのだから。

なんだか中川・安倍もここに書き込んでる彼らを支持するみなさんも、肝心の慰安婦の証言やクマさんがリンク貼ってた加害側兵士の証言だとかをカットしたことよりも「天皇有罪」ばかり気にしてますが、「天皇有罪」なんて別に映像を使わないでも表現できることです。文字読めば解ることですから画にする必要がない。裁判は裁判でひとつの社会的な表現行為なら、ドキュメンタリーには映像としての表現性があるべきで、そのコアになるのはやはり慰安婦本人の証言や加害側の日本兵の告白でしょう。

もしこの裁判がでっちあげで彼らの証言が嘘であるのなら、まともなキャメラマンと演出家であればそれが嘘であるようにしか撮れませんよ。もし慰安婦問題が安倍・中川両氏が属してたという「若手議員の会」の主張するように自虐的な捏造であるのだとしたら、それは見る人が見ればはっきり嘘だと解る画面になります。放映時間内の発言の分数のバランスは云々みたいな改変の仕方は、そりゃテレビのなんたるかを知らないしその力を信じてもいない連中がNHKの幹部をやっているということでしょう…

って、それは我々の意図からすれば「偏向」になんてなりようがないし政治的には極めてバランスのとれた、というかバランス以前の問題にしかなりようがない企画を、それでもびびって「放映延期」にした局の方々も同じなんですけどね。たぶんテーマ自体が怖かっただけなのでしょうが。なにしろNHKのこともあるし、何を言われるか解らない。深夜枠のドキュメタリーで、ニュースへの政治家の出演を拒否されるだけでも、局としては痛手ですし(まあ、そういう姑息なことをやる自民党ってのも困ったものですが。その点ではVAWW-NETもにたようなもの)。

テレビっていうのはずいぶん虐待されたメディアである。しかもそれをやっている当の本人たちによって虐待されている。

それにしても一昨日の朝日だっけ、「ミスターX」カミングアウト記者会見の記事のすぐ横に、現職の放送総局長が、予算決定権が国会にあるのだし、政治家に内容を説明するのは当然だと、同じ記者会見のなかで発言したことをちゃんと見出し付きの記事にしていたのは、笑った。

(引用:asahi.comより)

政治家への番組事前説明「当然」と総局長 番組改変問題





 NHKの番組改変をめぐる問題で、NHKの宮下宣裕理事は19日の記者会見の中で、放送前に安倍晋三衆院議員に番組内容を説明した理由について、「『日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会』の幹部だったため」と明らかにした。

 安倍氏と中川昭一衆院議員の2人に番組内容を説明した理由については、「両氏が『若手議員の会』の幹部であり、会の中でこの番組について議論があることを(国会担当局長が)知っていたため」と話した。

 また、関根昭義放送総局長は、番組内容を政治家に事前説明することについて、「放送法上、NHK予算は国会の承認を得なくてはならず、議員に事業計画や個別の番組について正確に理解してもらう必要がある」と話し、「当然」の対応との認識を示した。

http://www.asahi.com/national/update/0119/043.html

(引用終了)

「会ったのは放映の後だった」という嘘だとか、「因果関係」とかを主張して必死になってる安倍・中川支持派のご意見とか、捏造・歪曲されたと主張した「ミスターX」の会見だとかがすべてご破産になる発言であることに気づかないんだろうか? これを言ってしまえば「圧力とは感じた」と言ったかどうかも問題でなくなるのだが。だって「圧力」になることを自ら「当然」と開き直っちゃってるんだから・・・