32393 返信 「戦後ドイツにおける報道と国家」3 URL 梶村太一郎 2005/01/24 03:57
(ようやく本論の核心に入って来ました。みなさん、味気ない文体ですが我慢して
読んでください。なを掲載後に、これがもともと誰のために書かれたものかを、
明らかにするつもりです。筆者)


1−3)放送の歴史

ドイツのラジオ放送はワイマール時代の一九二三年に民間有限会社の放送として始まった。電波主権は国家にあるため郵政省に放送の認可権があったが、どの政党にも組しないことを条件に営業免許が与えられた。技術的な面は郵政省が管轄権をもっていたが、その他の政治的管理は各放送会社内に各州の代表を多数とする監督委員会が設けられた。しかしながら一九三二年にはこの民間放送局は国営放送に統合され、民間放送時代は終わりを告げた。

 翌年に政権を奪取したナチ党が、このラジオ放送を最も強力な政治宣伝手段としたことは、1章で述べたとおりである。このワイマール時代の十年の短い歴史はしかしながら、戦後のドイツの電波放送の性格と構造がその遺産の多くを受け継いでいることから、念頭におく必要がある。またこれらは戦後(西)ドイツの放送の発展史が、他の日本をふくむ西側諸国とも大きく異なる基本的性格をもつことになる前史として押さえる必要がある。

 新聞が敗戦後のかなり早い時期から、連合国占領軍の管理下で息を吹き返したように発行され始めたのとは違い、戦災をのがれた放送局は占領軍に没収され、ドイツの放送は禁止された。各地域でドイツ人向けそれぞれの占領軍による放送が行われ、英米仏の各占領地域で、四七年から四八年にかけて各州の放送局が設立されたものの、ドイツ側への主権返還は一九四九年の憲法施行後も完全にはなされなかった。ようやく一九五五年の五月のドイツのNATO加盟条約によって完全な国家主権が回復され、それまでは戦勝諸国は放送に関する干渉権を保持しつづけた。ナチスの電波放送の悪用がいかなる警戒心を連合国側に与えたかの一例である。


1−4)憲法と放送

 前述のようにワイマール時代以来、電波放送・Rundfunkはドイツの慣習法によれば、国家が先導する公共的な課題である。
ところが、憲法は第73条の連邦の専属的立法権のカタログのなかに「7.郵便および電気通信制度・ Post- und Fernmeldwesen」を入れているものの、放送については憲法には明確な規定が無いところから、憲法30条に基づき州の権限であるとされている。郵便と電話に関しては明確に連邦の権限であるが放送に関しては州に属する。ただし、第73条の「1.外交事務ならびに民間人の保護を含む防衛」に基づき、国外向け短波放送のドイッチェ・ヴェレ・Deutsche Welleと東ドイツ向けの中波放送・ドイツ放送・Deutschelandfunkは、例外として連邦の権限とされケルン市に両放送局が設立された。ドイツ統一後、後者の対象であった聴取者が同国人となったため、同放送は州の権限に移された。

また戦後設立された各州の放送局も州の公共放送であり法的には公法・Oefentliches Rechtに基づくものである。一九五〇年に占領軍の監督下、連邦の影響力外で各州の放送局の連合体が設立された。目的は共同の「ドイツ第一テレビ放送」を創設するためである。これがARD・Arbeitsgemeinschaft der Oefentlich-rechtrichen Rundfunkanstalten der Bundesrepublik Deutschland・ドイツ連邦共和国公共ラジオ放送局連合体である。
なを、私法・Privatrechtに基づく民間放送はようやく一九八〇年代に長くかかって実現したが、法的には公法の制約を受けている。

連邦憲法裁判所は一九九四年までに五度にわたり「放送判決」の憲法判断を下しており、テレビの放送技術の急速な発展により、またそれに伴う民間放送の参入もあり、これまでに十五件の関連した憲法判断がある。放送を巡る社会的論議がいかに複雑で、かつ現在進行の問題であるかがわかる。そのなかで最初の憲法判断がなされたのが、いわゆる「テレビ判決・Fernsehurteilの1」である。

1−5)「テレビ判決」

一九六〇年連邦政府は連邦政府閣僚を代表とする有限会社「ドイツ第2テレビ放送」の設立を計画し、資本金2万3000ドイツマルクの内、1万2000を連邦が出資するとし、残りの1万1000の出資を各州に求めた。これに対しハンブルクなど四つの州が権限侵害であるとして違憲訴訟を連邦憲法裁判所に起こした。

一九六一年二月二八日に連邦憲法裁判所(最高裁判所)で下された判決は「放送のマグナカルタ」と呼ばれる歴史的なものとなった。これによってワイマール時代以来の中央政府と地方政府の放送を巡る権限の分割の問題について最終的な判断が下されたからである。

連邦憲法裁判所は憲法第73条(前述)および第83条「連邦の固有行政の対象」を解釈して、「郵便と電気通信制度には放送の技術的分野だけが含まれ、全体としての放送は含まれない。」とし、その他の放送に関するすべての業務、特に「憲法第5条が要求する放送の自由を保証する立法による規格化は・・・憲法第30条(前述)の原則により各州の立法権限に属する。なぜならば、放送業務はひとつの文化現象であるからである。」と判断した。連邦によるテレビ放送局設立行為は州のこの権限を侵すもので違憲であるとされた。まとめると、連邦の権限は放送技術の分野だけに限られ、州はその他すべての業務組織と放送内容に権限をもつということである。

1−6)戒律としての「放送の国家からの自由」

 この最初の「テレビ判決」以来、憲法裁判所は以降の判決でも、「放送の自由とはまずは国家からの自由である」という判断を示し、下級裁判所もこの憲法判断を引用することが一般的になった。「放送の国家からの自由・Staatsfreiheit」はいわば戒律・Gebotとして定着しているといえる。

憲法判断でも最低限の連邦からの監督官を各公共放送局の監督評議会に送れるとされてはいるが、彼が放送プログラムの企画と内容に干渉することは一切許されない。公共放送の監督評議会のあり方については、多様な意見があり多くの論議が続いている。

第二番目の「テレビ判決」では、「公共放送局はそれ自体が直接基本権により保護されている生活圏に組み込まれている限りにおいて、例外として基本権の権能を持つ」とされた。
個人の生活圏が国家に対し基本権の行使により防御されるのと同様であるとするのである。つまり放送は一方において、国家からの自由が保証され国家支配は許されないと同時に、他方において、出版とは違って、公共の意見を多様に形成するために国家と公共に対し広範な権限を持っているとされている

 このような放送のもつ権能を、いわゆる「第四権力の法源泉」である、あるいは少なくともその初期形態であるとする議論も賛否両論あるが、これについては法議論を複雑にするのでここでは述べない。
 他方で、この戒律としての放送の国家からの自由といった概念が定着したのは、他の西側諸国では見当たらないことであり、第三帝国での国家による放送の奴隷化の経験が、深く戦後のドイツ社会に影響を及ぼした必然的結果であるという点では、最高裁判事から小学校の社会科教師にいたるまで広範な意見の一致がある。