32520 | 返信 | Re:無防備地区宣言とは何か | URL | 前田 朗 | 2005/01/27 18:25 | |
とほほさん ご意見ありがとうございます。 残念ながら、とほほさんのご質問にお答えすることは困難です。というのも、私にはご質問の意味自体がよくわからないからです。 とほほさんにかぎらず、多くの人が同じ質問をします。東京新聞の取材でも何度も同じ事を聞かれました。その部分が記事に掲載されていました。私が説明したこととはいささか違う形でした。決して間違いとか「誤報」ということではなく、「なるほど、こう話すと、こういう記事になるのか」と勉強になりました。 http://www.tokyo-np.co.jp/00/tokuho/20041216/mng_____tokuho__000.shtml 「無防備地区宣言をしても、守られなかった例があるのではないですか?」 「無防備地区宣言には実効性があるのですか?」 「国際法は守られないのに何の意味があるのですか?」 「原爆が落ちてきたら、無防備で守れるのですか?」 みなさん、判で押したように同じ質問をされます。誰もが最初に思いつく質問のようです。 大変申し訳ないのですが、私にはこうした質問が出てくること自体、理解できないのです。 1 守られない刑法 日本国家には刑法199条があり、殺人罪が規定されています。人を殺してはいけないという行為規範は、ほぼ間違いなく世界中のどこの社会にもあり、法規範はどの国家にもあります。しかし、日本では過去百数十年間、毎年必ず多数の殺人事件が起きています。殺人・強盗殺人・強姦殺人などの被害者は毎年千人を超えます。ほぼ間違いなくどこの社会でもどの国家でも殺人事件が起きてきましたし、現在も起きていますし、将来も起きます。つまり、日本でもどこでも「人を殺すなかれ」という行為規範はおよそ守られたことがないのです。 それでは「刑法なんて守られないから意味がない」と主張する人はいるでしょうか。よほどの変わり者以外にはいません。ところが、「国際法なんて守られないから意味がない」という発言は実に多くの人の口から出てくるのです。 2 法の拘束力--規範・制度・機能 法意識というレベルでは守られていなくても、「警察・検察・裁判所・拘置所・刑務所という刑事司法制度によって担保されているから刑法には意味がある」という説明はもちろん可能です。実際、そういう意味で発言している人が多いのでしょう。また、多くの事件については被疑者を逮捕し、起訴し、有罪となれば刑を執行しているから、それでいいのだという説明が続くことになります。しかし、すべての事件が解決するわけではありません。膨大な殺人事件が未解決のまま放置されています。その事件で殺された被害者から見れば、「刑法なんて意味がない」ことになるはずです。 国際法の場合はまだまだ形成途上ですが、アドホックな刑事法廷(ニュルンベルク、東京、旧ユーゴ、ルワンダ、カンボジア、東ティモール、シエラレオネ)が活動して実績を積み上げてきましたし、普遍的管轄権を持った国際刑事裁判所も発足しました。その意味では司法制度の担保ができ始めたのです。ならば、それを充実・発展させることこそ重要です。ところが、議論がそうした方向には向かわずに、「国際法なんて意味がない」という方向に向かうことが多いのは面白い現象です。国内法でも国際法でも、多くの犯罪者が責任を問われずに逃れているとすれば、どちらであれ真に処罰すべき者を処罰せよと主張するべきなのに、そうはならないのが不思議です。 イラクのアブグレイブ収容所等における拷問・虐待も、ジュネーヴ諸条約違反であるという世界中からの厳しい非難があってようやく、アメリカで一部の軍法会議が開かれ、有罪判決も出たのです。実際に行なわれたことの責任がきちんと問われたとは思いませんが、少なくとも、国際法違反があり、それが発覚し、国際世論が動くことによって、それまでもっとも国際法を無視してきたブッシュ政権でさえも国際法遵守の姿勢を見せなければならなかったのです。それでも「国際法なんて意味がない」と主張する人は、アブグレイブの拷問・虐待の裁判が行なわれず、犯人が逃れたほうが良かったと主張するのでしょうか。 人を殺すなという行為規範に違反すれば、国内警察等の捜査機関により捜査が行なわれ、その司法制度の中で裁かれるかもしれないという法規範と法制度のシステムが作動します。同様に、無防備地区を攻撃すれば戦争犯罪ですから、警察等により捜査が行なわれ、国際刑事裁判所が予定している国際協力体制の下で、訴追と処罰が行なわれるよう法規範と法制度のシステムが作動します。そこに基本的違いはありません。あるのは、拘束力の強さの違いに過ぎません。 3 宣言の効力と無効 「無防備宣言をしても守られなかった例がある」ということが何かの理由付けの根拠になると考えている人がいること自体、摩訶不思議です。ならば、「刑法は意味がない」と主張するべきでしょう。法意識レベルでも、法規範レベルでも、法制度レベルでも、問題の所在は類比的なのですから。そして、この問題の立て方自体がそもそも不適切であることに容易に気づくことができるはずです。こうした問いのレベルで物事を議論するのであれば、問われるべきことは、「無防備宣言をしなかったおかげで助かった例はあるのか?」でなければなりません。 4 日本政府は国民を守らない 無防備宣言運動は(すくなくとも私たちは)、こうした議論をするために運動をしているのではありません。21世紀初頭の戦争とテロリズムの時代に、非暴力平和主義をどのように復権・活性化するか、地域からどのようにして平和運動を作り出せるかを考えるための、一つの、しかも最新でユニークな論点として押し出すために運動を展開しています。別の言い方をすると、国民保護法が実際は国民保護を放擲し、国家責任を全面解除し、地方自治体で国民保護計画という無惨で無内容な保護計画(実際は戦争協力強要計画、つまり戦時動員体制づくり)だけが進められていることへの警鐘として意味があると考えています。 5 2種の無防備宣言 条例案をごらんいただいた方にはご理解いただけたことと思いますが、私たちが提案している無防備宣言は実は2本立てになっています。 A ジュネーヴ諸条約第一追加議定書59条の意味での無防備地区宣言 B 条例で創設する平時における無防備地区宣言 条例案では、まずBを宣言し、これを国連機関、各国政府、世界のメディアに通告します。これは条約には根拠はありません。日本の運動グループが考えたものです。日ごろから無防備宣言都市となり、そこにおいて平和行政、平和自治体外交、平和教育を実施しようという趣旨です。その上で、もし万が一というときには、改めてAの無防備地区宣言を行い、条約に従って相手国に通告するとともに、Bと同様に、国連機関、各国政府等に公表することを考えています。AにしてもBにしても前例はありません。 いずれにしろ、無防備地区宣言運動は地域で戦争と平和について考え、議論をしていく運動です。これまでの反戦運動が「**反対」としか唱えてこない傾向があったのは事実ですから、私たちは「**をつくろう」と一歩前に出ることを様々に工夫していこうと思っています。 ご質問へのお答えにはなていませんが、とりあえず以上です。 |
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