32550 | 返信 | Re:731部隊なかった事の証明 ミサキさん | URL | K−K | 2005/01/28 15:47 | |
お返事が無いようですが、どうされたのでしょうか? http://otd2.jbbs.livedoor.jp/mondou/bbs_plain?base=32456&range=1 お待ちしています。 > 関東防疫給水部はありました。 > 関東防疫給水部は、通称、石井部隊と呼ばれておりました。 > また、暗号名として、満州第659部隊とも呼ばれております。 > では、ここで水原様にお聞きします。 > 731部隊って何のことだかご存じですか? > また、教科書に731部隊と載せるのは、本当に適切なのでしょうか? http://www.geocities.co.jp/WallStreet/4586/224.html 『731部隊と細菌戦に関する鑑定書 2001年2月5日 慶應義塾大学 松村高夫』 ---- 引用 ---- 日本軍は、1937年7月の日中戦争勃発直後の北京、天津の占領、同年8月の上海占領、12月の首都南京の占領、翌38年5月の徐州占領、10月の武漢占領と侵略地域を拡大した。しかしそれ以降は、中国国民政府が新たに重慶を首都として日本の侵略にたいする抵抗を強化したため戦線は膠着化し、中国共産党軍は、華北を中心にゲリラ地区を建設して日本軍を消耗させ、日中戦争は長期戦の様相を呈した。日本軍は兵員消耗と物資補給不足に直面するようになり、近代的兵器の不足が深刻化すると、細菌兵器が兵器のなかでも比較的安価に生産でき、しかも投下したことを容易に隠蔽することができる兵器として、重視されるようになる。このような状況のなかで、平房の731部隊には、1940年12月2日の軍令により4つの支部が設立された。牡丹江(643部隊)、林口(162部隊)孫呉(673部隊)、ハイラル(543部隊)の4支部である。 平房の731部隊を含めて、石井部隊の総称を659部隊と称した。これらの支部はソ連国境に沿っており、対ソ戦に備えたものである。5番目の支部として、大連衛生研究所があった(9)。また、長春には731部隊の姉妹機関として関東軍軍馬防疫廠、通称100部隊が設立された(10)。そこは軍馬の防疫のための動物の細菌研究が中心であったが、人間に対する実験もなされた。 ---- 終わり ---- > ちなみに、講談社現代新書の731部隊 生物兵器犯罪の真実26ページから > しかし、その教科書裁判では、被告の国側は731部隊について、その存在等が具体的に立証されていない、とこのように主張した事が書かれています。 > やはり、まず731部隊があったかなかったか、から話をするのが妥当というものでしょう。ちなみに関東軍防疫給水部はあったに決まっています。 http://www.anti731saikinsen.net/saiban/1shin/zenbun.html#1-5 教科書裁判ではなく、国家賠償請求訴訟での東京地裁の判決文ですが、ここでは731部隊の細菌戦・細菌兵器の事実を認定しているようですよ。 さて、いつまでミサキさんは頑張るのでしょうか(笑)。 |
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