| 32658 | 返信 | Re:<s>日本</s>朝鮮人蔑視<とんぷくさん | URL | 梶村太一郎 | 2005/02/02 04:22 | |
| SONGさん、 シュミットの演説の翻訳があることは知りませんでした。ありがとうございます。 いくつか、訂正をかねて、意見を述べておきます。 1)まずはヘルムート・シュミットは東ドイツの首相ではなくて、西ドイツの首相でした。社会民主党で、ブラント首相が東ドイツのスパイ事件で辞職した跡をついで首相になりました。(1974−1982) 彼は第二次大戦中はドイツ軍兵士として、若きワイツゼッカーらとともに、モスクワ近郊まで進軍した体験を持っています。最後の戦中波です。それはともかく、実は彼の祖父のひとりはユダヤ人でした。このことを隠していたのですが、ずっと後になって公表しました。ドイツでも戦後長い間、彼ほどの人物でもそのことを公然とできなかったのです。(バレていれば、ナチ時代は「四分の一ユダヤ人」として命にかかわりました。) 首相をやめてから、初めて日本を個人として訪問した時に、彼は沖縄の平和の礎(いしじ)を訪ねたいと私の知人にたのみ、訪れたそうです。そのとき、彼はそこに刻まれている戦没した欧米の兵士の名前を丁寧に見て「こんなに多くのユダヤ人の若者がここまで来て戦死したのか!」と語ったそうです。ユダヤ系の氏名が多いからです。 2)シュミットの演説は、ひょっとしたら英語でなされたかもしれません。 そこで: 『キリスト教の聖書であれイスラムの聖典コーランであれ、あるいは仏教やヒンズー教、儒教の教えであれ、国民全体の連帯的罪悪(collective sin)などまったく語 ってはいないのです。世俗的罪悪を背負った人間として生を享けた者など一人もありません。日本国民もドイツ国民も、全体として罪悪や犯罪行為の罪を背負っているのではないのです。』 の「連帯的罪悪(collective sin)」というのは、ドイツ語でdie Kollektivschuldという一語の名詞があり、ヤスパースの罪責論以来、「集団の罪」という定訳があります。おそらく訳者がそれを知らなかったのでしょう。 ここでも、だいぶ前に小林哲夫さんを相手に論争したことがありますが、罪と責任を集団と個人に分けて考えることが、訓練のできていない社会ではなかなか難しいのです。シュミットもそのことを述べているのです。 例えば、外国人を差別する発想にはかならずこの「区別の無能力」があります。 日本ではそれこそ、この無能力が集団的で、かつ強力になっており、恐ろしいことです。 以上、お礼に変えて それを、 |
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