32684 | 返信 | Re:正假名遣ひ、正字體を輕視し、莫迦にするキララ殿へ Re:幾つかの御返信に對する返信 | URL | キララ | 2005/02/03 17:11 | |
> キララ 殿 はい、こんにちは。 そんな、滅相もごさいません!歴史的仮名遣い(旧仮名遣いを、私はこう呼ばせていただきます)を軽視も莫迦にしたつもりもありません。確かにtpknさんの仰る通り、言語と表記を分けて論じたほうがよかったのかもしれませんし、私の文章に至らない点があったのも事実です。これに関してはお詫び致します。しかし、莫迦にしたことは無い上、文章にもそのことは表れてないと思うので、「莫迦にする」については再考をお願いすると同時に撤回を要求します。私が莫迦にした、もとい、非難したのだとすれば、その対象は”歴史的仮名遣い”ではなく、春日様、貴方です。 > 日本語に潛在的に存在する原則を意識的に再構築したものが正假名遣ひですから、正假 > 名遣ひは死んだ物ではありませんし、生きたものです。 大體、「現代かなづかい」こそ > 、半世紀に亙つて全く變化してゐない、死んだ物ではないですか。正正假名遣ひを非難す > る前に、貴方は「現代かなづかい」を否定してゐなければなりません。 否定するかどうかは私に決定権があります。それに、私が言いたかったのは、”歴史的仮名遣い”が死んでいる言葉だということではありません。使う人、使われる場所、使われる物…によって、生きも死にもする、という事です。貴方が使っている歴史的仮名遣いには、生気が感じられないのですよ。ここまできちんと書けば良かったですね。 > > > 昔から使われてきた言葉が、利便性や習慣などを考慮され > 英語が「利便性や習慣などを考慮され」表音たる物にならないのは何故でせうか。それ > は、過去の文獻等が讀めなくなるからです。 英語も変化した言葉が多々あると聞きますが、そのこととは関係ないのでしょうか?すみません、英語史は良く知らないもので。あと、その英語とは、イギリス語ですか?アメリカ語ですか?オーストラリア語ですか?詳しく教えていただければ幸いです。 現代の日本人は夏目漱石の本や古事記、日本> 書紀と云つた物を原文の儘では讀めないさうです。 > 又、現代假名遣ひは矛盾點が多く缺陷品と言つても過言ではありません。 なんというか…読めないから何なのか、なんですよね。ちなみに私はある程度なら読めますけど(他の方もそうなのではないですか?)。原文を読むと、確かに歴史の重みというか、その当時の雰囲気も同時に味わえて、なかなか趣き深いのはわかります。夏目漱石なんか、特に面白いかと思います。しかし、歴史的仮名遣いと現代仮名遣い、どちらで表記しても内容は同じではないですか?現代仮名遣いにすると、内容が変わってしまうのですか? 日本書紀、古事記に関しては、現代人にすらすら読めと言うほうが酷だと思いますが…。だって、当時の言語を使ってないのですから。それに原文で読みたいという方は、まずご自身で勉強されるでしょうし。それで十分かと。それとも、すらすら読めないと何かまずいことがおありなのでしょうか?それと、日本書紀及び古事記で使用されている言語と、夏目漱石が使用した言語とはまた違っていると思いますが、その辺はいかがでしょうか? もしかしたら、日本書紀と古事記でも異なっているかもしれません。この分野に詳しい方いらっしゃいませんかね? > ○現代假名遣ひの缺點 > > 現代假名遣ひでは「地面」の讀みを「じめん」と記します。然し、「地」の讀みは現代假 > 名遣ひでも「ち」と記します。「ち」が濁つたのだから、「ぢ」と記する方が適切ですよ > ね。他にも色々ありますよ。 > > > 現代仮名遣いも、歴史と切り離されたものではありません > かなり切離されてゐます。現代では「言う」の活用は「わ・お、い・っ、う、え、え」 > となつてをり、ワ行とア行の兩方に跨るので非常に不自然であり、原則を亂してゐます。 > しかし、正假名遣ひは、「は・ひ・ふ・へ・へ」となり、自然なのです。 一番わからないのがこれです。上に記された発音の件については一部同意致します。しかし春日様の歴史的仮名遣いは、どの時代まで遡っているのでしょうか?そこがわからないと何とも…。さらに昔は、母音が今より多かったと聞いていますが…どうなのでしょうか?発音のことを言い出すときり無いような。 > > > あまり変な愛国心ならぬ”愛国語心”を持つと、かえって国語を乱すことにつながりか > > ねませんよ。 > 國語を亂したのは他ならぬ「現代仮名遣い」や「常用漢字」であり、此等については議 > 論のしやうがありません。 だんだん春日様が何を仰っているのか、私が何を書けばいいのか良くわからなくなってきたので、無理矢理ですがまとめさせていただきますね。 春日様がどんな言葉を使おうと自由です。しかし、掲示板に書き込む以上は何かを伝えたくて、表現したくて書き込んでいらっしゃるのでしょう?相手に伝えるには、相手がわかりやすいように書くのが筋だと私は思うんですね。信念で歴史的仮名遣いを使っていらっしゃるのは立派だと思います。でも私みたいなオツムの持ち主ですと、貴方の文章を読むのに精一杯で、内容を理解するまでに至れないのですよ。そよか様も以前似たような事を仰っていましたよね?私より明らかに出来た”オツム”をお持ちであろう、そよか様がお願いをなさったのですから、春日様の文章を理解するのによほど苦労されたんだと思います。 そこで質問なのですが、春日様が歴史的仮名遣いを使うことに、何かメリットがあるのでしょうか? 文章は難しいもので、自分が伝えたいと思った事の半分も相手に伝わりません。春日様の場合(というか私の場合?)、歴史的仮名遣いをまず現代仮名遣いに訳して考えなくてはならないので、二度手間になり、益々内容が相手に伝わりにくくなっている、ということがおきてしまっていないでしょうか? あくまで推測の域を出ませんが、もし起きているのだとすると、春日様にとっても、春日様の文章を読んでいる方にとっても損ではないですか? 「信念で使っている」と言うのなら何も言いませんが、それでは単なる自己満足で終わってしまいませんか? そうなると、せっかく歴史の重みのある言葉も、生殺しにしてしまいかねないと思うのですが、いかがでしょうか?私の妄想であって欲しいですが。 乱筆、乱文をここまで読んでいただいて感謝致します。私も文章に自身はないので、至らない点は多いかと存じますが、何かありましたらその都度指摘して頂ければ幸いです。 |
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