32711 返信 Re:無防備地区宣言運動の動き に質問 URL ヤブ 2005/02/04 17:50
> 私たちは現在の「自衛隊(軍事力+災害救助)」を当然の前提として議論しがちですが、その前提が極めて特殊な歴史の中で形成されてきたものだということは忘れてはならないことです。
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> 第1に、日本は地震・台風・火山噴火をはじめとする「自然災害」が極めて多いために、政府がその対処をきちんとするべき責務を負っているのに、その責務を果たしてこなかった(あるいは、十分にははたしてこなかった)事実。災害後の補償もまったく異常なほど無責任に終始してきました。「自然災害ではなく、人災だ」といわれるほどです。

これは政府の問題ではなく国民性の問題です。
地震は予知すればよい、水害には頑丈な堤防で鉄壁の守りを固めればよい、と考えてしまい、被害は避けられないけれど、いかにその被害を減らすか、というダメージコントロールの概念をあまり持ない国民性が、そのまま政策に反映してしまっているだけです。

地震を予知したところで地震がこなくなるわけではないのに、予知すれば被害は無いかのような幻想を持ってしまうから、被害を受けたらどうしようという発想が少ないわけです。

無敵皇軍とか、完全なる平和とか、相手がいることについても「自分たちが死ぬ気でがんばれば何とかなる。」という風に考えてしまう国民が政府を作っている結果です。

> 第3に、自衛隊を社会的に認知させるために、災害救助の役割も担う形で自衛隊を編成・活用してきた事実。90年代までの世論調査の圧倒的多数は、<自衛隊は災害救助隊として必要である>というものでした。

昔は農家へ行って田植えの手伝いもやっていたし、今でも札幌雪祭りの雪象製作をやっているし・・・じゃなくて、冷戦時代は国防も米軍に頼っていればよかったから、軍隊としての自衛隊を意識しなくてすんだというだけです。

> 第5に、それにもかかわらず、自衛隊の災害救助隊としての性格は添え物に過ぎず、いざというときの機動力は他の諸機関よりもすぐれているものの、真の災害救助隊としての機能は持ちえていない事実。したがって、<日本にはいまだにまともな災害救助隊が存在しないこと>。なにしろ消防団レベルしかない(懸命に活動されている専門意識の高い多数の団員がいますが)。

これはお役所的ななわばり意識の問題と、消防が市町村単位の組織となっているという消防政策の問題です。

阪神・淡路大震災の少し前に、陸上自衛隊がハザードマップを作って自治体に呼びかけたにもかかわらず、一部の市以外は無視して相手にしなかったことがあります。
自衛隊が災害のための訓練に参加すると申し出ても「来なくて結構。」という返事がくる状態だったために、本番で連携がうまくいかなかった結果となりました。

昔から地震が来ると言われ続けていて、避難訓練に自衛隊が参加することが当たり前になっている東海地域だったら、もう少しうまくいったかもしれません。

また大震災では陸上自衛隊は中部「方面」隊、警察は兵庫「県」警として対応できましたが、消防のほうは神戸「市」消防局、芦屋「市」消防局、西宮「市」消防局の単位での対応であり、広域災害のための共通の無線のチャンネルがわずかしかなかったため、連絡そのものがうまくできなかった結果もありました。

> 以上の結果、何が起きるかというと、鳥取県の「国民保護計画」を見れば明らかなように、武力事態対処となれば、自衛隊は住民保護を行なわず、自衛隊出動に必要な幹線道路は自衛隊が占有するため、住民の避難は不可能ないし極めて困難になることです。日本政府および鳥取県が公表している事実を見れば、「国民保護計画」は国民を保護できません。運のいい住民は自力で避難できるでしょうが。

「被害は避けられないが、それを減らそう。」という発想が理解できず、被害が出るのだから国民は護られないと言っているだけでは?

> 「無防備宣言をして、いざというとき守れるのか」というご質問・ご批判が繰り返されていますが、事態はまったく逆です。「有事法制・国民保護計画では、いざというとき守れないのに、何を考えているのか」が理性的な判断というものです。

「徹底して完璧な火の用心をすることで、火災報知器も消火器の設置も避難訓練も必要なくなり、火災による犠牲者も出なくなる。」というような発想の無防備宣言と、
「火の用心はするけれど、それで放火されることや事故による出火まで防げるわけではないから、消火器を使う訓練や避難訓練もして被害を最小限にしよう。」という有事法制のどちらをとるかという判断です。