32727 返信 Re:「十分」…貴方はこれを何と言ひますか:余談 URL SONG 2005/02/05 21:49
 梶村さん、今ドイツは寒いでしょうね。今から29年前の冬、初めて訪れたピョンヤンは−20℃で「身を切る寒さ」とはこの様な事を言うのだと思いました。29年前と言えばあの板門店でポプラ事件があった年です。よそでも書きましたが、自らの政治的理由と経歴で入国を拒否されていた、恋い焦がれ続けたソウルの土を、今年の初めに家族を伴いやっと踏むことが出来ました。

 ソウルでの事ですが、家族をホテルに残し、深夜一人で裏路地の屋台で一献しました。そこで数名の初老の方たちが、一見日本人に見える私が、韓国語で屋台のオヤジに注文する姿を見て「最近の日本人も韓国語が出来る方が増えましたねぇ〜。」なんて言うので私は「在日朝鮮人三世です。」という言葉に驚き、非常にシンパシーを感じてくれました。一昔前なら考えられない事ですが、今の韓国は堂々と政治や思想の論議が誰憚ることなく語り合える時勢です。祖国の社会的成熟度がかいま見られました。屋台のオッサンたちと口角に泡を飛ばしながら政治談義をしました。

 なぜ、路地裏の市井のオヤジたちが、在日三世の私に対してシンパシーを感じてくれたのかは、まさに「言葉」なのです。在日でありながら母国語を、へたくそながらもある程度駆使できる私は、彼らにとって私は「民族的自負心」を備えた者であるというと言う認識なのですね。ある意味レッテル貼りかもしれませんが自然な感情でしょう。

 前ふりが長くなりましたが、

> 日本の植民地時代に日本語の読み書きができないひとびとのために,ようするに代書をやっていたからです。「彼は特に裁判所や役所に提出する書類の代書をやったため、いまだに立派な候文が書けるのです」とのことです。

 私の推測ですが、この方が光復後、どのような経緯を過ごしてきたのか非常に興味あります。韓国に限らず在日の世界でも、日本語が流暢であるり戦後日本の諸機関に通じていた方たちは、「日本語が出来る」と言うだけで「親日派」というレッテル貼りをされ、屈辱と辛苦を味あわされたと聞きます。しかも同胞からです。

 戦争という愚かな、他者の尊厳を蹂躙する行為と言うのは、その目に見えた部分だけでなく、「犯す側」が予想も想像もしない「不幸」が「犯される側」に再生産され、その後遺症は「犯した側」が「二度とこんな犯罪を犯さない」という強い決意がない限り再生産は繰り返されるリスクを伴うと思います。

 そこが、かのシュレーダー演説やシュミット演説と、私が一構成員として居住するこの社会の<長>が自らの職責を背負いながら「戦争賛美神社」に恥知らずにも参詣する姿勢でしょう。もっとも危惧しなければならないのは、それに圧倒的政治的支持を与える恥知らずな若者かもしれません。