32738 | 返信 | Re:「十分」…貴方はこれを何と言ひますか:余談 | URL | 梶村太一郎 | 2005/02/06 01:09 | |
SONGさん、 コメントありがとうございます。 > 梶村さん、今ドイツは寒いでしょうね。今から29年前の冬、初めて訪れたピョンヤンは−20℃で「身を切る寒さ」とはこの様な事を言うのだと思いました。29年前と言えばあの板門店でポプラ事件があった年です。よそでも書きましたが、自らの政治的理由と経歴で入国を拒否されていた、恋い焦がれ続けたソウルの土を、今年の初めに家族を伴いやっと踏むことが出来ました。 こちらは、いまのところかなり温かく零度前後です。 そうですか、それはお目でとうございます。ご家族も大変喜ばれたことでしょう。 ご存知のように、わたしは一足先に昨年の5月初めてソウルに行きましたが、韓国は急速に民主化しています。百聞は一見にしかずで、いろいろ勉強になりましたが、東京と比べても、不況とはいえ人々が明るく、親切なのには驚きました。相対的とはいえ、要するに、自分たちの社会に自信が芽生え、人心に余裕があるのです。 なにしろ拘置所や裁判所などの日本人が滅多に行かないところばかり訪ねたうえでの印象ですから間違いないでしょう。国立墓地ではパク・チョンヒの墓守の若い兵隊とまで話しましたが(彼はエリートで英語が出来た)立派なものでした。 > > ソウルでの事ですが、家族をホテルに残し、深夜一人で裏路地の屋台で一献しました。そこで数名の初老の方たちが、一見日本人に見える私が、韓国語で屋台のオヤジに注文する姿を見て「最近の日本人も韓国語が出来る方が増えましたねぇ〜。」なんて言うので私は「在日朝鮮人三世です。」という言葉に驚き、非常にシンパシーを感じてくれました。一昔前なら考えられない事ですが、今の韓国は堂々と政治や思想の論議が誰憚ることなく語り合える時勢です。祖国の社会的成熟度がかいま見られました。屋台のオッサンたちと口角に泡を飛ばしながら政治談義をしました。 > 実は、わたしも訪問に際しては、最悪の事態も配慮して行ったのですが、全くの杞憂でした。記者会見や、テレビ出演でも何でも話すことができたのです。 私は、韓国語がまるっきり出来なく、しかもハングルさえ読めないので、全くの文盲です。従って、友人が通訳してくれるのですが、あとから聴けば、私の話をもっとラジカルに訳したこともあったようです。 > なぜ、路地裏の市井のオヤジたちが、在日三世の私に対してシンパシーを感じてくれたのかは、まさに「言葉」なのです。在日でありながら母国語を、へたくそながらもある程度駆使できる私は、彼らにとって私は「民族的自負心」を備えた者であるというと言う認識なのですね。ある意味レッテル貼りかもしれませんが自然な感情でしょう。 > 植民地支配の犯罪の最大のものが「言語の剥奪」です。これは大変なしこりを残します。 > 前ふりが長くなりましたが、 > > > 日本の植民地時代に日本語の読み書きができないひとびとのために,ようするに代書をやっていたからです。「彼は特に裁判所や役所に提出する書類の代書をやったため、いまだに立派な候文が書けるのです」とのことです。 > > 私の推測ですが、この方が光復後、どのような経緯を過ごしてきたのか非常に興味あります。韓国に限らず在日の世界でも、日本語が流暢であるり戦後日本の諸機関に通じていた方たちは、「日本語が出来る」と言うだけで「親日派」というレッテル貼りをされ、屈辱と辛苦を味あわされたと聞きます。しかも同胞からです。 > 多いにありうることですね。 しかし、この時代も過去のものになったでしょう。中国でも文革のころは無茶苦茶でした。日本語が出来るのは犯罪同様でしたから。全く理不尽なことです。 > 戦争という愚かな、他者の尊厳を蹂躙する行為と言うのは、その目に見えた部分だけでなく、「犯す側」が予想も想像もしない「不幸」が「犯される側」に再生産され、その後遺症は「犯した側」が「二度とこんな犯罪を犯さない」という強い決意がない限り再生産は繰り返されるリスクを伴うと思います。 > たしか20年ほど前ですが、ドイツに住んでいる韓国人家族の間で大きな問題がありました。彼らの子供たちでドイツ語が出来ても、韓国語が話せない子供が増えて来たのです。 あるときだれかが「梶村の家の子供はドイツ語も日本語もできる。なぜわれわれの子供は韓国語ができないか」と発言したことから、これが大論争になったのです。なにしろ、私の世代の韓国人ときたら、反日教育の申し子のような連中ばかりでしたので、日本人に負けてたまるかといった感情もあり、熱が入ったようです。 ドイツ中で延々と議論が続き、大きなテーマになったのです。 主な結論は「韓国人はドイツの文化に対して劣等感がある。自らの文化に自信が無い。これは植民地根性だ」ということです。 そこで、彼らは各地に韓国語補修学校を立ち上げて幼児の頃からの韓国語教育を始めました。かなり成功しました。現在韓国で活躍している子弟が大勢います。私の通訳をしてくれる若者もこの世代でいます。 傑作なのは、労働者が多いルール地方では、なんとモデルとして日本の朝鮮総連の教科書を取り寄せて教育をはじめたグループまであったということです。SONGさんと同じ教科書かもしれませんね!韓国大使館のKCIAもたまげたことでしょう。 このようなことも、おっしゃるように『「犯す側」が予想も想像もしない「不幸」が「犯される側」に再生産される』ことにかかわっています。わたしの友人たちは、わたしの家族を見て「再生産されかっかている」ことに気づいたのです。 > そこが、かのシュレーダー演説やシュミット演説と、私が一構成員として居住するこの社会の<長>が自らの職責を背負いながら「戦争賛美神社」に恥知らずにも参詣する姿勢でしょう。もっとも危惧しなければならないのは、それに圧倒的政治的支持を与える恥知らずな若者かもしれません。 > 若者がこのままでは、日本は周りから見捨てられるだけです。韓国にしても中国にしても、日本人の若者たちよりもはるかに母国語に誇りをもち、かつ多くの外国語を使いこなす若者たちが大量に育っています。将来はおよそ見当が付こうというものです。 ではでは > > |
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