32744 | 返信 | Re:「ドイツ語」を話すユダヤ人 | URL | 梶村太一郎 | 2005/02/06 22:48 | |
tpknさん、 > 梶村さん、 > > いろいろとご教示ありがとうございます。 > > > 朝鮮語と日本語は論議の流れでお互いの差の例えとしてあげたもので、もちろんそれと全く同じだとは主張しません。 > > 日本でイデッッシュの専門家は少ないのですが、西成彦『イディッシュ』作品社、でもお読みになれば、その複雑さが理解できるでしょう。 > > イディッシュだけが複雑なのではなく、朝鮮語も日本語も同様に複雑なのです。ですので、対比させるためには注意が必要かと思います。たとえば、イスラエルに移住したユダヤ人でヘブライ語を拒否してイディッシュに固執するという人は考えられないでしょうが、朝鮮語の場合はそれ自体がユダヤ人にとってのヘブライ語のようなものでしょう。 > 前にも書きましたが、言語は生きものです。その歴史は千差万別です。 ユダヤ人の場合も二千年の離散の中で、片方で旧約の「聖なる言葉」としてのヘブライ語を維持し続けてきました。その一方でアシュケナージの方は中世ドイツ語に適応したイディッシュを共通語にし、スペインのスファラディーはスペイン語をとりいれたラディノを日常語として使っていましたが、レコンキスタの前の12−3世紀ごろにはスペインではヘブライ語文学の黄金時代もありました。アラブ世界に残ったひとびとはアラブ・ヘブライ語を、クルディスタンではアラム語を話していました。 それでも、ヘブライ語は少なくとも書き言葉としては共通していたので、ユダヤ人の間では時代と場所を問わずヘブライ語での意思疎通はできたのです。モロッコのユダヤ人とオデッサのユダヤ人はヘブライ語で取引契約書を作成しました。ヘブライ文字も生き続けていたからです。 また話し言葉としてのヘブライ語復活は実現したのは20世紀始めのパレスチナですが、その試みはすでに東方ユダヤ人の間で19世紀末にありました。 面白いのは、ちょうどそのころリトアニアのナロードニキ派のユダヤ人の間では逆に イディッシュを民族言語としようとする運動が起き、それが文学、演劇運動としてかなり成功したという事実があります。戦前日本にまで紹介された芝居もあります。 もちろんイスラエルへ移住したユダヤ人でヘブライ語が出来ず、イディッシュで生活したひともいます。たしか今でも多少は話されているはずです。また、東方ユダヤ人の移民の多いブエノスアイレスではまだ残っているという話を聞いたことがありますが、実情は知りません。 いずれにせよ、第二次大戦までは数百万人が日常的に使っていた言語が、ナチスの人種主義に依って壊滅してしまったことは恐るべきことです。 > > > で、言いたいことはですね。イディッシュはもともとドイツ語から派生したクレオールですから、ユダヤ人がイディッシュからドイツ語にスイッチするのと朝鮮人が日本語にスイッチするのとでは、状況も言語も全然違うので比較対照にならないのではないか?ということです。 > > > > これは、一般的には言えないでしょう。むしろバイリンガムの在日の方に尋ねたほうが良いでしょうね。 > > うちの娘は日独英を日常でも勉強でも使っていますが、英語生活を3ヶ月ほどすると、 > > ドイツに帰ってきてから2、3日ほどドイツ語と英語がチャンポンになります。この二つは近いですからね。 > > ですから、そういう関係ない話を持ち出して一般的に言わないほうがいいのではないか?ということですね。それは単に政治的に対等な言語の間で起こる一時的な現象の話であって、言葉を奪うとか奪われるとかいう話題とは別ものですね。 > > ついでに横レスですが、 > > > > そこが、かのシュレーダー演説やシュミット演説と、私が一構成員として居住するこの社会の<長>が自らの職責を背負いながら「戦争賛美神社」に恥知らずにも参詣する姿勢でしょう。もっとも危惧しなければならないのは、それに圧倒的政治的支持を与える恥知らずな若者かもしれません。 > > > > > > > 若者がこのままでは、日本は周りから見捨てられるだけです。韓国にしても中国にしても、日本人の若者たちよりもはるかに母国語に誇りをもち、かつ多くの外国語を使いこなす若者たちが大量に育っています。将来はおよそ見当が付こうというものです。 > > > 意味不明なんですが、靖国神社云々と母国語への誇りと、いったいどんな関係があるのでしょう? 韓国語には、母国語への誇りから、かつて日本語から入った漢字熟語を排斥する運動さえあります。これは偏狭なナショナリズムと言うべきでしょう。また、中国においては、町中の看板から最近流行の繁体字を駆逐しようという動きもありました。理由は、繁体字は復古主義であり、反動だというものです。ちょうどこの板で春日さんの文字表記を攻撃している人々に通じるものがありますね。 靖国参拝の話と母国語の件は、別の脈絡です。 また中国での動きも全く別の範疇でしょう。 私が言いたいことは、植民地時代に言語を奪われかかった朝鮮人の体験がいかに深刻なものであったということです。SONGさんのいうように、抑圧側にとっては思いがけないような深刻な事態をもたらすものです。北朝鮮や韓国における漢字の排除は、はたして民族文化にどのような貢献をするのかは疑問です。ここにも植民地支配の影響があるのではないでしょうか。 |
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