32747 | 返信 | Re:「ドイツ語」を話すユダヤ人 | URL | 水原文人 | 2005/02/06 23:22 | |
> また話し言葉としてのヘブライ語復活は実現したのは20世紀始めのパレスチナですが、その試みはすでに東方ユダヤ人の間で19世紀末にありました。 > 面白いのは、ちょうどそのころリトアニアのナロードニキ派のユダヤ人の間では逆に > イディッシュを民族言語としようとする運動が起き、それが文学、演劇運動としてかなり成功したという事実があります。戦前日本にまで紹介された芝居もあります。 アメリカでは30年代にユダヤ人移民のためのイディッシュ語映画も、政府の出資で作られています。 > もちろんイスラエルへ移住したユダヤ人でヘブライ語が出来ず、イディッシュで生活したひともいます。たしか今でも多少は話されているはずです。 ここには極めて複雑なナショナリズムの歴史があります。多分に人工的な国民国家思想であるシオニズムのなかでユダヤ人=ヘブライ民族の民族の言語は、「ヘブライ語」と決められました(ほとんど死語であったにも関わらず)。建国直後のナショナリスティックな雰囲気のなかで、イディッシュ語(=ディアスポラの抑圧された時代のユダヤ人の言語)は嫌われ、事実上パブリックな場(別に政治的空間に限らず、要するに家の外)で話すことは事実上禁じられていましたし、移民たちの側でも「イスラエル人」という新たなアイデンティティに適応するため(一種の過剰適応とも言えるでしょう)にイディッシュ語を使わないという選択が多数派だったようです。 ラビン政権は和平プロセスを開始しただけでなく、文化政策的にもそれまで政治的な理由で無視されがちだったユダヤ人イスラエル人の多様なオリジンを顕在化する方向性に、初めてシフトした時代であったとも言えるでしょう。その少し前から、主にロシア語を話す旧ソ連圏からの大量の移民も始まっていました。 90年代にはイディッシュ語の劇団がいくつか組織されましたが、先述のような国家主義的な文化コンテクストのなかでイディッシュは次の世代にまったく継承されず、ほとんど死語になっていました(50年以内というのは、ひとつの言語が死滅する時間としては極めて短いタイムスパンだと言えるでしょう)。そこで旧ソ連圏から移民したロシア語を第一言語とするユダヤ人俳優たちがイディッシュ語を学んでそうした劇団の主力メンバーになって、今に至っています。彼らはヘブライ語になまりがあるので、普通の俳優としてはなかなか職がなかった、ということもあります。 またごく少数ですが、宗教的なコミュニティのなかにはイディッシュ語を第一言語として継承しているところもあります。言うまでもないことですが、保守的な宗教コミュニティのなかでは、「シオニズム」は基本的に異端であり冒涜であるとして敵視されています。「聖なる言語」であるヘブライ語を日常言語にすることへの抵抗も、どうもあるようです。 |
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