32975 返信 Re:リーさん Re:北朝鮮も核兵器保有・・・ URL リー 2005/02/17 01:04
そよかさん。

> マクロ的=世論として台頭=風潮になってきつつありますね。
> 「一億総利己的」であるかどうかは異議も感じますが、『「まやかし」の主権在民』と思える
> 現状には忸怩たるものがあります。

「木を見て森を見ず」という言葉があります。木がミクロで、森がマクロ。石原は
一本の木にすぎません。石原を生み出したのは、石原と同質にある森の存在です。
森を通して木を見たところで、そこには強い劣等感と被害者意識に満ちた石原個人
の存在があるだけです。私はむしろ国連の警告の対象は、石原を生み出した森に向
けられたメッセージとして受け止める必要があるように思います。もっとも森に都
合の悪い情報は常に小さく扱われる状況にありますけれども。


>  悪質かどうかはともかく、誠意に欠けた不自然というか稚拙の連続ですね。
> 心ある知識人の方達の危惧・指摘などを目にしますが。
> 政治家・官僚はもっと襟を正し己の来た道を恥、言動に真剣になるべきでしょう。

日本の外交を「内側」からみても、よい評価にはならないようですね。日本の外
交の対象となっている「外側」からの評価が、「内側」の人々にほとんど伝わら
ないシステムになっていることは残念であり、問題を感じてきたものでした。


>  少し思います。
> が、希望を失っては、生きる活力・世の中をよくしようとする意欲をなくしてしまいます。 
> それでは困ります。 日本が世界の人達から愛される国になってほしいのですから。

希望が見出せず自殺してしまう人々、あるいは自殺を毎日意識している人々。
近年の日本は実際に毎日約100人が自殺している統計になるという。それで
も政府はちっとも困らないのです。私は希望とは、絶望と異なった概念ではなく、
絶望の中にこそ位置づけなければならない概念であると捉えています。
したがって極端にいえば、絶望という現実の理解なくして、本当の希望を見出す
ことはできないのではないかと思っているのです。


>  でも、現実問題として平和憲法があるから政府は戦争に向けて動けません。
> 世界有数の軍事費・設備等は残念なことです。
> が、ある軍事専門家(?)が日本の軍備は実戦むきには揃えていないと話していましたが。
> 「張子の虎」と私は思いました。
> GNP比内ではありながらでも、貴重な税金をそちら方面に垂れ流した浪費を思います。

1945年8・15以降に日本が戦争に参加していないという認識が一般的に流布
されていることに、正直なところ私はあきれてしまっています。
日本の戦争参加は、朝鮮戦争やベトナム戦争だけではありません。湾岸、アフガン、
イラク、も日本が参加した戦争です。つまり日米軍事同盟によって、参加形態は様々
ながら、米国が起こしている戦争に日本は例外なく参加しています。むしろ日本が米
国の意向を無視して、独自で戦争をすることは事実上できなくなっています。

日本国内での地上戦や自衛隊派遣の有無だけをもって戦争参加へのカウントとするのは、反戦活動から対極の位置にある捉え方ではないでしょうか?
「井の中の蛙」状態から戦争の肯定や賛美をする人々よりも、むしろ日本は戦争をし
ていないという自覚を有している人々のほうが、私はむなしくも恐ろしく感じます。

ちなみに、地球規模での米国における軍事力は6割、日米軍事同盟によって7割にな
るともいわれています。残りの3割がヨーロッパや中国等々だそうです。
軍事力において日本は決して「張子の虎」ではありません。


>  チェルノブイルは剥き出しの丸裸状態だったそうですね。日本はその点何重にもカヴァーし、
> もし同じ規模の核融合が起きてもああいう状態には決してならないだけの厳重な設備をほどこしているとのことです。 現場の方達は懸命になっていると認識しています。

いくら懸命になっても、底の抜けたひしゃくで水をかき出しているようなものです。
事故やトラブルは必ず起きますし、放射能を制御できる厳重な設備はいまだに発明
されていません。国債と放射能とでは、未来の子孫にどちらが深刻なツケとなるか
は、劣化ウランの放射能で苦しむアフガンやイラクを見るまでもなく自明だと思い
ます。


>  勿論自分たちの生活もありますからそれもあるでしょう。
> 但し、そこで働く方達がこれ以上の推進を望んでいるとも限りません。
> 私も原発の恩恵をもろに受けて生活していますが、これ以上の原発は望みません。
> これでまかなえないようになるなら、国全体で電力消費を抑えるべきです。
> その為に生活がある程度不便になってもそれは当然のことです。

原発政策を転換した欧米では、電気の恩恵を変わらずに受けており、国全体で
電力消費を抑えてもいないし、そのために生活が不便にもなっていません。
比較すれば日本とのちがいが一点のみにあることに気がつくはずです。それは
原発にノーをつきつけた国民と、原発を曖昧なままで肯定している日本国民と
の差異です。


>  政策的にはともかく、技術者はより安全の為にいろいろと技術革新・改善していっていると思います。

技術者は機械ではなく人間ですから、原発の危険や限界を確信犯的に無視して
しまうのです。人間には善意や悪意がありますが、大勢の人々に被害をもたら
す危険や限界を無視できるのは、善意ある技術者ではないと思います。


>  ええ、第一線で働いている方達は事故を起さないように最大限の緊張をもって働いているとおもいます。 で、仮にチェルノブイリ級の事故がおきても日本の設備では決してあのような惨事にならないだけの備えはしているデーターがありました。

でも濃縮された高濃度プルトニウム溶液を、危険性も教育されずに、バケツで
運んで死んでいった作業者が悪いという報道もありましたね。そんな状況はき
っとその「データー」には含まれていないであろうと思います。


>  いえ、もし日本が核兵器を隠し持っていたら、それは日本の滅亡を意味するのではないでしょうか。 

それだけで日本の滅亡を意味するならば、もう何度も日本が滅亡しているはずです。
自国の政府に都合が悪い情報を一貫して隠蔽してきた体質は、今後も滅亡すること
なく存続していくはずです。なぜならそれを容認する大勢の人々に、政府は支えら
れているからです。被爆地である広島の市長が国連等の場で、すべての核兵器廃絶
を訴えても、被爆国である日本政府が決して核兵器を公式に否定するこができない
差や理由を考えてみる必要があるのではないでしょうか。


> > もっとも、日本には核兵器があるという事実は疑惑ではなく、すでに
> > 事実となって久しい状況にあります。
> >
>  どういうことでしょうか?

在日米軍基地には核兵器があります。いつだったか日本の国会でそのことが議題
となったことがありました。持ち込まれている核兵器の存在について、政府は確
認することはしないという答弁でしたね。確認しないという根拠は米軍を信頼し
ているからとのことでした。対して米軍の高官たちは、日本に核兵器を持ち込ん
だことを言及しており、日本政府から確認の要請があれば、核兵器の存在につい
て言及するとも回答していました。
つまりそこ(日本国内)にある核兵器について、政府は米国に対しては絶対に確
認できないわけです。「非核三原則」とは、架空の政治ショーにおける小道具で
しかありません。


>  ええ、いつか来た道を突き進んでいるような気がしてなりません。
> とても怖いです。
> だからこそ、最後の砦、平和憲法と非核三原則は死守しないといけないのでしょ?

それは不可能です。「平和憲法」も「非核三原則」も、すでに壊れているからで
す。壊れているものを「最後の砦」にはできないし、「死守」する価値もありま
せん。国民不在の憲法解釈論で壊れてしまった憲法に対してできることは、露骨
にまちがった解釈の是正をすることしかないと思います。


> 太平洋戦争時でも、日本共産党初め知識人達は反対していてその声はかき消され、弾圧され、
> そして敗戦になったら、その方達も含めその責任は当時の国民にあるとされてしまうのですね。

いえ、「一億総懺悔」といわれ、当時の国民全てに責任があるとされたのは、戦争
を推進した権力者の免罪を狙ったレトリックだったではありませんか。そして国民
全ての責任だと非難されたとき、「反対した者もいるんだ」という反論のためだけ
に活用されてきたのが、戦前戦中において死を覚悟で反戦を訴えた人々の存在とな
っているのではないでしょうか。
いずれにせよ事実は歴史に刻まれると思いますが、反戦家の意図だけは継承されて
いかないシステムになっていることが残念でなりません。


>  同感です。 だから、日本はなくなれ なんて言っていてはいけないのです。

すみません。言葉たらずでした。日本列島やそこに住む人々の消滅を意味して
いるのではなく、明治から現代において戦争を肯定する政府を支えてきた人々
の消滅という意味での投稿でした。


>  はい、中国ではまだ当時の不発弾などで怪我をされたりする方達がいらっしゃるそうですね。
> 申し訳ないことです。 日本政府は真剣になってするべきです。
> 先のカンボジアでは、内戦で埋められた爆弾の処理を自衛隊の方達が一生懸命になってしていました。 不発弾を取り除くロボットも発明されていましたよね。

内戦で埋められた爆弾の処理よりも、自国(日本)がばらまいた爆弾の処理を
するのがまっとうだと思います。


> > 真心が込められた事実を知りません。もしあるのなら紹介していただけ
> > れば幸いです。
> >
> いえ、↑は私達の使命を申し上げたのです。

その使命が理解されることが、たいへん困難な状況だと思います。


> で、当時の宮沢、村山、橋本総理が国を代表して謝罪しました。 当時の野中、河野官房長官が
> すべての責任を認めました。 彼らの戦争責任を認め謝罪した発言には真心がこもっていたと思えます。 特に野中さんはことあるごとに認め謝られていました。

残念ながら被害地の被害者に、その「真心」は届いていません。なぜなら伝える
努力を成した形跡がないからです。


> 河野さんが自民党総裁だけでなく、首相もしていたら、もっと進展していたかもしれません。

ひょっとしたら、だから首相になれなかったのかも知れませんね。


> その後の日本の歩みは彼らの謝罪を無効にしてしまっているのが残念です。

届いていない真心は、最初から現在まで有効な時期はなかったように記憶してます。


> > しょせんは人間です。真心さえあれば元凶を消すことはできなくとも
> > 仲良くなれるはずです。真心さえあればですよ。
> >
>  だったら希望が持てるということですね。

殺されたり、苦しみながら死んでいった人々にも、希望を抱いてもらえるように
できればよかったですね。


> > 日本の世論が、そうでない方向にコントロールされているのは、やはり
> > 日本型の主権在民に多分に問題があると思われます。
> >
>  「長いものには巻かれろ、泣く子と地頭には勝てない」ですか.....

そう感じてしまうようなシステムを政府は構築してきたと思います。
コントロールするほうの問題は、わかりやすいのでしょうが、コントロールされて
しまう側の責任が自覚できなければ、愛される国になれる可能性から絶無になって
しまうと思います。


>  私も殺すのも殺されるのも、そして人が殺されるのも殺すのもまっぴらです。
> 命がつきる瞬間が「最後」ではなく、日本がいよいよ戦争を始める時、平和憲法を捨て、
> 非核三原則を取り除くときです。
> それまではまだ希望はあります。

砂時計の砂がサラサラと落ちていきます。完全に落ちてしまうまでには、まだ砂が
残っているというような希望に私には映ります。


> > それが戦争に対する抑止としての効果さえなくなってきたことが
> > 残念に思います。
>  
>  あきらめないで!

あきらめているつもりはありません。ただ戦争は、まるでスポーツのような根性
やがんばりではどうにもならない代物です。生き延びることだけを念頭におかな
ければならない時代が、もうそこまで迫っているということを自覚する時期だと
考えることが多くなってきました。


>  リーさんと私は日本に対する危惧では一緒です。
> ただ、私はそれが日本が好きで愛しているから。
> リーさんは日本が嫌いですか? 

たとえば、日本の四季をはじめとする自然は好きです。それをものすごい速度で
壊してきた政策を実施してきた日本政府を好きになれる要素がありません。そん
な政府を支えている人々も同じです。そして愛国心に無縁な私は、「好き嫌い」
という二分法で問われると、嫌いなほうに位置するように思われます。