| 33100 | 返信 | Re:罪と責任の違い | URL | 梶村太一郎 | 2005/02/21 01:42 | |
| 小林哲夫さま > そして「最後の一句」のご紹介有難うございました。 > 喜んで討論に参加したいと思います。 ありがとうございます。 > > また私は少しマゾ的な処があって、いじめられるのを楽しみにしておりますので、どうぞご遠慮なく厳しくお願いします、ウナギ蒲焼にされるのも歓迎。 > さようですか。しかしいくらマゾでも、相手によるでしょう。わはは! > 「最後の一句」は早速読みましたが、始める前にチョット質問。 > 太田南畝が書き写したという「一話一語」における「一語」と鴎外の「一句」は別の違う言葉なのでしょうかね? > この底本は1730年代に大阪で出版されており、多くの時事問題を集めたもので、この話は第10巻目に収録されているとの事です。したがって「一語」と鴎外の「一句」 は全く関係ありません。 > > > さて「シュレーダー演説」や「シュミット演説」で言っている、「罪と責任」の違いが私に解らないのは、ドイツ語やドイツ文化を私が解らないという要素が大きいと思いますが、今更私がドイツ語を勉強するのは無理ですので、ここでは徹底的に日本語でお願いします。その意味で鴎外を題材とすることに大賛成です。 私も、そう考えての提案です。 > ドイツ概念の罪と責任を、日本語で解るように翻訳することに未だに成功していないと思います。 これは、翻訳の問題ではないとおもいます。よく理解している人も多いのですから。 > 私は教育の無い庶民の日本人として、「罪は無いが、責任はある」という言い方が全然理解できないのです。 教育が有る無しにかかわらず、このような人もいる事も確かです。 > この日本語では奇妙な言い方を、SONG さんや烏龍茶さんやとほほさんが、さも解ったような顔をして、ドイツ人は凄い!と思っている様子が私は不愉快なのです。 そりゃ、小林さんの彼らへのやっかみでしかないと思いますよ。不思議かもしれないが 何故不愉快なのか私には判りません。 私は、自分の理解できない事を出来る人を尊敬こそすれ、不愉快にはおもいません。 > その上虐殺の実態や歴史や感情を深く考えもしないで、日本のやったことと同一視したり、日本のケースに当てはめるような安易な歴史観が不愉快なのです。 > 「ホロコーストとドイツ人」、「南京事件と日本人」、この二つの歴史は比べて論ずるのもおぞましいような違いがあることが解らないような不感症の日本人であって欲しくない、と痛切に思います。 ここに、小林さんのお持ちの矛盾が現れています。 あなたは、一方で、 A『ドイツのこと、ヨーロッパ文化のことは解らない』(これはある意味で普通のことです。日本で生活しているのですから)とおっしゃり、同時に『この二つの歴史は比べて論ずるのもおぞましいような違いがあることが解らないような不感症の日本人』を非難します。ということは小林さんには, B『比べて論ずるのもおぞましいような違いがあることが解っている』ことになりますね。 すなわちA、Bは矛盾しています。「解らない」だが「解っている」と同時に言っています。そのことに、ご自分で気づかないから、他人を不愉快、不感症と非難し、さらに、 > 以上すべて一年前の蒸し返しに過ぎないようで、恥ずかしいのですが・・・・。 > と自分に正直に返ってくるのだと、私には思えます。 どうでしょう、議論を始める前にこの点に対するお返事をいただけませんか? わたしの見方は間違っているとおかんがえでしょうか。 補足ですが: とほほさんや、烏龍茶さんに対する、当てつけのようなレスも、このあなたの内面の 矛盾から出ていると思われます。(わたしは、あなたの矛盾に加担したくないので そちらのほうは放っておきます。自分で始末してくださいな) |
||||||
![]() | ||||||