| 33132 | 返信 | 植民地―満州について | URL | 小林 哲夫 | 2005/02/22 09:56 | |
| 梶村太一郎さん こんにちは 梶村太一郎さんは「罪と責任」討論をぬらりくらりとやりたい様子ですので、その意向を尊重して、おまかせペースとしますが、余りにもゆっくりですので、私としては別のテーマを提起したいと思います。 それは昭和の大戦(15年戦争)の原因の見直しという大テーマです。 その第一弾として、満州事変から始めたいと思います。 まずこの地域のこの100年の歴史を見て見ます。 今から100年前即ち1900年頃は、清朝封禁の地で、漢人が入ることを禁止されていましたので、人口は100万人程だったようです。 1904年の日露戦争によって、日本が進出し、満鉄などを作ったために、中国本土の人達にとって魅力ある土地となり、毎年100万人程の移住が行なわれました。 満州事変(1931年)の時には、3千万人に増加していました。 関東軍の武力によって、治安を安定させ、日本からの資本投資で産業を発展させたために、満州帝国建国以後も人口増加は続き、1940年(真珠湾直前)には4千2百万人に増加しました。(9年間で12百万人の増加) そして現在は1億2千万人(つまり約日本の人口)です。 つまり簡単に言えば、100年間で日本と同じ規模の国がもう一つ誕生したといえます。 そしてそれが可能になったのは、日本の植民地政策の結果であったことは疑問ないと思います。 戦後の発展は戦前の日本の産業開発をスムースに引き継いだものだからです。 さてこの中で日本人はどういう位置づけだったでしょうか? 1938年に日本人は52万人でした。(関東軍を除く) (参考;敗戦時の引揚者は100万人程度と言われています。) つまり満州帝国人口42百万人の内の日本人は1%強に過ぎませんでした。 今でも満州は貧窮東北農民の殖民先確保と考えられていますが、この程度の人口殖民のための戦争だったことをご留意ください。 日本の側からこれを見ると、1931年からの4年間で日本国内人口は400万人増加しており、内満州移住者は30万人程度でした。 日本の人口増の1割を吸収するために戦争をしたのでしょうか? 最後に梶村太一郎さんの質問へのお答え 「いちに罪はありません」 ピッポさん こんにちは ご立腹の様子、これはびっくりしました。 私はピッポさんの答えを読んで、「これはもうピッポさんには応える気が無い」と読んで、それ以上追求しなかったのです。 私が聞いていることに対して、「そんなことは応える必要がない、知りたければこのページを読め」という内容だったからです。 もう一度私の質問をよく読んで、ピッポさん自身の言葉での答えを待っています。 「この本を読め」とか「このページを見よ!」などという答え方は、失礼なものだとお考え下さい。 |
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