| 33158 | 返信 | Re:罪と責任の違い:討論2 | URL | にゃにゃにゃにゃにゃ | 2005/02/23 22:51 | |
| > 横レス、失礼いたします。 > > 梶村太一郎さま gajiと申します。こんにちわ > > > 『侵略の証言』新井利男、藤原彰編、岩波書店 > > でしたら、私も読みましたし、手許にございます。 > > しかしながら、ときには違った視点も必要ではないでしょうか。 > > http://blog.naver.co.jp/doronpa.do > http://www12.tok2.com/home/doronpa/(音アリ、音量を上げないときこえません) では、私も横レスです。 そのサイトを見て、その内容の吐き気を感じさせるばかりの差別・排外主義、あまりのトンデモ性に、私は正直言って驚かされました。「虚偽・捏造・歪曲を平然と行い、無責任、責任転嫁、思考停止とろくなものではありません」って、それは歴史修正主義者たちのことではないでしょうか。現に梶村氏は、小林よしのりがマンガで行なった「虚偽・捏造・歪曲」の被害者でもあるのですから・・・ 問答有用板に突然登場してきた怖いもの知らずの初心者ネット右翼ならともかく、長年問答有用板に投稿し続けてきたgajiさんともあろう方が、ここ最近何を迷ったのか、歴史修正主義のトンデモに同調していること、私は不思議でなりません。 念のために言いますが、あなたが「仲良しクラブ」的な空間のなかで、誰と仲良くしようが、誰と喧嘩しようが、それは私みたいに「仲良しクラブ」的な空間の外部にいる人間にとっては、何の関係もないことです。もちろん、戦争責任追及・戦後補償の運動にとっても何も関係ありませんし、アジアの戦争犯罪被害者にとっても何も関係ありません。 あなたが紹介された「doronpa01のブログ」は、アメリカの「民兵」のような宗教系極右勢力を「武装極左ゲリラ」(笑)と呼ぶなど、基本的な部分での間違いがいくつでも指摘できますが、とりわけ呆れたのは、そもそも一口に「日本の左思想の人間」といっても、そこには「多様性」というものが存在しているのに、それを完全に無視し、すべてを同一視するという乱暴な認識のうえに立って、そのすべてが「国家を否定している」と説いています。 私個人に関する限りは「国家を愛する心」「愛国心」は存在しませんが、しかし、「日本の左思想の人間」のすべてが「国家を愛する心」「愛国心」が存在しないのかといえば、そういうわけではありますまい。たとえば日本共産党が右翼顔負けの「愛国心」を表明していることなど、少しでも「日本の左翼」というものを知っている人間ならば、誰もがわかっていることでしょう。 また、戦後の米国が「極左教育の推進」をしたなどという、全くもって笑うしかない妄想を振りかざし、この「極左教育の推進」こそが「国家国民」という「概念」の「欠如」に結びついていったというに至っては、これはもはやトンデモとしか言いようがないもの。歴史の事実は逆に、日本の左翼の少なくない人達は「反米愛国」路線(つまり、日本は自立した帝国主義国家ではなく、アメリカの従属国・半植民地支配に置かれた国家であり、したがって左翼の任務は日本をアメリカの支配から解放するための反米愛国闘争でなければならないというもの)を掲げ、そのいっぽうで、50年代、60年代と、日本の侵略戦争や植民地支配での近隣アジア諸国での加害責任というものに無自覚であり続けたのです。 70年代に入ってから、ようやく日本の加害責任というものが日本の左翼的な人達のなかで認識されるようになったというのが真相であり、その程度のことは10代、20代の若者ならともかく、gajiさんくらいの方ならご存知かと思っておりましたが・・・ そのうえで、「国家や国民を愛している左翼」というものが、第一次大戦においてどのようなふるまいをしたのかということは、押さえておいたほうがいいでしょう。それまで「帝国主義戦争反対」「反戦平和」を掲げ、日露戦争当時は「第二インター」の大会において、日本の片山とロシアのプレハノフが「反戦の握手」をした、にもかかわらず、第二次大戦勃発においては、ヨーロッパの左翼が、ヨーロッパ全体を当時おおったナショナリズムに流され、自国政府の行なう戦争に協力したという事実。こういう「負の歴史」を引き継ぐべきでないのですよ。 |
||||||
![]() | ||||||