| 33200 | 返信 | ご指名遊興はなんのため? Re:植民地は何のためか? 石橋湛山/満州放棄論 | URL | ピッポ | 2005/02/25 12:49 | |
| 小林さん あなたは、いつまで「ご指名サービス」を求め続けるのですか? 持論をきちんと述べて論点を整理し、誰かが応答するのをまったらどうですか? 「ご指名サービス」を求めるなら、 メールなり、「あなたのホームページ」で、存分に行ったらどうですか? 工藤猛さんなら応じるかもしれない、と梶村さんから振ったのでしょうが、 掲示板の私物化ですか? きっと管理人さんも快く思わないことでしょう。 「あなたのホームページ」で行うなら、 私も「ご指名サービス」、それなりに致してもよござんすよ。 ぜひ お尋ねしたときにはお茶のいっぱいもご馳走ねがいます。 URLを教えてください。 > 「満蒙は日本の生命線」 それなくては生きていけない。 必死、ということ、余裕などないということですね。 金持ちでありながら貧乏人から奪う、というイメージは 必至で余裕の無い当時の貧乏な日本人にはありませんでしたね。 しかし、 漢人、満人、朝鮮人など、その土地の本来の主たちの 必至さ余裕の無さは、けっきょく二の次で省みられませんでしたね。 だから侵略というのです。 どんなに「東亜共存」、隣人愛を唱えても、 自分達の「生命線」を優先する限り、 それはもろくも崩れ去るのです。 ※ 東亜観音の松井石根大将の運命が見事に象徴していますね。 自分達の「生命線」を優先する代表者、 参謀にして10月事件の首魁のひとり長勇中佐の 下克上的虐殺命令の責を蒙って処刑されてしまいました。 保守政治家、石橋湛山の警世の本義はそこにあるはずです。 「日本は儲けそこなったのだから罪一等を減じられる」 といった姑息なものではないはずです。 前坂 俊之 (静岡県立大学国際関係学部教授) http://64.233.187.104/search?q=cache:Q02aOdM1wk0J:www.u-shizuoka-ken.ac.jp/~maesaka/021226_contents/mannsyuujihenntoishibashitannzann_040224.pdf+%E6%BA%80%E5%B7%9E%E6%94%BE%E6%A3%84%E8%AB%96%E3%80%80%E7%9F%B3%E6%A9%8B%E6%B9%9B%E5%B1%B1&hl=ja&lr=lang_ja ====================================== 4・・石橋湛山は、満蒙放棄論を断固主張『東洋経済新報』で一貫して「個人主義」「小日本主義」を唱えていた 石橋湛山は満州事変勃発に際して、「近来の世相ただならず」と国の運命を危倶、満蒙放棄論の自説を断固主張し続けた。『朝日』『毎日』の態度や、満州事変直前まで軍縮を堅持していた『大阪朝日』の編集局長高原操と比べても、石橋の先見性と一貫性はひときわ光っている。 浜口首相が1930(昭和五年)11月に東京駅でテロにあい、幣原外相が首相代理となったが、翌年2月3日の衆院予算総会でロンドン軍縮条約の責任を天皇に帰したような発言を行い、大問題となり、議会では与野党の乱闘事件が起こる騒ぎとなった。 <写真・石橋湛山> この時、石橋は「国を挙げて非合法化せんとす」(1931=昭和6年2月14日号)を掲げ、議会だけではなく、社会全体が非合法化の傾向が著しい、と指摘。「過去の歴史にこれを観るに、総て社会の制度を固定し、柔軟性を失いたる時には、極って非合法暴力行為が盛行する」と「万機公論に決す」デモクラシーの必要性を強調した。 浜口内閣が倒れ、4月14日に第二次若槻内閣が発足したが、「近来の世相ただ事ならず」(同年4月18日号)では「世相はほとんど乱世に等しい」といい、「国は愈々暴力的無道に陥る外はない。世の中に道義を無視する程怖いものはない。国民が理性に信頼を失えば何を為すか分らぬ。記者は、近来の世相を諦視して、誠に深憂に堪えない」と警告した。 石橋の時代への鋭い洞察力は「指導階級の陥れる絶大の危険思想」(同年5月2日号)にもあらわれている。指導階級の無責任と勇気のなさを真正面から批判、「我国の治者階級、指導階級の -------------------------------------------------------------------------------- Page 5 人々が、殆んど挙って、直面せる経済困難、社会不安に引きずられ『何うにかなるだろう』の頼りなきイジけた慰めにかくれ、これを克服する積極的の計画と実行に従う勇気及熱誠を欠くことである。……この困難不安に対し『何とかなるさ』で、時運の回転を待つ態度を改めないならば、記者は深く恐れる。その結果は、必ず近き将来に、今より幾倍の大難を我国に招くに相違ないことを」とその後の運命を予言している。「軍閥と血戦の覚悟」(同年7月4日号)では、若槻首相の軍縮路線を支持、「軍閥が男の信ずる国策に従順ならざる場合は、断然進退を賭して血戦せられんことを切望する。世論は必ず沸騰して若槻首相を支援するに相違ない」と言い切った。 そして、石橋の危惧が的中して、満州事変が起きるや、「内閣の欲せざる事変の拡大。政府の責任頗る重大」(9 月 26 日号)では、政府と軍部の不一致ぶりを「内閣が軍部の方針に屈し、其の引き回すままに従ったということだ。……内閣は亡びたに等しい」 と批判した。 5・・石橋は一貫して満州問題解決の根本方針を論ず 高原操が事変勃発によって主張を百八十度転換したのに対して、石橋は態度を変えず「満州問題解決の根本方針如何」(9 月 26 日、10 月 10 日号)で二回にわたり満蒙放棄論を展開した。 石橋は我国の満蒙の特殊権益の確立は力で無理押ししても、中国民衆のナショナリズムによって不可能であることを事実に基づいて論証し、説得力があった。 満蒙問題の解決方法は中国の統一国家建設の要求をどう見るかにかかっているとし、 (1)中国の統一国家運動を力で破壊しても、再び悪い形で運動が起らないか。 (2)力を持ってたたきつぶすと旧ドイツ帝国の二の舞に陥らないか。 (3)満蒙を放棄すれば果たして我国は亡ぶのか。人口増は領土を広げても解決しないし、鉄、石炭の原料供給基地の確保という面も、平和の貿易で目的を達せられる。力づくの必要はない。(4)満蒙は生命線という国防上の主張はあたかも英国が国防上、対岸の大陸に領土が必要というのに似ており、日本海で十分である。 -------------------------------------------------------------------------------- Page 6 ――と当時、満蒙特殊権益の擁護一色にそめぬかれた国内世論で、これだけ堂々と反対論を展開したものはなかった。石橋の驚くべき卓見であった。「未曽有の外交失敗」(10月31日号)では、国際連盟理事会における対応の誤りを指摘、「非合法傾向愈よ、深刻化せんとす」(同日号)では、再び世の中の非合法的傾向に強い憂慮を示し、「今の我国は有史以来稀に見る危機に立てることを断言する。しかもそはただ啻に内政に於てのみならず、外交に於てまた然り。がこの外交の危機なるものも、その因って来る所を尋ぬれば畢竟内政に対する国民の希望の喪失に根底する」と鋭く洞察していた。 6・・石橋は学者、知識人、ジャーナリストの勇気のなさを批判 こうした有史以来の危機に対して、新聞や学者、評論家らのジャーナーリズムが軍部を恐れ、時代になびく姿勢を批判、「真に国を愛する道――言論の自由を作興せよ」(同年十一月十四日号)で日蓮上人が困難に対して、「我れ日本の柱とならん」と誓い、如何なる権力も恐れなかった、ことを引き合いに出して、警世の社説を貫いた。思わず身が引き締まる内容である。「或部分に対しては法規に依る言論圧迫もある。が、記者は今日の我国が斯くも無慙に言論の自由を失った最も大なる理由は我学者、評論家、識者に、或は新聞其他の言論機関の経営者に、自己の信ずる所を憚る所なく述べ、以て国に尽すの勇気が六百五十年前、日蓮の有したそれの百分の一も存せざることにありと考える。それ所か、中には、我国が、現在表面的世論に迎合さえして、心にもなき言論をなしつつある者も絶無ではないかに察せられる。……最近の我国は、実に恐るべき非合法運動に、一歩を誤らば、飛んでもない事態に立ち至らんとする危機に臨んでおる。この狂欄を既倒に廻す方法は、若しありとせば、唯だ自由なる言論の力のみだ。然るに其自由なる言論が或力に圧伏せられて、全く屏息したのでは国家の前途を如何せんである」石橋の透徹した批判は十五年戦争の敗北と言論の屈服を見事に予見していたので -------------------------------------------------------------------------------- Page 7 ある。 > 工藤猛さん こんにちは > > 梶村太一郎さんから気の抜けたビールと拒絶されたのですが、工藤猛さんにお相手願えないでしょうか? > > 日本は何故満州を植民地にしたのでしょうか? > > 「満蒙は日本の生命線」などというスローガンがありましたが、生命線と言うのはどういう意味だったのでしょうか? > > 工藤猛さんはどう考えますか? > > さて日本の左翼はこの理由を、「儲ける為に決まっている」とあまり考えようとしません。 > > 日本は満州で現地の人を奴隷のように使ったり、資産を奪ったりして、儲ける為に植民地にした、と今でも信じているようです。 > > つまり簡単に言えば、植民地にしたことを、泥棒をしたと同じことと考えてるようです。 > しかしこれは何とも我々の父祖に対して失礼過ぎないでしょうか? > > 勿論泥棒もいたし、国として泥棒をしたと言える要素もあったことは確かですが、日本人全体が泥棒になったわけではないと思うし、満州に行った人全てを泥棒扱いするのは短絡的だと思います。 > > そもそも泥棒だったとしたら、一体金額にしてどれくらいの被害を与えたのかの目安が必要ですが、そんなものが作れるはずがありません。 > 泥棒は例外に過ぎないからです。 > > それでは経済活動として、満州は儲かったのでしょうか? > これは大損だったというのが最近の常識です。 > > それをその当時から主張していたのが、石橋湛山氏でした。 > > 私は石橋湛山氏を信じていますので、現在の左翼の考えが不思議に思えます。 > 左翼は何が何でも日本の過去を悪く言いたいために、ぼろもうけをしたと言い張りますが、それは事実を調べた結論ではありません。 > 本当は大損だったのです。 > > 国家予算のレベルで見れば、完全に持ち出しです。 > 民間投資のレベルで見れば、莫大な投資があったという意味で資金収支は赤字で、それに対する配当は微々たるものでした。 > > 日本からの輸出増の大部分は、現地で産業を興すための投資でしたし、輸入は余り増加していません。 > 当時の日本の資本主義は、過剰生産に陥っていたことはありませんから、余剰商品の売り先を満州に求めていたのではありません。 > > もちろん資本余剰のはけ口を探すような段階にはありませんでした。 > > つまり経済的な理由で満州植民地化を説飯することは出来ません。 > > つまり儲ける為に侵略しましたが、結果として大損だった、というのが満州植民地の総決算だ、というのが私の考えですが、工藤猛さんはどう考えますか? > > > |
||||||
![]() | ||||||