| 33259 | 返信 | 三笠宮演説礼賛の落とし穴 | URL | 小林 哲夫 | 2005/02/27 18:31 | |
| とほほさん まいりました >『こう言うのを【相対化】と言います。(とほほさん)』 これは一本とられた・・・・。 ということでホロコーストの話題は終わらせます。 もともとこの話題は梶村太一郎さんに教えてもらうためでしたから、もう役を終えました。(教えてもらえないことが解ったので・・・。) ところでとほほさん 二日前に三笠宮の演説が紹介されているのを見て、私には大変勉強になりました。 > 『略奪暴行を行いながら何の皇軍か。現地の一般民衆を苦しめながら聖戦とは何事か。大陸における日本軍官民のこのような在り方で、いったい陛下の大御心にそっているとでも思っているのか(三笠宮演説)』 この演説内容には梶村太一郎さんも賛成されていましたが、私も同感です。 昭和天皇の胸中も恐らく三笠宮と同じだったと推測できます。 しかしこのように三笠宮を礼賛したのでは、間接的に昭和天皇を弁護することとなりますが、梶村太一郎さんなどはそれで宜しいのでしょうかね。 私はもともと昭和天皇に責任があるとすれば、それは形式的責任だけで、それ以外の責任を問う気はありませんでしたし、人間的には尊敬できる人だと思っていましたので、それで問題は無いのですが・・・・。 それはそれとして、やはりこの演説を手放しで礼賛して済ませれるものではないと思います。 というのは三笠宮が非難しているのは、略奪暴行を行っている兵士達だけで、侵略そのものを反省したものには思えないからです。 これでは悪質な下級兵に全ての責任をおっ被せている論理にならないでしょうか? 「略奪暴行をしないで、真の日本人として戦うべきだ!」と言っているに過ぎないのではないでしょうか? 勿論戦争犯罪を含む酷いことを日本軍はしたのですから、その部分を非難することは必要ですし、三笠宮の立場からこのような演説が出来たことは尊敬できます。 しかし我々はそこに留まってはいけないのではないでしょうか? 中国を侵略した、そのことを反省するのでなければ、本当の反省にならないと思います。 現在の我々にとっては三笠宮演説の礼賛をして、それで満足していてはいけないと思うのですが、如何でしょうか? |
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