| 33270 | 返信 | 三笠宮演説礼賛の落とし穴(2) | URL | 小林 哲夫 | 2005/02/28 06:32 | |
| 梶村太一郎さん こんにちは >『面白い逸話ですね。(梶村太一郎さん)』 演説を礼賛した元投稿に迎合して「面白い」と言っているので、てっきり賛成の意思表示だと見えるのですが、良く考えるとチョットおかしいので、梶村太一郎さん大丈夫かな?と心配になったのですよ。 礼賛ではないことは解りましたが、このままでは礼賛に近い気持ちだと思われてもしかない状態ですよ。 「礼賛なんかしていない!」で終わりでは、結局梶村太一郎さんは演説に対してどの程度賛成しているのか、それとも反対しているのか、読者には解らないのですよ。 さてわざわざ餌を投げておいたのですが、気が付かなかったみたいですね。 三笠宮演説の「落とし穴」の部分です。 我々にとってのこの演説の問題点は、東京裁判でいうところの「平和に対する罪」の認識が無いところなのです。 この演説を論ずる人にも、この平和に対する罪の認識が欠落しているのが問題なのです。 梶村太一郎さんにこの罪に触れてもらいたかったのですが、梶村太一郎さんも失格のようです。 つまり日本人の頭の中から、「平和に対する罪」の認識がすっぽり落ちているという点に大問題があります。これが落とし穴です。 「平和に対する罪」という概念を本当に信じているのなら、あのような演説に満足できるはずが無いでしょう。 日ごろ昭和天皇の有罪を主張している人なら、当然そのことに気がつくはずでしょう。 ところがそんな反応は全然見られませんでした。 つまり日本人は実のところ、「平和に対する罪」なんてものは信じていないのです。 それどころか頭の中にそういうものは存在しないのです。 アメリカ様が有罪と言った人だけが有罪で、アメリカに訴追されなかった人は無罪と言うことに過ぎません。 しかしこれでは日本人自身の自発性と言うものが全く感じられません。 今からでも遅くありませんから、三笠宮と平和に対する罪の関係について、どなたか論じてもらえないでしょうか? 「罪と責任」の討論の方は、梶村太一郎さんからのお誘いでお付き合いしているだけですから、梶村太一郎さんがやる気が無いのなら、私は止めることに異存はありません。 |
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