33279 | 返信 | 三笠宮は黄門さま | URL | 小林 哲夫 | 2005/02/28 18:02 | |
梶村太一郎さん 三笠宮演説の引用 > 『略奪暴行を行いながら何の皇軍か。現地の一般民衆を苦しめながら聖戦とは何事か。大陸における日本軍官民のこのような在り方で、いったい陛下の大御心にそっているとでも思っているのか!(三笠宮演説)』 > 退席されるや否や、総軍高級副官が冷汗をぬぐいながら、 >「只今のお言葉は、何ともその、恐れ多い次第であるが、その何というか、あまり、いやまあ、なるべくだな、外部には、口外せんようにな。」 私の好きな黄門様ドラマに変換してみます。 (助さん)「この菊の紋所が眼に入らぬか!このお方をどなたと心得る。このお方こそ三笠宮殿下にあらせられるぞ!頭が高い!控えおろう!」 (殿下)「汝ら悪代官どもの中国での暴虐の振る舞いがどれだけ陛下の御名を汚していると思うか?恥を知れ!恥を!」 (悪代官)「ハハー、恐れ入りました」と冷や汗たらたら。 というおなじみの一幕でした。 私は昭和天皇に思うことがあります。 終戦の御聖断をもう一年早くしていただけたら、日本人戦死者三百万人の半分以上は死ななくてすんだのに、と言う恨みがあります。 この御聖断の遅れを天皇の戦争責任の一部だという考えがあります。 この責任の意味は、戦争を終わらせることが出来る権限を持った人が、その職務を遂行しなかったのは、不作為の罪がある、というものです。 しかしながら1945年の時でさえ、暗殺の計画があったほどですから、一年前なら確実に暗殺されていたでしょう。 しかしそういうことよりも、この天皇の責任を追及する左翼には大きな自己矛盾があります。 天皇に独裁者としての権力行使を期待している、という矛盾です。 要するに左翼も、天皇に黄門様になってもらいたかった、と白状しているだけです。 天皇を独裁者として糾弾している左翼が、独裁者になって欲しかったと期待しているのです。 そもそも天皇は満州某事件の時にポロッと本音を漏らしたばかりに、首相辞任を招いてしまって以来、政治的発言をしなくなったのは周知の事実です。 昭和天皇は決して独裁者でも黄門様でもありませんでした。 それなのに左翼でさえ、知らず知らずの内に天皇に黄門様になって早く戦争を終わらせて欲しかった、と思っているのですから、日本人の黄門びいきは骨の髄まで染み込んだものです。 さて私が黄門ファンだというと私のことを低俗趣味と軽蔑するインテリが居ると思いますが、私は黄門ドラマをバカにするインテリこそ馬鹿者だと思っています。 そういう人は先ず日本人の心を理解することが出来ません。 もっと悪いことに自分が日本人であることを気付く機会を捨てています。 要するに日本をドイツから見ている、よそ者になってしまいます。 日本人は心の底から黄門様の出現を待っているのだということを三笠宮演説によって解って欲しいと思いました。 |
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