| 33316 | 返信 | 「平和に対する罪」(3) | URL | 小林 哲夫 | 2005/03/02 08:21 | |
| 梶村太一郎さん こんにちは 応答責任は免除しますので、お気軽に読んでください。 >『へ〜〜〜、そ〜うですか、「平和に対する罪」というのが、この三笠宮の逸話の時に、すでにあったことは私も知りませんでした。(梶村太一郎さん)』 これは「平和に対する罪」と言う概念が東京裁判で初めて作られたものだから、それ以前にはそういう罪はなく、それを三笠宮に追求することは出来ない、と言う意味だと思います。 この考え方には二つの問題があります。 1、梶村太一郎さんの主張は、明らかに東京裁判の事後法適用の問題を提起していて、東京裁判無効説につながるという問題です。 三笠宮が無罪なら、昭和天皇も無罪と言うだけでなく、既に処刑された戦犯の方々も全て無罪という意味で宜しいのでしょうか? (サンフランシスコ条約で東京裁判を認めていますから、今更アメリカに抗議するという問題ではなくて、現在の日本人の認識の問題に過ぎませんが・・・。) 2、梶村太一郎さんは「平和に対する罪」についての法律の規定が無かったから、三笠宮には当然何の罪も無い、と飛躍していますが、それは軽率だと思います。 「法的な責任が無い」ということを「何の責任も無い」と繋げてはいけないのです。 何故ならば法律が作られる前提に、既にそこには「世間の人が誰でも悪いと認めざるを得ないが未だ法的ではない、罪」が存在するのです。 その道徳観念に基づいて、法律が作られるのであって、誰も悪いと思わないことを突然犯罪に作り上げることは許されません。 三笠宮演説の時に、平和に対する罪の法律規定は無かったとしても、それは悪いことだと認識できる何かがあったはずです。 これを解りやすく言えば「道徳的罪」かもしれません。 これは具体的には「日本が侵略戦争を始めた罪」と言っても良いかもしれません。 私は満州帝国を作ったことから始まった以後の戦争を侵略戦争だと認識していますが、これらの戦争を支持し、肯定した人は全てこの侵略に責任があると考えます。 三笠宮演説にはこの「侵略」の自覚と認識が無いから、賛美するだけに終わってはいけない、というのが私の主張です。 ところが梶村太一郎さんは、この当時三笠宮にそのような自覚が無いのは当然だと書いています。 これも梶村太一郎さんのいうことは正しくて、この当時の誰にも、この戦争が侵略戦争だという認識はありませんでした。(共産党員を除く) だから勿論三笠宮に侵略の自覚が無いのは当然です。 さて誰も悪いことをしていたと思っていなかったことは、一体本当に悪いことだったのでしょうか? もし東京裁判が無くて、日本人が自ら裁いたとしたら絶対に有罪にならなかったでしょう。 今もう一度、日本人だけで東京裁判を再現したら、今度は全員無罪になると推定できます。 この問題に付いては次回に。 |
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