33402 返信 民族自決権 など Re:Укра巡淀~а (Украина), 遵ッire (Ireland) Re:漠然としすぎた質問Re:森永さんへ URL 森永和彦 2005/03/05 04:12
いわゆる「民族自決権」という原理が国際法に取り入れられたのは第1次世界大戦後ですが、国際社会主義運動においてはそれ以前からこれが存在しました。だがこれがどのような経緯で広められたかについては研究が必要で、現時点では私には良くわかりません。

MarxとEngelsは、明らかに「民族自決権」という思想は持っていませんでした。彼らは「ヨーロッパの歴史的大国民」には「自決権」を認めていましたが、「歴史なき民族」には、「自決権を認めることなどばかげたことである」と主張していました。彼らはPolskaの独立・再統一を情熱的に支持しましたが、これは「民族自決権」とは関係なく、彼ら独特の偏執的反ロシヤ主義によるものでした。彼らは同じ理由から、オスマン帝国を支持し、オスマン帝国からの解放を求めるスラヴ系諸民族を敵視しました。当時のMarxとEngelsの著作を見ると、彼らは明らかにMagyar民族主義者などのプロパガンダを鵜呑みにしてSrbijaなどの南スラヴ人について誤った判断をしていたことがわかり、彼らの判断を信用すべきではありません。

Mehring『ドイツ社会民主主義史』などを読めばわかるように、国際社会主義運動においてはMarxとEngelsの影響力は絶対ではなく、非Marx主義的諸潮流が存在しました。「民族自決権」を主張したのはБакунин (Bakunin)などの潮流でした。

ロシヤの文脈では問題はもっと複雑です。ロシヤのマルクス主義は、Бакунинなどの人民主義の潮流から発達したもので、当初から著しく非マルクス主義的要素をもっていました。農民に対する態度もそうですし、「Jacobin主義」的な革命観もそうです。「民族自決権」も、そのような非マルクス主義的要素の一つと思われます。

ロシヤにおける社会主義革命は、国際社会主義革命の第1段階とみなされていましたが、西欧革命の失敗(特に1923年のDeutschlandの敗北)によってソ連の孤立が固まり、コミンテルンにおいてもソ連の支配が強まりました。そういった中で、Ленинが神格化され「マルクス=レーニン主義」なるものが作られ各国に輸出されていきました。その過程で、本来のマルクス主義とは相容れない「民族自決権」もドグマ化され世界に広められたものと思われます。