33838 | 返信 | Re:竹島問題と「民衆」のひとりtpknさん | URL | inti-sol | 2005/03/23 20:17 | |
竹島について なにが「普通」なのか、私にはよくわかりませんが、私の見る限り、こんな人の住むこともできない絶海の孤島の領有権など、「普通」にはどっちでもいいだろう、と思います。尖閣諸島のように海底資源の権益が絡む場合はそうも言っていられないけれど、竹島の周辺にそんなものがあるという話は聞いたことがないので。 で、現に竹島(独島)を実効支配しているのは韓国である、この現実は重いと思われます。歴史的な経緯も重要ではありますが、しかし国境線など時代とともにいいように動かされてきたことも現実ですから。 以下我が国の外務省のホームページからですが (イ)日本は古くより竹島(当時の「松島」)を認知していた。このことは多くの文献、地図等により明白である。 (注:経緯線投影の刊行日本図として最も代表的な長久保赤水の「改正日本輿地(ヨチ)路程全図」(1779年)では現在の竹島を位置関係を正しく記載している。その他にも明治に至るまで多数の資料あり。) (ロ)江戸時代の初期(1618年)、伯耆藩の大谷、村川両家が幕府から鬱陵島を拝領して渡海免許を受け、毎年、同島に赴いて漁業を行い、アワビを幕府に献上していたが、竹島は鬱陵島渡航への寄港地、漁労地として利用されていた。また、遅くとも1661年には、両家は幕府から竹島を拝領していた。 (ハ)1696年、鬱陵島周辺の漁業を巡る日韓間の交渉の結果、幕府は鬱陵島への渡航を禁じたが(「竹島一件」)、竹島への渡航は禁じなかった。 (ニ)日本は1905年(明治38年)、1月の閣議決定に続き、2月の島根県告示により竹島を島根県に編入し、竹島を領有する意思を再確認している。その後、竹島は官有地台帳に掲載され、また、竹島でのアシカ漁は許可制となり、第二次大戦によって1941年(昭和16年)に中止されるまで続けられていた。 イについては、「認知していた」ことと領有していたことは別次元の問題だと思われます。だって、尖閣諸島だって、中国は古い時代から「認知していた」と主張していますよ。それはそれで参考にはなるでしょうが、尖閣諸島が中国の領土であるという根拠になどなりません。 ロについても、1618年に伯耆藩の大谷、村川両家が幕府から「拝領した」という鬱陵島が、現在は韓国領であることに日韓ともまったく争いがない以上、それより後の1661年に「拝領」したという竹島が日本領であるという根拠としてはいささか薄弱です。 ハとニについては、これは日本の国内的な規定の問題であって、外国との関係とは無関係だと思われます。国内的に編入するだけなら、ソウルだって平壌だって、いやニューヨークだって日本のどこかの県に編入する、いや編入したことにすることはできますよ。それは極端だとしても、無人の南極大陸の、昭和基地の近辺を東京都に「編入」することもできるでしょう。 国内法的には、です。しかし、それは国際的に南極大陸がどこの国の領土と認知されるのか、とはまた別次元の問題です。 もっとも、では韓国側が主張する「独島が韓国領である根拠」というのも、どうも今ひとつ説得力を感じないこともまた事実です。 つまり、こんな(と言っては失礼ですが)無人島の一つや二つの領有権など、もともとはどうでもよかった、というのが現実であろうと思います。 それから、島根の「竹島の日」に対抗して「対馬の日」なるものを制定した韓国の自治体があるそうですが、当の韓国政府自身が「独島(竹島)を守ろうとする助けにならず、むしろ不必要な混乱を誘発する可能性があり、自制すべきだ」として撤回を要求している。まあ当然のことではあります。(対馬が韓国領である、などというばかげた話には何の説得力もないのですから) |
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