33851 | 返信 | Re:竹島問題と「民衆」のひとりtpknさん | URL | 毒芋虫 | 2005/03/24 04:39 | |
毒芋虫です。 > で、現に竹島(独島)を実効支配しているのは韓国である、この現実は重いと思われます。歴史的な経緯も重要ではありますが、しかし国境線など時代とともにいいように動かされてきたことも現実ですから。 年表(Wikipediaから抜粋) 1953年6月26日:日本側が竹島に「日本島根県隠岐郡五箇村」の標識を立てる 1953年7月12日:竹島に上陸していた韓国の獨島守備隊が日本の海上保安庁巡視船に発砲する。以後、日本政府の抗議にも関らず竹島の武装化を進め、日本の艦船の接近を認めていない。 1954年9月25日:日本政府は領有問題を国際司法裁判所に付託することを韓国側に提案。韓国政府はこれに応じず。 1954年11月30日:韓国側が竹島に近づいた日本警備艇に砲撃をくわえる。 執拗に指摘しますが、竹島はサンフランシスコ講和条約で認められた日本領土です。これに対し、武力を用いて占拠しているのは韓国の方です。国境線を武力で動かしてはならないというのは、第二次大戦後の明確な国際ルールです。 > もっとも、では韓国側が主張する「独島が韓国領である根拠」というのも、どうも今ひとつ説得力を感じないこともまた事実です。 > つまり、こんな(と言っては失礼ですが)無人島の一つや二つの領有権など、もともとはどうでもよかった、というのが現実であろうと思います。 1905年以前の韓国の地図に竹島が載っているものは一つもありません。(きっぱり。)もちろん、実効支配が及んだという証拠は何一つありません。(つーか、韓国人が渡航したという記録もない。)また、1905年2月22日の日本の竹島編入に対し、韓国は全く抗議をしていません。(これは判例上も致命的。) また、次のような記録もあります。http://www.geocities.jp/tanaka_kunitaka/takeshima/ 大韓地誌 大韓地誌は玄菜(1886 - 1925)という歴史家兼書道家によって編纂された地理書で、大韓帝国の学校でも使われたことがある。本の中で、「鬱島郡の行政地域は東経130度35分から45分までである」としている。竹島はその行政区の外、131度55分に在る。またこの本には大韓全図という付属図がついている。韓国は、この図に書かれてある于山島こそ現在の獨島であるとしているが、緯度や経度を見れば、この于山島はチュクドであることが分かる。 大韓新地志 in 1907 1907年に発刊した張志淵の『大韓新地志』では「鬱島(1900年に鬱陵島から鬱島に名称変更)の位置を130度45分から35分に至る」と認識していた。竹島の経度は、この鬱島の外にある。したがって先の勅令に挙げられた鬱陵島の属島である「竹島(Chukdo)」も「石島」も当然、東経130度45分から35分に至る間に点在する島嶼であったことを示している。 朝鮮常識問答 in 1946 鬱陵島を極東とする大韓帝国以来のこの領土認識は、日本の植民地支配が終わった後も変わりが無かった。崔南善(チェ・ナムソン:1890 - 1957)の『朝鮮常識問答』(1946年刊)では、朝鮮の地理上の位置を「島嶼を加えれば東経130度56分23秒から124度11分00秒」とし、「極東は慶尚北道鬱陵島竹島(チュクド)」としてる。 韓国が竹島を自国領であると考えていたかどうかすら確認できませんね(仮に、自国領であるという認識があっても実効支配を伴っていなければ法的に意味はない。)。韓国の主張は全く論外です。inti-sol様が言うように、江戸時代から竹島が日本領であるという主張に無理があるとしても(毒芋虫は別に無理ではないと考えていますが)、1905年2月22日以降の日本の領有権は揺らぐものではありません。 |
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