| 33913 | 返信 | Re:韓国政府声明全文翻訳 | URL | tpkn | 2005/03/26 04:05 | |
| ▼兼松真哉さん > まず、非人道的な行為を行った主体にはそれを償う責任があるということを私は公理として採用します。よって、そのことに同意いただけない場合は、tpknさんとは議論できないのかもしれません。 「踏み絵」ですねえ…。あなたは、「人権を否定するものとは議論しない」「民主主義を否定する者とは議論しない」と同じぐらいの重いことを、さらりとおっしゃっているのですよ。そういう意識はありますか?(笑) > 前述の公理の上で、非人道的な行為を行った責任は金銭の債務のように右から左に渡せるものだと私は思いませんので、上記の例の「同様」だという考え方には同意いたしません。 なぜ前述の公理に立つと「非人道的な行為を行った責任は金銭の債務のように右から左に渡せるもの」ではなくなるのか、私はいまいちそこがよくわかりません。「非人道的な行為を行った主体にはそれを償う責任」があるのは、もちろん明らかです。というか、そんな大層な言葉を掲げるまでもなく、「犯罪や不正行為を行った者はその責任を負う」という、通常の一般的な原則をそのまま適用してよいのではないかと思いますが。 私は、その場合にも責任は有限であるべきだと考えていますし、多くの法律がそうした考えにしたがって作られているのではないかと思います(法学を学んだことがないので定かではありませんが)。つまり、何をもって「犯罪」や「不法行為」とみなし、何をもって「償った」とみなすのかが、はっきりと目に見える形として認識できるものでなければ、それは「公理」たりえないのではないでしょうか。 たとえば国内の刑法であれば、罪刑法定主義がそれに当たるでしょう。何をやればどのぐらいの罪に問われるのか、法律で決まっていないことをやっても犯罪とはなりません。もちろん、帝国主義時代末期に戦争犯罪に関しては基本的に罪刑法定主義など適用できないことは明らかで、だからこそ事後法で裁かれた東京裁判にも、一定の根拠が認められるのでしょう。 さて、その東京裁判が刑事訴訟だとすると、個人被害者の賠償請求は民事訴訟にあたるのではないでしょうか。殺人罪を犯した人が、お金を払って他の人に刑罰を肩代わりしてもらうことは不可能ですが、損害賠償であれば、「金銭の債務のように右から左に渡」すことは可能です。なぜなら、その目的は、形として「賠償金を得る」ということであって、それ以外ではないからです。交通事故の遺族が犯人に損害賠償を請求する場合でも、その額は言い値ではなく、裁判所によって審理されるわけです。いくらかけがえのない私の息子の命の値段は1兆円だ、と主張しても、おそらくそれは通らないでしょう。また、その賠償金が、本人の財布から支払われるか、それを肩代わりした会社の財布から支払われるかも、請求した側には特に関係のない話でしょう。 で、日本と韓国の場合、おっしゃる「右から左」というのが違うのではないかと思うのですね。これも卑近な例にたとえれば、集団訴訟によって賠償金を得たところ、原告団の代表者がそれを使い込んでしまい、個別の原告に渡らなかった、というようなケースに似ているのではないでしょうか。この場合、各原告が再度被告に対して賠償金を請求すると、二重取りとなってしまいます。兼松さんのおっしゃる「償う責任」という言葉でいえば、韓国政府は個人賠償に当てることを前提に、日本の経済協力金を受け取り、それを個人賠償に回さなかったわけです。つまり、責任は有限である以上、日本はそれについてすでに果たしていると見るべきかと思います。 問題は、戦争被害者個人と韓国政府がはたしてこのような単純な原告個人と原告団代表のような関係にあるのかどうかということですが、そこのところはよくわかりません。しかし、私の頭で常識的に考える限りでは、こういう結論になってしまいます。日本国家の犯した罪や原告の不利益が金銭という目に見える形によって贖われる限り、いちばん重要なのは「誰が直接支払うか」ではなく、「誰が受け取るか」ではないでしょうか。つまり、形としてはあくまでも「金銭そのもの」であり、またそれ以外を目的とすることは近代の法体系では許されていないのではないかと私は理解しています。 > もちろん、借金のような債務の場合でも右から左へ渡せない場合はあります。が、遅滞なく返してもらえれば、誰からでも良いという場合が多いだろうということは常識的に言えると思います。この場合は、普通、金銭そのものが目的です。しかし、非人道的行為の償いを金銭でするのは、完全な償いとはなりえず、だからこそ、謝罪の要求も出るのでしょう。 それが金銭の要求である以上、「誰が」を重視し、それによって「完全な償い」となるかどうかが決まるというのは、非常に前近代的な考え方ではないかと思います。これもウロ覚えですが、たとえば民事訴訟において「真摯な謝罪をせよ」というような訴えを起こすことはできないそうです。必ず、「賠償金として○○払え」、または「謝罪広告を掲載せよ」のような、目に見える形になります。なぜかというと、仮に「真摯な謝罪をせよ」という判決を出したとしても、それが「真摯な謝罪」なのか「口だけの謝罪」なのか、裁判所も誰も判断することができないからです。謝罪を受け入れるかどうか、それによって心の平穏を取り戻すかどうかは、一人被害者のみが決定できることだからですね。ですから、「そんな謝罪では私の心は満たされない」ということになれば、被告は判決内容を実行することすらできず、それによって新たな罪を重ねてしまうことになります。そしてそうなるかどうかは、原告の一方的な意向で決まります。近代法は、これを不公正とみなしているのでしょう。 非人道的な行い、たとえば殺人などについて、「完全な償い」とは死んだ人を生き返らせる以外にはありえません。同じように、心の傷に対して「完全な償い」をすることは、時計の針を戻さない限り原理的に不可能なのですね。近代法は、そこには立ち入れないことになっているのだと思います。 > 前述のように「右から左に渡せるものだと私は思いません」ので、条約を結んだことで「日本国が支払う義務を有していないからです。」という考えにわたしは賛同しません。そのことが、国際法の通説判例に一致しないとしても。 国際法の判例というものも見たことがないので私もなんとも言えませんが、上記のように考えなければ、「公理」たりえないでしょうし、そうした原則を無視して「わたしは賛同しません」という理由で反対しても、「何をもって完全な償い」とみなすかを兼松さんが定義できなければ、それはやはり「公理」たりえないと思います。 > > ...略... すでにそれを知った以上、日本にだけ賠償を求めるのは順番が違いますし、ましてや韓国政府が「個人被害者に対する権利保護は普遍的人権問題であって国家は剥奪できない」などという屁理屈でそれを正当化することなどできないのではないでしょうか。 > > 「...国家は剥奪できない」という言明を、「屁理屈」とか理屈であるというように、わたしはみなしていません。それは、ひとつの理念とか思想だと思います。 それは理念であり思想であるかもしれませんが、少なくとも韓国の大統領が公に言えば、屁理屈となってしまいます。なぜなら、韓国という国家は日本とそういう「契約」をしたのであり、それはその契約をと相反する「理想」だからです。すなわち、言ってはいけない立場の人、のはずなんですね。 > 「韓国政府はまずその義務を果たすべき」には同意します。ですが、韓国政府が義務を果たそうが果たすまいが、「わしはどうしても日本に賠償を請求する」という方々に賠償するための法律を日本は制定し、そのような方々に謝罪と保障をする(そのことによって救済する)べきであると、わたしは考えます。 > そして、そのような被害者の方々の立場に立った発言を韓国の国家元首がすることをわたしは歓迎します。 つまり、なぜ「わしはどうしても日本に賠償を請求するニダ!」というのが、現時点で無理があるかと申しますと、上記の「有限責任の原則」(法律用語ではありません。今勝手に名付けました。これはたぶん法律用語としては会社関係なのかな)に反するからです。 > > また、繰り返しになりますが、植民地支配および戦争中に生じた請求権の一切は、条約の文言により「範囲外の事案」たりえないのです。 > > すくなくとも、「わしはどうしても日本に賠償を請求する」という方々は「範囲外の事案」だと、わたしは思います。条約を文字通りに解釈して、それに固執するよりも、被害者をより満足させる方法で救済するほうが人道的に好ましいと、わたしは思います。 えーと、それは、被害者が韓国政府から賠償金を受け取った後、それでも全然足りない、という事態が生じた場合の話ではないでしょうか。そういう段階や手続きを抜きにして「被害者をより満足させる」ことを求めるのは、日本という国家に対して著しく不公正であります。上にも書きましたけど、いくら賠償金を1兆円出せと主張したところで、1千万円しか認められないものは1千万円しか認められませんし、「真摯な謝罪」を必ず実行することは誰にもできません。これは「被害者をより満足させる」という原則からは当然外れますが、そうしなければ今度は加害側の権利を著しく侵害することになってしまうからですね。 そもそも「わしはどうしても日本に賠償を請求するニダ!」を「範囲外の事案」と考えることに無理があります。これは、戦争被害そのものではなくて、被害者の気持ちの問題でしょう? 上に書いたこととダブりますが、原理として、法や制度というものは、最終的に個人の気持ちを完全に満足させることはできないのだと思いますし、また、そういう目的のために使うものではないと思います。 > しかし、そのような直接的な例があるなら「誠実さに欠ける」と述べているのではなく、とにかく、資料の焼却が例外的とは言えない程度に行なわれたという事実があるから、そのようなことをした連中は「誠実さに欠ける」と述べました。(資料焼却があったこと自体は御存知でしょうが、事例は以下などで紹介されています。) 仮に「誠実さに欠ける」として、ではその不誠実によって被った「被害」というのは、どのように算出するのですか? 資料の焼却や非公開については、韓国が条約を結んだ時点でわかっていたことですから、これもまた後出しジャンケンでしょう。また「そのようなことをした連中」と、日本国家は同一ではないのでは? 「そのようなことをした連中」は、もしかして東京裁判で裁かれ戦犯とされたのではないですか? だとすると、これは「一事不再理の原則」(同じ犯罪について二度裁いてはいけない/日本国憲法では39条)に反すると思いますが。 > 前述のように、「韓国政府が義務を果たそうが果たすまいが」と考えておりますので、 韓国政府に義務を負わせることよりも、被害者の救済の方を重視しております。韓国政府の糾弾は韓国国民におまかせすれば十分であると思います。 被害者を救済すべきは、まず韓国政府です。そういう約束をして国庫からお金を払っている以上、日本政府や日本人は、韓国政府がそれをやらなかった場合、非難したり糾弾したりする正当な権利を持っています。別にそれを声高に言い立てるようなことは、誰もしていませんけどね。兼松さんのお考えは、「人道」というキーワードにとらわれすぎて、基本的な責任や権利義務をあまりにもないがしろにしていないでしょうか。 > > 「明らかになっていなかった戦争被害」とは、どのようなものでしょうか? また、それが明らかになっていなかったことは、日本政府に責任があるのでしょうか? この二点がはっきりすれば、兼松さんのおっしゃることも一理あるかとは思います。 > > 御推察のように、従軍慰安婦問題です。(他にもあるでしょうが、知識不足なので限定します。) > そして、それが明らかになっていなかったことは、日本政府に責任があると、わたしは考えます。その理由は、報道されたように、以下のような政府の対応と資料の発見が1990年代であり、このような事実を明らかにすることを日本政府は結果として怠ってきたからです。(もちろん、わたしを含む日本の有権者にも責任はあります。) > > 「従軍慰安婦」1、日本政府の対応 > (http://www.han.org/a/half-moon/hm011.html#No.104) 従軍慰安婦問題については、よくわかりません。これがもしおっしゃる通りのことであれば、兼松さんの言い分にしたがって例外を認めるのもよいかもしれません。しかし、従軍慰安婦にしろ強制連行にしろ、戦争当時からその存在は知られていたわけですから、これを範囲外の事例とするのは、おそらくかなり難しいのではないかと思います。また、もしこういった個別の事例を想定していたのだとすれば、ノ・ムヒョンの言葉はそれとはあまりにかけ離れた一般論であり、非常に問題のある表現だと思います。 まあぶっちゃけて言いますとですね、こうやって掘り出していくと、そりゃどんどん「責任」のあることは出てきますよ。10年後にも、20年後にも出てくるでしょう。50年後にも出てくるでしょう。その度に、新しい法律を作って対応するのですか? いったいいつまで日本は「責任」を明らかにし、償い続けるのでしょう? 100年後も200年後もでしょうか? 韓国や中国の考え方からすれば、賠償請求権だって遺族や子孫に代々受け継がれますよ。それで本当に国家対国家の関係として、正常なものと言えますか?(ここは「普通に」考えてみてください)。 近代国家において罪を償うというのは、有期刑であったり有限の損害賠償であったりするわけです。そして、本来なら犯した罪も責任も消えないはずですが、それぞれに時効もあります。そういう考え方を導入しないと(すなわちそれが日韓条約だと思いますが)、もう全く未来はないのではないでしょうか。兼松さんの考え方は、本当に誰にも公平に「人道的」だと言えるでしょうか? ▼ピッポさん あなたは私と議論をしたいのか、それとも私を誹謗中傷したいのか、どっちですか? > 小細工好きの、鏡の前のtpknくんへ > > > 相手の質問や指摘には答えずに一方的に自己満足投稿を書き散らかすのはやめていただけませんか。以下、スペースがもったいないので小さな字で書きます。テキストエディターか何かにコピペしてからお読みください。 > > > 相手の質問や指摘には答えずに > > 答えた。そもそも、キミが私のレスを見逃したにすぎない。 > 見逃したものを見つけたのかどうか、またキミが満足できたかどうかは感知しない。 > > キミが読めと言うものは、読んだ。それに対してキミは、どうせ読んでいない、とだけいった。返す言葉がない。それだけのこと。 > > その時は、きみが詭弁の名手だとは思わずに読んだ。 > しかし今度は、きっと詭弁の名手のモノとして読み直すだろう。 > > > 私の書き込みは > http://otd2.jbbs.livedoor.jp/mondou/bbs_plain?base=33862&range=1 > > 以下のような無礼なものは取り合わない。 > > > > tpknクンの小細工の中身 > (言っとくけど、こんな小細工をしてもサーバースペースの節約にはならんのだぞ) サーバースペースの節約ではなく、画面上のスペースの節約です。前にも言ったでしょう。無駄な1行アキはやめてくれと。 > ”tpkn”が鏡の前で「アホ」といえば、鏡の向こう”の逆さtpkn”が「アホ」という。 > ただそれだけのこと。キミがいっているのはそんなことかな? > どうやら”詭弁”だなんて、誉めすぎだったようだね。 > > 島根県が「竹島の日」など制定したのはアホです。そんなアホに対抗してマサン市が「対馬の日」制定というアホをしたのです。それに対する韓国政府による即日撤回要請が茶番劇だとすれば、「島根県のことは日本政府は感知しない」も大茶番ではないですか。tpknクンのいっていることは、鏡を立ててみれば、韓国側主張の鏡像でしかありません。置換可能な双方等値の紋切り型、三百代言といってもよいでしょう。 > > 領土問題のパターンはいつもこれ! > 力道山vsルーテーズ、その応援と変わらないね。tpknクンも。 > > 韓国主張の「当然、独島は韓国領だ」を「当然、竹島は日本領だ」に入れ替えれば、”tpknのたまわく”にキッチリなる。偉そうに韓国側の騒ぎは尋常でないというが、その騒ぎのきっかけを誰が作ったかを無視できない。無視が許されるのは、プロレス応援団だけ。 > > 私は、「国際機関が決めたかのような、言葉のズラシ」といった。「・・・かのような」は当然比喩。国際機関などない、あたりまえです。1905年の件は、朝鮮半島全体の軍事制圧下の中で、日本が決めたのです。日本が「決めた」ので国際法的にも「決まった」というから、韓国側は怒り狂うわけです。そこらへんのことに全く無頓着なtpknクン。 > アメリカが「決めた」ので国際的にも「決まった」、に戦後の日本人は怒り狂いました。 > アメリカが「決めた」ので国際的にも「決まった」、に現在のイラク人は怒り狂っています。 > 日本人なら良く分かることです。 > > 「竹島=独島」は、その後40年間の日本による軍事制圧実効支配のあと、マッカーサーラインの数年を経て、52年間の韓国による軍事制圧実効支配。 > > 振り出しに戻すには、どこまで戻すべきなのでしょうか? > わたしは、「竹島の日」以前。すなわち、1905年以前の「松島」だか「竹島」だかどっちでも良かった、入り会い漁場の状態に戻すべきだと思います。 そんなどうでもいい結論を繰り返すために、いちいちレスしないでくださいな。うっとうしい。 |
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