| 33941 | 返信 | 抵抗ナショナリズムのもつ排外性は、「日本」だけに向けられているものなのか? | URL | 帽子屋 | 2005/03/26 20:14 | |
| tpkn、こちらではお久しぶり〜♪ > そういうことではなくてですね。国全体が日本で言う「右翼」のようなものになってるということですよ。「反日」を基盤としたね。つまり、戦争中のファシズム国家日本で鬼畜米英を基盤とした排外的ナショナリズムが国民の間に醸成されてきたことと似ているわけで、「結果的に排外的ナショナリズムを日本国内で作り出すことに手を貸している」とかそういうことは、この場合枝葉中の枝葉なのです。むしろ、それを「作り出している」主体があるとすれば、右派左派含めた韓国国民とその感情的熱狂でしょう。そもそも竹島の韓国編入は「米帝傀儡」たる李承晩が自国のナショナリズムを鼓舞するためにとった極端な反日政策の一環であって、だからこそ当時の日本共産党は反対を表明したのでしょう。現在の「独島」の熱狂もその延長線上にあります。左翼がこのようなあからさまな排外ナショナリズムを無邪気に擁護するのは、完全に論理破綻です(左翼の論理であれば不正義に対して「どっちでもいい」なんて言うのも擁護であり、ときとして「犯罪」のはすでしょう)。 抵抗ナショナリズムの排外性は、現今の所「日本」に向けられています。たしかに、「竹島」を契機に、指をきるなどのパフォーマンスなどが派手におこなわれていることは確かでしょう。しかし、ここでクマ投稿者やinti−sol投稿者、梶村投稿者などの「黙認」している人間も、そしてこれを批判する人間も視野から抜け落ちているのは、はたして抵抗ナショナリズムのもつ排外性は「日本」だけに向けられているものなのか?という視点ではないですかね。 途上国にあらわれるナショナリズムは、えてして「女性」「少数民族」などまで動員します。しかし日本にも当てはまりますが、途上国のナショナリズムは、ガヤトリ・スピヴァクが指摘するように、同時にこの「女性」「少数民族」などをいっそう「抑圧する主体」ともなってあらわれやすい。 韓国を例に取ればわかりやすい。従軍慰安婦に、「基金」設立で補償しようとした日本。このとき、韓国ナショナリズムは、どのような言い訳があったにせよ、基金をうけようとした元・慰安婦の女性に「売国奴」などの言語を絶する罵声をあびせかけることをいたしました。あまつさえ、毎日新聞によれば、あるナショナリズム団体は、罵声をあびせたある従軍慰安婦の葬式の際、一緒に葬式を主催したいとぬけぬけと慰安婦の親族と支援団体になのりでて、断固断られる始末。他にも、韓国人男性は韓国人女性と日本人が喫茶店で食事しているだけで、韓国人女性の悪口をいうなど、さまざまな事例があるでしょう。ここにみられるのは、韓国のナショナリズムがおもに男性を担い手としていて、日本を「他者」して批判するならばまだしも、その犠牲となりやすい「他者」には、確実に韓国人の「女性」が入っている構造でしょう。ここに、韓国人女性の美貌に対する「整形」願望の異様な高さを加えるとき、韓国社会において女性がいかに男性によって「恒常的な抑圧」の下におかれているかがわかります。それは、かなり強固な性差別ということも可能でしょう。韓国ナショナリズムは、かなりの程度、そうした性の抑圧をおこなうと同時にその抑圧を遮蔽してみえなくさせる、亀裂を隠蔽する機能を果たしている。 竹島などで極度の排外性をみせているけれど、こうした「排除」現象を「竹島」「領土」で語ること自体、韓国というか、ナショナリズムそのものが「恒常的」にかかえている、「自国内」「他者」(=女性)に対する「抑圧と排除」の機制を見失わせてしまっているといってよいでしょう。日本でいえば、在日という存在を無視するに等しい。このことが見えなくて、なにが左翼なのか?。ここで、韓国ナショナリズムとの対立を回避するために、微温的に「どっちでもいい」などとかんがえ、ナショナリズムの「抑圧と排除」を不問にふすこと自体、「男=クマ投稿者など多数」と「男=韓国ナショナリズム」の、男の友情というか、醜悪なジェンダーの野合をいささかもこえていないのではないか?。 こういう人間が、従軍慰安婦に対する国際女性裁判の何に賛成していたのか、帽子屋としてはいささか正気を疑ってしまいますね。 > 「日本の排外主義的ナショナリズムを助長する」という理由で他国の、それも日本と直接かかわる隣国の極端な排外的ナショナリズムを批判できないのであれば、それは本末転倒であり、大きな不正義です。そんなものが「真の日韓友好」につながるわけないでしょう。 仰るとおりだと思いますね。 ナショナリズムは、個人や地域とのむすびついた所を越えた想像的領域において、確かな「連帯」をなんらかの「共同性」にもとづいて打ち立てようとする、涙ぐましいまでの営為だとおもいます。たったいま、韓国ナショナリズムを批判した私が言うと、奇異にみえるかもしれませんが、その「抑圧」をどんなに批判しても、えられるものはやはり何もないでしょう。なぜならナショナリズム批判者はことどとく、別の「共同性」で想像的領域で修復して「連帯」しているだけにすぎないからです。だからこそ、批判者もそれを肯定して「国旗を焼く韓国人」も、涙ぐましい存在としかいいようがない。 暫定的でしかありませんが、そこに存在するナショナリズムをただひたすら「開く」ことをもとめるしかない。ナショナリズムという、「共同性」で打ち立てられるがゆえに「排除」をおびる「連帯」の絆を、とりあえず「開く」ようにもとめること。すくなくとも、アジア諸国間の友好をいうならば、「閉じた」ナショナリズムを批判することは、かれらの「自国内」「他者」を守るためにも避けて通れないでしょう 「自国内」「他者」の抑圧に口をぬぐい、表面的に「認めあい」友情をとなえた所で、アジアの友好などありえるはずもないし、不正義そのものでしょうな。 gaji姐さん禁漁池 葦と百合BBS 問答野暮用 |
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