33959 返信 Re:韓国政府声明全文翻訳 URL 兼松真哉 2005/03/27 00:51
五番街さん。
 資料の紹介ありがとうございます。その資料は見落していました。
 じつは、「「従軍慰安婦」19、日韓請求権協定」(*1)の方は、(前回のわたしによる投稿の頃以前までには)見ていたのですが、そのような事実があろうがなかろうが、私の考えは変わらないから、とりあえず出さないで主張してみようか、と考えていました。
 (*1) http://www.han.org/a/half-moon/hm013.html#No.124

tpknさん。
> >  まず、非人道的な行為を行った主体にはそれを償う責任があるということを私は公理として採用します。よって、そのことに同意いただけない場合は、tpknさんとは議論できないのかもしれません。

> 「踏み絵」ですねえ…。あなたは、「人権を否定するものとは議論しない」「民主主義を否定する者とは議論しない」と同じぐらいの重いことを、さらりとおっしゃっているのですよ。そういう意識はありますか?(笑)

 すみません。ありませんでした。
 33849番の投稿において、「彼らが当初からそういう権利を有していないのであれば」と述べられていたので、そもそも罪を償う義務などないと(もし)お考えなら、基本的な思想が大きく異っているのに、そのことを考慮せずに議論しても徒労だなと思ったので、確認しようと質問いたしました。

> >  前述の公理の上で、非人道的な行為を行った責任は金銭の債務のように右から左に渡せるものだと私は思いませんので、上記の例の「同様」だという考え方には同意いたしません。

> 私は、その場合にも責任は有限であるべきだと考えていますし、多くの法律がそうした考えにしたがって作られているのではないかと思います(法学を学んだことがないので定かではありませんが)。つまり、何をもって「犯罪」や「不法行為」とみなし、何をもって「償った」とみなすのかが、はっきりと目に見える形として認識できるものでなければ、それは「公理」たりえないのではないでしょうか。

 おっしゃることに同意いたします。そして、植民地支配や戦争、非人道的行為の犠牲者の数は有限なので、わたしがしてきた主張とおっしゃられたこと(直前の段落)とは矛盾しないと思います。

> 問題は、戦争被害者個人と韓国政府がはたしてこのような単純な原告個人と原告団代表のような関係にあるのかどうかということですが、そこのところはよくわかりません。しかし、私の頭で常識的に考える限りでは、こういう結論になってしまいます。

 わたしが同意できないのはここです。わたしは、当時の「原告」全員の合意があったとは言えないから、韓国の個人被害者から日本政府に対する謝罪と賠償の要求に関しては、韓国政府は「原告団代表」とは言えないと考えています。(それ以外の国家間の関係については代表であると認めます。)
 このような要求をする権利は、身体・生命・財産に関する基本的人権と同様、剥奪できない権利であるとわたしは考えています。(わたしにとってはこれも公理です。採用してもらえなくても議論はできるかな。)よって、国民全員の「原告団代表」となることはきわめて困難であるとわたしは思います。(国民全員の同意を得なければならないから。)

 ちなみに、「仮にこれを含む趣旨であると解されるとしても、それは放棄できないものを放棄したと記載しているにとどまり、国民の請求権はこれによって消滅しない。」という東京地裁の見解が以下で紹介されています。(この見解は、日本政府の主張そのままではなく、日本政府の主張を採用するための論理が追加されているかもしれませんが。(未確認です。))
 (*1) 「「従軍慰安婦」19、日韓請求権協定」
    (http://www.han.org/a/half-moon/hm013.html#No.124)
 よって、わたしの考えはそんなに極端のものでもないといえるとは思います。

 参考までに、同ページ(*1)で紹介されている「許されぬ戦争補償の二重基準」(1991-8-28,朝日新聞「論壇」)を見たところ、

日ソ共同宣言では、「(両国は)戦争の結果生じたそれぞれの国、その団体及び国民のそれぞれ他方の国、その団体及び国民に対するすべての請求権を、相互に、放棄する」と、国民個人の請求権も放棄することを明記している。

とのことです。にもかかわらず、前掲「論壇」によると、

政府はシベリア抑留者の補償については、「ソ連に対して放棄した請求権は国家自身の請求権で、国民個人のソ連に対する請求権は放棄していない」と国会で答弁した。

とのことです。
(この「論壇」の文が掲載された日から推測するに、おそらく、五番街さんが紹介してくださった、半月城さんの文章に引用されている、 (1991.8.27 衆議院予算委員会会議録第3号10ページ)のことを、前記「答弁」は指しているのでしょう。)

 孫引きした日ソ共同宣言の文を論理学の命題のように読むならば、「すべての請求権を...放棄する」は、「完全かつ最終的に解決した」と、請求権の有無という点では同じ意味になりますので、「二重基準」という評価は、きわめて妥当であるとわたしは考えます。
 このことから、わたしの意見の説得力など度外視しても、日本政府は、韓国の個人被害者に補償するべきというのが正論であると言えると思います。

> 日本国家の犯した罪や原告の不利益が金銭という目に見える形によって贖われる限り、いちばん重要なのは「誰が直接支払うか」ではなく、「誰が受け取るか」ではないでしょうか。つまり、形としてはあくまでも「金銭そのもの」であり、またそれ以外を目的とすることは近代の法体系では許されていないのではないかと私は理解しています。

 たとえば、首相の名前による謝罪の手紙を個人被害者に送るというような場合(*2)は、誰がするかということも重要な意味を持ちますし、このことが近代の法体系と矛盾するとは思いません。(間違っていたら御教示いただければ幸いです。専門の方が御覧になっているならば。)

(*2) 収容所に送られた日系の市民や永住外国人に対してアメリカ合衆国が謝罪と賠償を行った事例。


> > ...略... しかし、非人道的行為の償いを金銭でするのは、完全な償いとはなりえず、だからこそ、謝罪の要求も出るのでしょう。

> それが金銭の要求である以上、「誰が」を重視し、それによって「完全な償い」となるかどうかが決まるというのは、非常に前近代的な考え方ではないかと思います。 ...略... 仮に「真摯な謝罪をせよ」という判決を出したとしても、それが「真摯な謝罪」なのか「口だけの謝罪」なのか、裁判所も誰も判断することができないからです。

 誤解をまねく説明をしてすみません。「完全な償い」は不可能なので、わたしもそれを求めることはできないと考えております。ただし、謝罪を求める被害者が多いことは事実なので、謝罪することは、償いをより良いものにする有効な方法であると思います。
 また、おっしゃることは、「真摯な謝罪をせよ」が無意味であることの説明にはなっていると思いますが、「誰が」を否定する説明にはなっていないと思います。
 なお、「誰が」な人が賠償金を支払うために借金をすることには問題ないとわたしは考えますので、とくに「誰が」が政府である場合は、「誰が」を重視したとしても、償う側にとって苛酷であるということは言えないとわたしは考えます。

> >  前述のように「右から左に渡せるものだと私は思いません」ので、条約を結んだことで「日本国が支払う義務を有していないからです。」という考えにわたしは賛同しません。そのことが、国際法の通説判例に一致しないとしても。

> 国際法の判例というものも見たことがないので私もなんとも言えませんが、上記のように考えなければ、「公理」たりえないでしょうし、そうした原則を無視して「わたしは賛同しません」という理由で反対しても、「何をもって完全な償い」とみなすかを兼松さんが定義できなければ、それはやはり「公理」たりえないと思います。

 前述のように、賠償金の支払いと謝罪とをセットで考えた場合に、誰が謝罪し支払うかも重要なので、右から左には渡せないと考えております。目に見える形で誠意を見せるということですね。

> >  「...国家は剥奪できない」という言明を、「屁理屈」とか理屈であるというように、わたしはみなしていません。それは、ひとつの理念とか思想だと思います。

> それは理念であり思想であるかもしれませんが、少なくとも韓国の大統領が公に言えば、屁理屈となってしまいます。なぜなら、韓国という国家は日本とそういう「契約」をしたのであり、それはその契約をと相反する「理想」だからです。すなわち、言ってはいけない立場の人、のはずなんですね。

 おっしゃる「契約」と前述の日本政府の見解とは矛盾しませんので、「言ってはいけない立場の人」ではないのではないでしょうか?
 なおわたしは、前述の日本政府の見解がなかったとしても、(すでに述べたわたしの考えかたである、同意なく剥奪できない請求権を持つ被害者の代理人に勝手になることで)無効な契約をしてしまったのだから、屁理屈とはならないと思います。窃盗犯が窃盗犯は悪だと述べても屁理屈ではないのと同様であると考えます。
(無効な契約をしたことの誤ちを認める必要はあると思います。)

> >  すくなくとも、「わしはどうしても日本に賠償を請求する」という方々は「範囲外の事案」だと、わたしは思います。条約を文字通りに解釈して、それに固執するよりも、被害者をより満足させる方法で救済するほうが人道的に好ましいと、わたしは思います。

> えーと、それは、被害者が韓国政府から賠償金を受け取った後、それでも全然足りない、という事態が生じた場合の話ではないでしょうか。そういう段階や手続きを抜きにして「被害者をより満足させる」ことを求めるのは、日本という国家に対して著しく不公正であります。上にも書きましたけど、いくら賠償金を1兆円出せと主張したところで、...略...

 無限に請求できるとはわたしも申しません。どのような場合にいくら支払うかは法律で決めれば良いと思います。「被害者をより満足させる」といっても完全に満足させるのは無理でしょう。
 もちろん、すでに同趣旨のことを述べたように、「被害者が韓国政府から賠償金を受け取った後、それでも全然足りない、という事態が生じ」などを待つことなく、すみやかに救済するような法律を制定するべきであるとわたしは思います。
 二重取りの問題については、日韓で情報交換して適切に対処すれば良いと思います。(日本から賠償してもらった場合は韓国政府が支払う金額は減額する、すでに支払ったなら、一部または全部を返還させるなど。)

> そもそも「わしはどうしても日本に賠償を請求するニダ!」を「範囲外の事案」と考えることに無理があります。これは、戦争被害そのものではなくて、被害者の気持ちの問題でしょう? 上に書いたこととダブりますが、原理として、法や制度というものは、最終的に個人の気持ちを完全に満足させることはできないのだと思いますし、また、そういう目的のために使うものではないと思います。

 完璧ではないとしても、「そういう目的のために使」ってもかまわないし、実際、使われてもいると思います。例としては、謝罪広告はもちろん、前述した日系人への大統領の手紙があります。他にも、殺人を犯した未成年の反省の状況を遺族に伝えていると報道されていたと思います。

 以下は傍論なのですが、回答します。

> 仮に「誠実さに欠ける」として、ではその不誠実によって被った「被害」というのは、どのように算出するのですか? 資料の焼却や非公開については、韓国が条約を結んだ時点でわかっていたことですから、これもまた後出しジャンケンでしょう。

 「誠実さに欠ける」は公序良俗に反する根拠ですので、「その不誠実によって被った「被害」」を算出する必要はないと思います。「契約は無効だ」の根拠ですから。「後出しジャンケン」についても、公序良俗に反するという主張である以上、小額(たった3億ドルですよね。後述の[参考]を御覧ください。)の無償供与による免責を否定することの方が優先されるべきであるというのがわたしの考えです。
 ちなみに、借地借家法など、弱者の側に不利な契約を「後出しジャンケン」で否定できる場合は、現実社会にも存在します。(法律の専門家なら多数の例をあげることができるのでしょう。)
 無償供与がきわめて小額であることが公序良俗違反だというほうが説得力があるような気もします。

[参考]
 以下のページによると、初任給昭和40年から平成7年までに、事務係員の給与は6 * 1.6 = 9.6倍になっておりますので、1ドル360円として、3億ドルは現在の1兆円くらいです。(おおざっぱな計算ですが。)
  http://clearing.jinji.go.jp:8080/hakusyo/book/jine199601/jine199601_2_039.html
 アメリカが日系人に支払った200万円/人を支払うとすると、約52万人にしか支払えません。
 9.6倍を20倍や30倍にしても、ほとんど結論に影響はないでしょう。

> また「そのようなことをした連中」と、日本国家は同一ではないのでは? 「そのようなことをした連中」は、もしかして東京裁判で裁かれ戦犯とされたのではないですか? だとすると、これは「一事不再理の原則」(同じ犯罪について二度裁いてはいけない/日本国憲法では39条)に反すると思いますが。

 http://t-t-japan.com/bbs/article/t/tohoho/6/gnsqrf/ouaqrf.html に引用されている内容によれば、資料の焼却は日本政府ぐるみで行われたといえると思います。

> >  前述のように、「韓国政府が義務を果たそうが果たすまいが」と考えておりますので、 韓国政府に義務を負わせることよりも、被害者の救済の方を重視しております。韓国政府の糾弾は韓国国民におまかせすれば十分であると思います。

> 被害者を救済すべきは、まず韓国政府です。そういう約束をして国庫からお金を払っている以上、日本政府や日本人は、韓国政府がそれをやらなかった場合、非難したり糾弾したりする正当な権利を持っています。別にそれを声高に言い立てるようなことは、誰もしていませんけどね。兼松さんのお考えは、「人道」というキーワードにとらわれすぎて、基本的な責任や権利義務をあまりにもないがしろにしていないでしょうか。

 権利はあるでしょう。
 ただし、「基本的な責任や権利義務をあまりにもないがしろにしていないでしょうか。」とおっしゃるのなら、それへの回答は、(前述の)日本政府による裁判での主張や国会答弁の内容を韓国人の被害者に対しても実行する義務を、日本政府が実効ある方法で果たすようにも主張するのが筋だと思います。
 また、前述のように、たった3億ドルでは、アメリカが日系人に対して行った補償さえ実行困難ですから、その意味でも、日本政府は義務を果たしたとは言えないと思います。
 なお、「韓国政府が義務を果たそうが果たすまいが」の理由については、今回の回答でさらに詳細にしたつもりですので、ここではくりかえしません。

> しかし、従軍慰安婦にしろ強制連行にしろ、戦争当時からその存在は知られていたわけですから、これを範囲外の事例とするのは、おそらくかなり難しいのではないかと思います。また、もしこういった個別の事例を想定していたのだとすれば、ノ・ムヒョンの言葉はそれとはあまりにかけ離れた一般論であり、非常に問題のある表現だと思います。

 資料不足のために証拠を突き付けることができなかったという理由で「範囲外の事例とする」ということで良いと思います。

> まあぶっちゃけて言いますとですね、こうやって掘り出していくと、そりゃどんどん「責任」のあることは出てきますよ。10年後にも、20年後にも出てくるでしょう。50年後にも出てくるでしょう。その度に、新しい法律を作って対応するのですか?

 そうすべきだと思います。

> いったいいつまで日本は「責任」を明らかにし、償い続けるのでしょう? 100年後も200年後もでしょうか? 韓国や中国の考え方からすれば、賠償請求権だって遺族や子孫に代々受け継がれますよ。それで本当に国家対国家の関係として、正常なものと言えますか?(ここは「普通に」考えてみてください)。

 わたしが述べてきたのは、国家対国家ではなく国家対個人の関係です。よって、国家間の賠償については条約を結べば解決済みであるし、相手が信義誠実の原則に反するなら、外交ルートで抗議や交渉をするのでしょう。なお、わたしの感覚では、償いとしての救済の対象は、被害者本人と、その次の世代までが、せいぜいですね。子孫は非人道的行為を受けたのではないのですから。(金だけの問題ではないので、代々受け継がれないわけですね。)
 なお、韓国や中国だって、戦争被害の有無にかかわらず、孤児など経済的に困窮している自国民の福祉を行う義務はあるでしょう。

> 近代国家において罪を償うというのは、有期刑であったり有限の損害賠償であったりするわけです。そして、本来なら犯した罪も責任も消えないはずですが、それぞれに時効もあります。そういう考え方を導入しないと(すなわちそれが日韓条約だと思いますが)、もう全く未来はないのではないでしょうか。兼松さんの考え方は、本当に誰にも公平に「人道的」だと言えるでしょうか?

 既述のように、植民地支配や戦争、非人道的行為の犠牲者の数は有限なので、わたしの考えは、「責任は有限であるべきだ」に合致していると思います。
 また、同じ原則が世界中で採用されるようになれば、その原則は、誰にも公平に「人道的」だと言えるようになると思います。