| 33980 | 返信 | 人類史 | URL | 小林 哲夫 | 2005/03/28 07:44 | |
| スクイボンさん お先に失礼します スクイボンさんは >『アジアに含まれる地域には、文化的にも宗教的にも人種的にも共通する物は殆ど無いのです。』 と言っていますが、各文明が孤立して発達した、共通するものは無いと考えるのは行き過ぎです。 最近の諸科学の発達から、人類史は急速に明らかになってきました。 人類のアフリカ単一起源説が今では有力説で、10数万年前アフリカで生まれた人類が全世界へ散らばったようです。 人類は10万年前に言語能力を獲得(言語遺伝子で確認)し、以後数万年掛けて全世界に散らばりました。 日本へは4万年前頃に到達しました。現在の日本人のDNAを調べて、日本人は北。西・西南・南から来たと言われています。 一万三千年前に縄文文明が始まりましたが、この縄文土器は北海道から沖縄までの地域で使われましたが、それ以外の朝鮮・中国などでは見つからないことから、縄文文明は日本独自の文明であり、日本の中では様々な人々の交流があり、日本語というものが出来上がっていたと考えられます。 つまり日本人は縄文時代からの単一民族と言えます。 三千年前に始まった弥生文明はこれは完全に渡来文明で、稲作や金属器その他の文明が朝鮮・中国から来ました。 このことからこの時代に相当量の海外との交流があったことが解ります。 つまり人類は同じ祖先を持ち、各地域で別々に、しかし交流しながら発展してきたと言えます。 「アジアは一つ」などという言い方はナンセンス、というスクイボンさんの考えに賛成ですが、別の分類の仕方に意味が無い、とも言えません。 その手始めに西洋と東洋という分類について考えて見ます。 西洋をヨーロッパ、東洋を中国と考えて下さい。 スクイボンさんのシルクロード論の文章にはちょっと解らない部分があるので、結論は同じかもしれませんが、シルクロードは東洋文明を西洋に伝える道です。 つまり中国に魅力ある商品(絹織物)があって、西洋人が買いに来たものです。 この時期東洋の方に文明があったということです。 この文明の構図はずっと19世紀まで続きます。 紙、火薬、羅針盤などが西洋に伝えられました。 中国の陶磁器は19世紀まで西洋では作ることの出来ない美しいものでした。 東南あじあの香料を求めて西洋人が殺到したのが大航海時代です。 中国のお茶は西洋人の生活必需品になって、これを買うお金に困って起こしたのがアヘン戦争(1840年)でした。 アヘン戦争というのは、中国の文明に憧れた西洋人が、野蛮にも軍事力で文明を略奪した戦争でした。 ここまでは東洋の文明が西洋の文明に勝っていた、という歴史認識を持って欲しいと思います。 さて西洋は何故軍事力だけが突出して強力な「ならずもの国家」になれたのでしょうか? 西洋を現在のEUとするとその人口は4億強、東洋を中国とするとその人口は13億人で、この二つのグループの歴史の違いが原因です。 西洋はローマ帝国以後一度も統一されたことなかったのに対して、中国は秦帝国後は統一国家が原則で、時々分裂した、という歴史を持ちます。 特に清帝国の平和と繁栄は素晴らしいものがありました。 文明として世界最高のものを持っていましたから、西洋に対しては何の関心も持ちませんでした。貿易の必要性は無かったので、日本と同じ鎖国政策を取りました。 完全な統一と平和のおかげで、武器は退化しました。 火薬は鉄砲のためではなく、花火として楽しむものになりました。 軍備が必要なかったので、軍事力は弱体化しました。 ところがこの時代西洋は小国に分裂して戦争を繰り返し、飢餓や疫病、宗教対立などなどから、外に出て略奪、侵略に魅力を感じる民族になってしまいました。 全てのことが戦争に勝つために整えられて、軍事力だけが突出して発達する結果となりました。 アヘン戦争(1840年)以後現代に至る世界史は、西洋の野蛮が世界を席巻した歴史です。 強力な軍事力に脅かされたら、自分達も強くならなければ、と思うのが人間の止むを得ない気持ちです。 明治以後の日本がそれであり、現在の中国がそれです。 しかし「軍事力には軍事力で対抗するしかない」と考えていては、救いがないことに気が付いたのも現代の世界です。 この時にこそ日本の役割がある、ということを次に説明したいと思います。 |
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