| 34054 | 返信 | Re:韓国政府声明全文翻訳 | URL | tpkn | 2005/04/02 00:52 | |
| SONGさん、 いちばん重要な問いかけをネグられては困ります。 適当に思いつくだけで結構ですから、麻生という人が「やってない」と言っている「やった行為」とは何ですか? > つまり、私なんぞ重層的なアイデンティティーを有するわけですね。重層的なアイデンティティーなるものは一見矛盾するわけですが、人間のメンタリティーなんぞ多重性がある事は自明なわけで、私は何ら恥じることはないのです。 国籍や民族意識という意味でSONGさんが重層的なアイデンティティを持っているのはわかりますが、国籍や民族意識という観点に立つ限りでは、ほとんどの日本人は日本国内にいる限り重層的なアイデンティティを持つことはできません。そのときに、どう対応するのですか? 恥じることなどないのは当然として、「重層的なアイデンティティ」を、実は日本人に対する優位とみなしているのではないですか? > 言いがかりでない正当な主張は「言いがかり」と相殺しても有り余ることが多いと思っています。ただ、「言いがかり」があまりにもピックアップされ、今まで陰に隠れていた物が一世に吹き出し、さもそれが全てであるか如き言説がまかり通っているのが現状ではないでしょうか。 それはたとえばどのようなことでしょうか。「やったのにやってないと言っている」ことに関連しているのでしょうが、それが何を指すのかよくわからないので、お答えをお待ちします。 いわゆる北朝鮮バッシングに関して言えば、ちょうど出たばかりの金賛汀『朝鮮総連』(新潮新書→書評)を読んでいるのですが、その中で金賛汀は現在のマスコミによる北朝鮮、総連バッシングについて、かつての週刊朝日への集団抗議や毎日新聞への抗議、市民集会妨害などに触れたあと、こう言っています。「今、日本のマスコミは北朝鮮、総連批判一色の観がある。健全な姿ではない。しかし、それは朝鮮総連が自ら招いた愚かな行動に対する報いなのである」。 > 田中荘で「しょうない」のような「日本の在日外国人は全て犯罪者若しくはその予備軍である」か如き言説は、一見特例のように写りますが、実はリアルに在日外国人である私にすれば、現状の日本社会をみると見逃せないと言おうか、一種の恐怖感まで味わうわけですよ。 それはわかります。というか、しようない氏や維新政党新風のような主張は外国人嫌悪の排外主義ですから、恐怖を感じて当然でしょう。しかし、彼らは少数派です。私がいま問題にしているのは、日本人の大多数がいったいどれぐらい「反省」すれば朝鮮人や中国人は満足するのか?ということです。 > 先にも言った「日本社会に対してもアイデンティティー」を持つ私にすればこれから子供達がこの社会で暮らしていく事に不安感まで抱きます。だからといって聡明な貴君は「帰化すれば解消する」とか「帰ればいいでしょう」なんて言わないでしょうね。これは別問題ですよね。 帰化の手続きは以前に比べてだいぶ簡略化されているそうですし、名前もそのまま名乗れるようなので、それはひとつの方法だと思います。「朝鮮系日本人」の立場を選択する人も増えているのではないでしょうか。ただし、帰るといっても、もともと日本にいるのだから、どこにも帰るところなどないでしょう。 > > SONGさんの立場がいまいち不明なのですが > 私の立場が「不明」なのは当たり前ですよ。私自身が重層的なのですから。どちらの立場にも立つことは可能です。また、それは間違っているとも思いません。 どちらの立場に立つことも可能だが、どちらの立場に立つこともせず判断を避ける、と言っているようにしか読めませんが…。 > >「やられた側」の言い分を無条件にすべて是とすることはできないでしょう。 > > 私は今までの言説で、一回でもそんなこと言いましたか?そんなステロタイプに聞かれても困ります。再三「やられた側に立った考察も与しなければ」と言っているわけですよね。 「やられた側の言い分を無条件に是とすることはできない」は、私の主張です。それに対してSONGさんは、「やられた側の立場にも立つべきだ」と言ったところから話が始まっているわけです。その立場に立つと、いま現在のどのような問題がどのように解決するのでしょう? > > > > 靖国神社の問題も同根でしょう。 > > > > > > これに象徴されていると思いますが。 > > > > ですから、「問題の本質」とはなんですか? 靖国神社に参拝することは、「やられた側」にとってはガマンならないというのはわかる。 > > 聡明な君が、何を「靖国参拝問題」に事を矮小化しているのですか。 「象徴されている」のであれば矮小化ではないでしょう。お願いですから、もう少しはっきり書いてもらえませんか? 「問題の本質」とは何です? > > あなたは「やった側」「参拝する側」の言い分をちゃんと検討したことがありますか? > > 当然あります。「参拝する側」のメンタリティーを全否定するつもりはありません。それに胸焦がし、涙流し続けた人々の思いは事実存在し、戦争という悲惨な権力のエゴに身を投じさせられた、一兵卒の思いや、「国体」なる物に全精神を投じた人たち、それにまつわる庶民の思い(正当性があるか否かは別として)というものを「権力の政治的ツールとして全否定」してしまうことは、必ずしも私たちに幸せを呼んでくれるとも思いません。 であれば、ノ・ムヒョン(やられた側代表)の言う「正しい歴史認識」という言葉は、そもそも無理があるとは思いませんか? |
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