34157 返信 「中国贔屓の中国知らず」(3) URL 小林 哲夫 2005/04/09 18:58
武蔵の一住民さん  こんにちは

先ほどは言い残したことが有りましたので、立て続けで恐縮ですが・・・。

私が言いたいのは、中華文明の素晴らしさが理解できる日本人が育って欲しいということです。

言い残したこととは、先ず中華料理の素晴らしさのことです。

世界中で愛されている中華料理が中華文明の重要部分であることを疑う人はいないでしょう。

更に中国の庭園についてももっと知って欲しいものです。
蘇州にある4大庭園を見ると、フランス庭園やイギリス庭園とは違った種の美学を感じます。
北京郊外の広大な「いわ園」を見るとベルサイユ宮殿など小さく思えてきます。

承徳にある避暑山荘の豪華さも見逃せません。
ここにはチベットからの来訪者を考え慰するために、チベット仏教の寺院が建てられており、乾隆帝の異民族対応の周到さを伺うことが出来ます。

北京のフートン地区では昔の北京の庶民の住居を見ることが出来ます。

四合院の中庭でくつろぐと、中国人がどのような場所で安心して生活できたか?ということが実感できます。

都市を囲む城壁の物凄さと四合院の閉鎖性の両面から、中国人の安全に対する感覚が日本人とどれほど違うかを実感して欲しいものです。

清時代の紅楼夢という小説も是非読んで欲しいものです。源氏物語を読まずに日本文学を論ずることが出来ないと同じような重要な小説なのです。
ここに男女関係に対する両国の異質性と同質性を考えるヒントがあります。

技術水準の高さについても一例を書いておきます。

1405年に鄭和の遠征ということがありました。この時の主艦は;船長120m;射程250mの大砲24門;アデンまで随行船100隻;28千人の船員兵士で行なったものです。ところがこの期間全体を通じて軍事発動は無く、例外的な発砲が2回あったのみでした。つまり侵略の航海ではなく、友好の試みだったことが解ります。
これと比較して、1498年のガマの船(コロンブスのサンタマリア号も)は船長25mの小さなものに過ぎません。
中国では1405年に120Mの船を持っており、西洋ではその100年後に25Mの小さな船で世界を荒らしまわるわけです。
如何に西洋が野蛮で後れた国であったかがわかると思います。

一徳さん  ちょっと失礼

西洋の残酷さについては私も上のように思って居ますので、一徳さんと考えはあまり違わないと思います。

十字軍の略奪、コロンブス、スペイン、ポルトガルの残虐、虐殺と略奪、奴隷貿易、アメリカ先住民の虐殺などについては、私も一徳さんと同じく西洋に対して批判的ですので、はしょっていただきたいと思います。

アヘン戦争あたりから初めて頂くと有難いのですが・・・・。