| 34236 | 返信 | Re:明治維新と武士道 | URL | 芥屋 | 2005/04/12 22:03 | |
| >とほほさん >いわゆる明治以前における水戸学にしろなんにしろ、それを武士道というのであればとてもではないがキリストの教えに微塵も一致するところはありません(私もクリスチャン(^^ゞ )それらの武士道の教えるところは武士以外は人ではありません。 水戸学で「武士ならざる者は人に非ず」と説いたものは、私の管見ではありません。とほほさんがご存知であるものがあれば呈示してください。さもなくば、悪質な誹謗です。水戸学に影響を与えた垂加神道では、全て人は神胤なりという神学ですよ。もちろんキリスト教の説く人間観と、垂加・水戸学の人間観と異なるのは当然であります。しかし、キリストの教えと合致していないから人間扱いしていないことになるのだと言うのであれば、クリスチャンに非ざれば人に非ずと言うにも等しく、度し難い差別観です。 >問題は、武士道というものが日本人の精神文化である、とする事です。これは他の文化も同じです。人口のわずか5%に満たない層の文化を「日本人の文化」とすることが出来ない事は自明であります。 日本の武士が説いた精神論が日本人の精神文化ではないとは理解に苦しみます。この文のほかにも、とほほさんは盛んにパーセンテージを挙げて少数者であることを力説していますが、数的少数者であることを持って、その国の精神・文化ではないとするなら、源氏物語も日本文化にあらず、漁師の船曳歌も日本文化にあらざるものでしょう。 そもそも、その国の精神文化と言えるかどうかに、数量の多寡をもって可否を決するとは何事ですか。ならば、人口の数パーセントにも満たぬ被差別階級であった芸人や遊女の文化は、日本を代表するものではないと申されますか。何たる差別的言論であることか。切支丹はどうなるのです。彼らは日本人の精神史の一角ではないのですか。あなたの先人ではないですか。 現在、クリスチャンは日本人の数パーセントです。「我らはキリスト者であって日本人ではない、日本の精神文化を担う者ではない」ということを、あなた自身の論として主張なさるのであれば、あなたなりの「信仰の告白」としてそれは受け止めます。しかしそうなのであれば、他の日本人クリスチャンが聞いて納得しうるものではないでしょうし、海外のクリスチャンは尚更ではないかと思います。 |
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