34241 | 返信 | Re:中国反日デモの分析 | URL | 芥屋 | 2005/04/13 00:39 | |
>inti-solさん(#34213) >中国側が主張する靖国問題や侵略戦争への謝罪と反省の問題については、私は中国側の主張に言い分があると思っています。現に中国は日本軍の軍靴に踏みにじられたのですから。 いづれも重大な内政干渉であるとの認識はないのですか?歴史教科諸問題に見るように、過去の政策の得失や道義の有無を論じる、あるいは、政教分離問題に見るように、現在の権利義務概念の意見の相違を法理的・主義信条的に、「日本人どうしが自分のこととして論じ合う」ためには、相当規模の自由が「保障されていること」と「それを再確認し合うこと」が必要です。 それに対し、歴史的に当事者であったところの隣国が見解を表明し、時に要望、時に苦言を呈するのであれば良いでしょう。しかし命令調で「当方の主張を聞かねば重大な外交問題になる」等のブラフをかけてくる、ブラフも外交の一環と冷静に受け止めて対応するなら別ですが、そうした異国の政治権力の介入を「過去に鑑みて正当なり」とするなら「現代日本の自由」はどうなるのでしょうか。 国内の政敵・論敵に対峙するうえで、異国の介入をも正当と説くとは何事かと思います。守るべきは、私たちが今手にしている言論の自由ではないのでしょうか。歴史をどう受け止めるかは、戦後これだけの時間がたっても、なお、国内的に対立の火種です。しかし言論の自由が政治に抑圧されたらどうなるか、それこそ歴史の教えるところではなかったか。 それと、これは他の人にも考えてほしいことなのですが、一体に「中国人の言い分」「韓国人の言い分」と言いますが、それぞれの国内では金太郎飴の如く誰に聞いても歴史認識は同じで対日観も同じであるとお考えなのでしょうか。私は、自分の個人的体験からしても、個々の中国人・韓国人はオフィシャルな意見とプライベートな意見とで、かなりの差もあることも多いと感じます。 つまり、両国とも「人前ではとても言えないが…」という対日感情があったりします。彼らの国々で、ある声だけが絶対善と化し、そうでない人は異見を述べれば売国奴扱いされる状況に至り、遂には暴動も事実上の公認行為となるに及んで、それでもその状況を固定化しかねない方向へと論を伸ばしてゆくことが、本当の意味で日韓・日華の友好に繋がるとお考えでしょうか。中韓両国で「嫌な空気になってきたな」と考える人もいるはずですが。 >皮肉なことに、中国の実体が単なる資本主義国になるに従って、中国政府もそういう「公式見解」をあまり言わなくなり、反日感情が表面化する機会も激増してきた。これはいったいなぜなのでしょうか。結局のところ社会主義というイデオロギーの旗を(実質的に)降ろしてしまうと、あとはどこの国にでもあるナショナリズムという旗を掲げるしか、国のよりどころがない、ということなのでしょうか。そうだとすれば残念なことです。 何を言っているのです。民主化を求める学生運動を戦車でひき潰した天安門事件により全権を掌握した江沢民政権が、国内の不満をそらすために、資本主義の一部導入により経済的成功の道を与え(金持ちに成る道)、教育において猛烈な反日教育を行った(外に敵を設定した)結果「江沢民チルドレン」と呼ばれる反日世代を作った、それが最大の理由でしょう。 この手法は、古今東西の常道であって、何ら珍しくもない。社会主義から資本主義に移行中であるからこうなった?イデオロギーでしか見れないのでしょうか。 >小林哲夫さん(#34231) かなり共感をもって読めるところもあるのですが、字数の関係で割愛させてください。私に解せないのは、国民国家形成過程の云々という論立てに、旧態依然とした発展段階論を感じることです。この史観は、国別の「時と所」の事情を無視して、今は○○の段階であるから云々と方式をあてはめて論じるのですが、そのように動くものではないことは、もう既に明らかであると思っていたのですが。 何より、各国の歴史は同時進行形なのであって、ある国で起きた事象が法則性をもって他の国に後に現れるというもではないでしょう。現代中国はまさに現代中国のなせる固有の状況の中にあるのであって、フランス革命に遅れて明治維新があり、それに遅れて今の中国があるなどというのは、私には差別的な国家観だとすら思えるのです。 小林さんは、今の中国社会が、「個別具体的に」どのようにフランスの革命期、日本の維新期と共通な事象があるとお考えなのでしょうか。私には、辛亥革命期の三民主義が既に国民生成の運動であり、その名も国民党、あれは少しも民主的ではありませんでしたが、国民主義と民主主義は必ずしも同一概念ではなく、中華人民共和国において「国民」は既に成っていると思います。 ただしその「国民」観は、日仏のものとは著しく異なる。それはイデオロギーの面もさることながら、ネーションステートのネーションがほぼ「民族」であるのに対して、中国では「共産主義により統合された諸民族」が公式な国民観念であること、そして漢土の伝統的な国家観も無視できないのではないかと思います。今まさに国民国家形成期なのだとの論は、私には奇異に感じました。 対右翼の部分は、告天子さんと同じことを感じましたが、加えて、左翼の中国観・韓国観は諸派いづれも同じですか?とお聞きしたい。右派といっても自称他称を含めていろいろあります。何をもって右派とするかにもよりましょうが、ウヨサヨいうような話なのでしょうか。粗悪な対中強硬派をもって右翼とするなら、利敵行為などと言わずに矢面に立って彼らの言説に対峙すべきでしょう。 右翼を刺戟するからと言いますが、既に「支那嫌い」系はここぞとばかりに大騒ぎです。まぁ、当然でもあります。この言説の当事者に常に位置していた者が、これはさすがにまずいという時に沈黙を保つのはどうかと思うし、普段の信条が本物であるなら、中国へ向けられている憎悪の念を自分達に引き付けるくらいでなくてどうするのでしょうか。 |
||||||
![]() |