34257 | 返信 | Re:中国反日デモの分析 | URL | にゃにゃにゃにゃにゃ | 2005/04/13 10:51 | |
> >皮肉なことに、中国の実体が単なる資本主義国になるに従って、中国政府もそういう「公式見解」をあまり言わなくなり、反日感情が表面化する機会も激増してきた。これはいったいなぜなのでしょうか。結局のところ社会主義というイデオロギーの旗を(実質的に)降ろしてしまうと、あとはどこの国にでもあるナショナリズムという旗を掲げるしか、国のよりどころがない、ということなのでしょうか。そうだとすれば残念なことです。 > > 何を言っているのです。民主化を求める学生運動を戦車でひき潰した天安門事件により全権を掌握した江沢民政権が、国内の不満をそらすために、資本主義の一部導入により経済的成功の道を与え(金持ちに成る道)、教育において猛烈な反日教育を行った(外に敵を設定した)結果「江沢民チルドレン」と呼ばれる反日世代を作った、それが最大の理由でしょう。 > > この手法は、古今東西の常道であって、何ら珍しくもない。社会主義から資本主義に移行中であるからこうなった?イデオロギーでしか見れないのでしょうか。 社会主義から資本主義に移行中だから、反日が登場したのではないかというinti-sol氏の見解は私はとりません。ブラント時代の西ドイツの「東方外交」で、当時共産党政権だったポーランドとの和解が実現したが、ではポーランドの共産党政権が崩壊して資本主義が導入された時にポーランドで「反ドイツ運動」というものが登場してきたのかというと、決してそういうことはなかった。 つまり、ポーランドとドイツ、中国と日本との間に存在する違いというのは何かということを、まず見なければならないでしょう。 私はドイツを必ずしも美化するわけではないが(というのは、シンティ・ロマに対するナチスの虐殺に対する補償は十分にはなされていないというため)、しかし日本の侵略戦争に対する態度がドイツのそれに比べて、おそろしく劣悪なものであることを直視すべきでしょう。 右派系の人たちは「江沢民政権の反日教育」を言います。では、その「反日教育」とは具体的にどういうものなのでしょうか? ここでいう「反日」は中国を侵略した当時の日本に対する「反日」であって、今の日本が、かつての日本とは全く別の国に生まれ変わっていたならば、「反日教育」が「反日運動」を作り出すことはありえなかったはず。 そもそも「反日教育」なるものが存在しなかったとしても、日本の中国侵略の歴史的事実が中国人のなかから忘れられることにはならなかったはず。第二次大戦当時のウスタシのセルビア人虐殺がセルビア人の家庭で語り伝えられ、チェトニクのクロアチア人虐殺がクロアチア人の家庭で語り伝えられていったように・・・ さらに、今、この時期になぜ「反日運動が・・・」を無視すべきではない。それは、この日本では歴代の首相のなかで、A級戦犯をまつる靖国神社参拝にもっとも積極的な人物が首相の地位におさまっていることがある。「政冷経熱」と言われる今の日中間の政治指導者の冷たい関係はまさに小泉が首相の地位に就くことによって作り出されているものである。 中国政府が内心では日本との関係改善を望んでいても、反日運動はいつでも反政府運動に変化する、これを中国政府は恐れている。そうである以上中国政府は「靖国神社」で甘い態度はとれない。 これを「内政干渉」というのなら、では日中国交の時に中国が賠償放棄を正当化するために言った「中国侵略は悪いのは一握りの軍国主義者で、他の日本人には責任はない」なる主張は空中分解してしまう。これでは中国の民衆は納得できないし、これを中国政府が抑圧するだけの大義名分もない。これでは、日本の中国侵略は決して過去のものにはならない。 「内政干渉反対」なる言葉は、実は国内の人権侵害や少数民族迫害に対する海外からの批判を封じるために、独裁政権がしばしば用いてきたものである。「歴史認識」を「内政干渉反対」の名で封じるような、そんな時代は過ぎ去ろうとしている。ナチズムを賞賛する「言論の自由」、「アウシュビッツにガス室はなかった」「ホロコーストなどなかった」という「言論の自由」、人種差別や民族差別を露骨に煽る「言論の自由」なるものは、すでに認められない時代なのである。 |
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