34261 返信 Re:中国反日デモの分析とウヨサヨと丸山 URL 芥屋 2005/04/13 15:43
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管理人様
上の34260レスは投稿の失敗です。削除しようとしたのですができませんでした。
お手数ですが、削除のほどをお願いします。
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>小林哲夫さん

小林さんの規定するところの「国民」とは、ただ単に広く「国家」における漠然たる「国民」のことではなく、その「国家」が「民主化」されていることが条件であり、その「民主国家における国民」の謂いであって、その意味において現代中国が「国民国家」形成の過程ではないか?ということでしょうか。自国の権利主体かつ政治運営の意思決定権の基盤・源泉であるとの『国民意識』によって成立するところの国家、それを「国民国家」とするものと受け止めました。

また、あるいはそれは、近代市民原理を自覚したところの『国民意識』、そしてその「国民国家」は、いわゆる近代市民主義にもとづく国家観であろうかと推測いたします。一応そう読んだことところで小林さんのレスの主旨が解るように思えましたが、違っていたら補正してください。

ただしその場合ですが、それは告天子さんの言にもあるように、たとえその国家観を是とする主義信条からしてもやや希望的観測に流れすぎかもしれません。今回の暴動は、少なくともそこに謳われているスローガンの限りにおいては、彼らが「学校で教わったところの共産中国の正史」に忠実に、「日本軍国主義復活と歴史の歪曲」に憤怒したものであって、史観論争の波及でこそあれ、「近代市民主義に目覚めた国民意識により共産党独裁への疑義憤懣を内在させて爆発している」ようには、とても見えないのですが。

何故かというに、それを異国に向けて在内の当該国民・企業に危害を加えるような暴発は、最も「近代市民主義により成熟した国民意識」とはほど遠く、まして自国の民主化に向かうものとはとても思えません。仮に、それが共産党支配への何がしかの反発を内包した感情だったにしても、そうした不満が「外に向かい党には向けられない」ことこそが中国共産党の望むところであろうと考えるからです。

まさにこうしたことのための反日歴史教育だったのであり、当局は暴発が行き過ぎない程度に警戒すれば事足り、抜本的な解決を自ら成す可能性は皆無であり、対日姿勢を硬化して見せることによっていよいよ共産党の正義は強化されるでしょう。また、これをして「これが支那人の本質」とか「これが中華意識による周辺民族支配の欲望の証左」などとする、右派にありがちな浅薄な文化本質主義は、これもまさに中国当局の思う壺でありましょうが。

個々の史論の是非とは別に、政治学な観点から現状分析として淡々と書いてみました。私自身は近代市民主義にも疑義を持つ思想の人間であり、「ネーションステート」そのものも発展解消的に克服してゆきたい志向があります。が、あくまで小林さんの意見の主旨を想定した上で、その主旨であればこのような見落としがあるのではないかという見解をまとめてみました。

で、話は変わってウヨサヨ言論の共通性についてですが、告天子さんに紹介された『丸山真男』(水谷三公 著)で考えさせられたことがあります。丸山は、反「反共」の人であった、と。丸山いわく…共産主義があって反共が無から生じるのではない。反共の情念それ自体は、思想化されることなく土俗の中に広く潜在しているものであり、共産主義がそれを炙り出すことによって、初めて思想として政治運動として顕在化するのだ、と。

共産主義がその理想と裏腹に権力体制として成立すると独裁的全体主義となるのに対して、反共はその初発からファッショ的全体主義を帯びる。これは、見えなかったものが姿を現したということだ。それゆえ、自分は反ファッショの立場から、ファッショを炙り出す掣肘の役割と価値を共産主義に見出す…と。水谷氏は、この見識を高く評価しつつも、しかし丸山の「現実の共産主義」への認識が無闇に甘く、限定的な反「反共」と、無限包容の容共とが、区別がつかなくなっていたのでは、と指摘します。

この水谷氏の指摘はまさに正しいのでしょうが、自分自身の反省で言えば、丸山が何ゆえに容共リベラルであったか、全く理解できていなかったと思いました。巷の論説誌やネットの右派系(リベラル右派が特にそうですが)の反共情念の中に、口では何とでも反ファッショの理を説きながらも、まごうことなき国家主義・ファッショ的情念を見せ付けられるに及んで、丸山のいう「大日本帝国が実存だと言うなら、僕は戦後民主主義の虚妄に賭ける」の意味が、少し解ってきたように思います。(でも右翼なので大日本帝国を評価しておりますが、それは精神文化的な価値評価であり、現実の政治は政治です。)

丸山真男は、どうも本来の後継者であるはずの現代リベラルからは糞味噌に言われる傾向がありますね。丸山叩きは反共自由主義の流行なのかな。でも、そんなイージーな批判で事足りるような論客でもなかったのでは?と思います。丸山の自由主義が完成形であるはずもなく、時局的な偏向もあるのでしょうが、やはり傑出した戦後民主主義の理念指導者であって、右も左も、真に丸山説を克服してこそ次代の展望があるのかもしれません。