34285 返信 Re:中国反日デモの分析 URL 告天子 2005/04/14 11:31
> 時間がないので、枢要点について。
>> では、いわゆる「A級戦犯」を無理矢理に合祀からはずしたとして、次に中国がBC級戦犯も問題にしたらどうですか。いや、広く「靖國神社の軍国主義的性格」を理由にして、参拝そのものに反対したらどうなのです。つまり、あちらの言い分を受け入れるかどうかの法理的な確たる基準が、にゃにゃにゃにゃにゃさんにはあるのですか。
>  もともと歴史的経緯からいえば、靖国神社参拝が中国によって問題とされるに至ったのは70年代末のA級戦犯の合祀にはじまるものである。それ以前、対日賠償放棄が決まった日中国交正常化交渉において、靖国神社への閣僚参拝が中国政府によって問題とされることはなかった。

では、靖国神社自体に問題はないのですね。しかし、東京裁判に於けるA級戦犯の合祀がダメで、何故B、C級は問題ないのですか。芥屋さんが尋ねているのはそこです。

更に私からお尋ねしますが、東京裁判に、日本は法的な拘束を受けるのですか。戦勝国のリンチの性格が強い、戦勝国の戦争指導者が誰一人として裁かれなかった東京裁判の法的拘束力、正統性を、にゃにゃにゃにゃにゃさんは前提としています。中国側の主張の根拠も、お説からすれば、それでしょう。

また、一部軍国主義者による侵略、ということを日本が崩すならば、更に賠償請求をする、という意見も聞かれた。

さてしかし、「講和条約」と言うが、実際には「中国が(中国、と言い切るにも問題があるが)勝利して、日本が敗北したが故に」、戦争行為の結尾部分として、講和条約がある。つまり、これは、「戦争行為」の一環であり、講和条件は、正義と公平の法によってではなく、「戦争の帰趨により」、決定されるものである。

中国側がこれを覆すことを仄めかすということは、「戦争状態を再開する」という脅しに他ならない。これが、果たして平和関係を望む国家のすることか?。

いや、70年代は蜜月だったのに、日本が一方的に右傾化により、日中関係を壊したのだとする、しかし、70年代には中国には、日本に「戦争再開を仄めかしても安心」なほどの軍事的経済的余裕はなかった。今はその余裕がある。

一部軍国主義者の罪であり、日本人の罪ではない、というのは条約締結に至る中国側の都合に基づく政治ロジックによるもので、日本側がこれに拘束される理由はない。そして、これに反するのであれば、賠償請求を更になす、ということは・・・日本との交戦状態は未だ終了などしていない、日本の態度によっては請求拒否は許さぬ、場合によっては武力に訴えても、ということであろう。

一体どちらが、好戦的な軍国主義国家であるのか。日本軍国主義に反対し、また戦争に反対するなら、日本左翼は全力を挙げて掛かる中国の姿勢を批判せねばならない。政治の犬なのか、正義と公平のための戦士なのか、ハッキリさせるべきである。そして犬ならば、叩かれて当然である。そして、中国の学生デモを讃え、今こそ犬として、在任である日本人民に吠え掛かるべきである。


さて、韓国にしても同様である。

>  ここで忘れてはならないことは、韓国の自治体のなかで「対馬の日」制定の動きが登場したのは、日本の島根県の「竹島の日」に対抗するものとして登場したものだということ、つまり独善的民族主義・排外主義の拡大・突進こそが、近隣諸国の「反日」を高揚し、ラディカルなものにするものであって、その逆ではないということ。

ナショナリズムとナショナリズムのぶつかり合いが、熾烈な闘争の再生産を生むこと、これはハッキリしている。日本側に冷静な対応が期待されることは当然だが、それでは主張が足りないと思う。「竹島は、韓国のものだ!!」と、声を大にして言うべき。



>  そうであろうか。中国政府や韓国政府、さらには中国や韓国の一般民衆はしばしばドイツと日本の姿勢の違いを指摘し、ドイツを賞賛しているという事実がある。

それはドイツがアウシュビッツの罪を認め、自国の政治責任者を断罪しているから。それを、日本国民もやれ、という筋で、ドイツを賞賛している。つまり、日本人に、反日的行動を取ることを推奨しているのであり、まことに好ましくない事実である。

>  中国政府が「決して日本の過去を赦さず、ことあるごとに頭を下げさせようとし続ける」という態度を、一貫してとったというのも、歴史的事実に反するであろう。

表面的な行動は、一貫していない。むしろ、「悪化した」と言うべきであろう。悪化した責任は、中国側にあるだけでなく、中国を焚き付けた反日日本人にもある。

>それは70年代の「日中蜜月」を知る者にとっては、容易に理解できることである。そして現在の「政冷経熱」と言われる日本と中国の政治指導者の間の冷たい関係が、靖国神社A級戦犯合祀と、その靖国神社への参拝問題からはじまったというのも、まぎれもない事実である。

A級戦犯合祀問題については、連合国の戦争行為により、「戦犯である」とされたものであり、日本国民は未だにその「戦争による、精神的被害、精神への侵略」に晒されている。日本人の、戦犯合祀を非難するというのは、「戦争の続き」をしていることを意味する。戦争は、どちらが正しかったかで勝敗が決まるのではない。強い者が勝つのである。筋の通らない戦勝国の主張に盲目的に追随することは、勝者におもね、敗者を痛めつける暴力であり、人道に全く反するものである。犬のすることである。


>むろん中国政府とて内心はかつての「日中蜜月」を復活させたいと考えているのだろう。ODAでの利権で得るうまみだってあろう。だが、中国の民衆に対して「弾圧一辺倒」はできないことを、中国政府が理解しているのである。

ならば中国政府は、戦争行為の続行の如き脅しは止めて、真に日本と協力すべし。過去の罪も反省すべし。・・・しかし、それが出来ないのだろう、やれば嘘が吹き出してくる。その時責め立てられるのは、日本ではなく、中国の政治権力者たちである。

>  A級戦犯が合祀される靖国神社参拝、そして「新しい歴史教科書をつくる会」教科書が検定されたという事実は、これまで日本政府が表明していた「過去の歴史に対する深い反省」なるものがインチキであり、偽善であることを中国や韓国の民衆に知らせるものでしかない。偽善はもっとも憎まれ、軽蔑されるものである。これは「謝罪しても許さない」という性質のものではない。

作る会のしていることが、全て良いのかどうかは知らない。しかし、暴力により虐げられた日本人の立場を、尊敬を込めて復権しようとする姿勢は、人間的であり、正しく推進されねばならない。軽蔑されるべきは、犬であって、人間らしく生きようとするものは、たとえ過ちがあったとしても、軽蔑されるべきではない。