34289 | 返信 | Re:石井紘基代議士。 | URL | 八木沢 | 2005/04/14 14:10 | |
memo氏。 わけの分からない方向に議論がいってしまっていた石井議員問題について、ニュートラルな立場からの意見をお寄せ頂いたことに感謝します。 熊さんの好きな四文字熟語は「正々堂々」だそうです。熊さんを心から愛する私としては、正々堂々と、詭弁を駆使することなくがんばりたいと思います。熊さんというのは熊井友理奈さんのことです。 >政治家にとっては「敵と仲良くすることで戦争を防ぐ」ことも重要な仕事の一つなのですから、誰々と親しいから等という批判はあまり有効なものではないと考えます。八木沢さんは34057番投稿でクマさんが八王子平和市民連絡会に「元石原慎太郎の秘書」を入れたことを問題視していますが、これは私にすればむしろ讃えたくなるようなことです。 これは全然違いますね。まず、ご指摘の「34057番投稿」(http://otd2.jbbs.livedoor.jp/mondou/bbs_plain?base=34057&range=1)での私の発言は以下のとおりです。 >「元石原慎太郎(ママ)の秘書」なので「とてもではないが投票する気にはならない」という一年半前の声明発表時における認識になんらかの変化は生じるのだろうか。もちろん、生じたって構わない。ただその場合、「石原慎太郎の元秘書」というだけで、斬って捨て、声明にしてまで発表したという勇み足の事実はクマ氏に重くのしかかる。 連絡会に石原慎太郎の元秘書・阿久津幸彦衆院議員を入れたことを私が「問題視」したとのことですが、連絡会に誰が入ろうと、私にその是非を判断することなど出来るはずもありません。現に「認識になんらかの変化は」「生じたって構わない」と申し上げております。ただし、私は「勇み足」と表現しましたが、今回の阿久津議員の行動を見れば、二年前にクマ氏が彼に「元石原慎太郎の秘書」だから「とてもではないが投票する気にならない」という評価をしたことは、結果的に的外れだったのではないですか?そのことをどう総括するのですか?と聞きたいのです。「石原慎太郎の元秘書だから」という理由で彼を拒絶している点において、阿久津議員が今回のような行動をとることをクマ氏は想定できていなかったことは明らかです。「むしろ讃えたくなるようなこと」とのことですが、冗談じゃありません。こういうこともあるんだから、自分の先入観だけで安直な批判はやめるべきなのです。同主旨のことは、世襲議員批判のときにもクマ氏に申し上げました(http://otd2.jbbs.livedoor.jp/mondou/bbs_plain?base=32114&range=1)。「誰々と親しいから等という批判」が無効であるならば、「誰々の元秘書だから等という批判」「誰々の息子だから等という批判」だって同じように有効性はもちませんね。 次に、故石井議員の件。 >「(自由連合は)無所属の避難先にちかい」という帽子屋さんの見方に説得力を感じました。それにしても、政党をよく変わったことに異存はありません。が、「次々に自由連合の衆議院議員たちは自民党へと党籍を変更していった」なかで民主党を選び、時には党に逆らってでも戦争反対の姿勢を示したことは評価します。 inti-sol氏にしてもそうですが、映画「バトルロワイヤル」をつるし上げたことと、石原グループであることと、政党を渡り歩いたことがなぜ別々の問題として論じられているでしょうか。これは「スタンドプレー」という、生前から石井氏についてまわっていた評価から発する同じ問題ですよ。私は「表現」と「自由」の問題にもっともこだわっており、現にこの掲示板でも私の投稿のおそらく三分の一以上がそれについてのものと思われますが、元投稿「ある表現者の死に思う」(http://otd2.jbbs.livedoor.jp/mondou/bbs_plain?base=17588&range=1)に対しては主題である「スタンドプレーの一貫としての言論弾圧」の是非に全く話がいかず、石井議員は本当に石原グループなのかそうでないのかという、実にどうでもいい問題でinti-sol氏に執拗に絡まれたのは痛恨でした。途中本題に戻すことを試みましたが、うまくいきませんでした。私が石井議員が石原グループであることを言い添えたのは、正直いえば本多勝一へのあてこすりのためです。結果的として、これは余計なことだったと反省せざるをえません。石井議員は石原グループではないから、ではありません。カギかっこつきの「左翼」諸君にとっては、人間にとってもっとも大事な「自由」についての議論など実はどうでもいいことなのだということを二年前の私はまだ気がついていなかったのです。石原は好戦的だからどうのこうのとかなんとか喚いていればそれが議論だなんて、私の想定内にはありませんでした。あの場所で、話が拡散することが予想されるような石原の名前は出すべきではありませんでした。 自由連合についてですが、この政党に対する「無所属の避難先」という評価をもって石井議員が政党を何度も変わったという事実に何らかの修正が加えられるわけでもないでしょう。それどころか、特に彼が初当選した93年以降の政治状況を考えれば、生まれては消えた新党の大半が「無所属の避難先」であり、政党を渡り歩いた議員は皆「無所属の避難先」を渡り歩いているに過ぎません。だからこそ「渡り鳥」が可能なのです。国レベルでも地方レベルでも一定の組織を維持する日本共産党や公明党を渡り歩いた人などいません。まさに政党渡り鳥とは、即席政党をふらふらと出たり入ったりすることに他なりません。改めて振り返ると、自由連合はむしろ実態のある政党の部類に入るとすら言えます(あくまで他の「党」と比較して、の問題ですが)。 >(略)等も踏まえると、「石原グループの一員」という表現は一面的に思えます。氏は右翼にも知己を持っていたようですが、HPには週間金曜日へのリンクも貼っています。また、2001年のアフガン戦争時の、テロ特措法に基づく自衛隊派遣の承認案の採決では、民主党方針に「造反」して棄権しました。 社共の議員が他党にすらリンクを貼らないケースが多いのに対し、保守系の議員は比較的全方向にリンクを貼る傾向があります。昨年末まで持っていたウェブサイトにおいて私自身も週刊金曜日へのリンクを数年間貼っていましたが、私が週刊金曜日の主張に賛成であることを意味しません。これは、情報というものに対する「左右」の考え方の違いが如実に出ていると私は思います。石井氏が週刊金曜日にリンクを貼っていた、それがなんだと言うのでしょう。石原慎太郎はかつて週刊金曜日誌上に自ら登場し、佐高信編集委員との直接対談にすら臨んでいます(2000年7月7日号)。佐高氏のヘビににらまれたカエルぶりを梶村太一郎さんが猛烈に批判したあれです。 また、自由連合のオーナーであり、自他ともに認める石原慎太郎の盟友である徳田虎雄議員は自らの組織内の機関紙で以下のように発言しています。 >第2次世界大戦中に、アウシュビッツなどでユダヤ人の大量虐殺があり、多くの強国が弱い人たちを「生殺与奪の権利」を行使して殺戮しました。戦後も世界中強国の論理でエゴによる紛争により多くの無抵抗な人たちの生命が奪われています。人を救うはずの信仰が、宗教や宗派の違いで殺し合い、人を幸せにするのは、民主主義、共産主義、資本主義だと、主義を通す戦いでの殺戮が正当化されるのは不条理です。西欧キリスト教国は十字軍を組織して送り、エルサレムの聖地奪回の名目でイスラム教徒と戦い、ユダヤ教徒や東方キリスト教会にも蛮行を行いました。また、キリスト教国では、カトリックとプロテスタントが、イスラム世界でもスンニ派とシーア派が殺し合いました。ソ連はアフガンやチェチェンなどで、米国はベトナムやアフガン、イラクなどで、強国のエゴで価値観を押し付けたり、テロ対策の名目で戦争を仕掛け、何十万もの人を殺すなど理解できません。人や国には、年齢や歴史があり、大人が幼児をなつかない、泣き止まないなどの理由で虐待したり殺したりしています。宗教や文化の違う国を民主化するといい無意味な殺戮を続けるのは、大人が子どもに自分と同じ能力を求め、虐待し殺すようなもので理不尽です。 (「徳洲新聞」第455号)。 石原慎太郎は極右の好戦主義者だという決め付けを前提に誰々は戦争に反対しているからという理由で彼と相容れないという判断をすることがそもそも間違えているということに、いい加減に気づいて欲しいと思います。逆に、生前の野村秋介氏のような正真正銘の右翼から石原は強烈な批判を受けていたことや、自民党右派である古巣の自民党清和会のなかですらまるっきり相手にされてこなかったのが彼の政治家としての半生です。彼に唯一あったのは、国民的人気です。この人気を利用しようと集まった連中が石原と政治的見解がすべて一致しないからといってそれがどうしたというのでしょうか。石井氏のたとえば当時の森首相の神の国発言への厳しい対応をinti-sol氏は指摘しますが、これは既に述べたように野党としての与党への標準的な態度として簡単に説明がつきます。石井議員のこの問題に関する見解は、実は極めて常識的で穏当なものです。 ○石井(紘)委員 最近、森総理大臣が、日本は天皇を中心とした神の国だ、こういう発言をなされて、今大きな問題になっておるわけでありますけれども、防衛庁長官はこういう認識についてはどのようにお考えでございますか。 ○瓦国務大臣 本日の安保委員会では、恐らく各委員からこのことにつきまして総じて問われることである、こう思っております。私が申し上げさせていただきますのは、日本国憲法に定める主権在民、信仰の自由につきまして、これを尊重し遵守することは当然であると考えております。総理の発言につきましては、御案内のような国会議員の懇談会、神道政治連盟におきましての活動の経緯を紹介するという趣旨で述べられたものと承知をいたしております。総理の発言が、新聞等によって報道されておりますように誤解を招いたとすれば残念なことであると考えますが、また一方におきまして、国民に誤解を与えたり周辺国の信頼を欠くようなことにつながってはならないと思っております。 ○石井(紘)委員 私なんかも、かなり頻繁にと言っていいと思うんですが、神社なんかには通いまして、いろいろな行事にも積極的に参加をしているわけでありますが、そういう意味で、日本というのは、神様というのはいろいろなところにいるんですね。道端にいろいろな精の神様がいたり、お稲荷さんがいたり、いろいろいるわけで、ひょっとしたら森総理はそんなような意味で、日本というのはいろいろな神様があって神の国であるというような、そういう軽い気持ちで言ったのか。とすると、やはり総理大臣たる者が国の基本をわきまえずに、そう軽々に一つの面だけをとらえて言うというのはおかしいじゃないかというようなことになるんだろうと思うんです。 (第147回国会「安全保障委員会」平成12年5月17日) これに対して、外国人参政権問題はどうでしょう。こういった事例にどんな態度をとるのかということこそ、その政治家の理念を計るモノサシになるのではないでしょうか。外国人参政権反対派の急先鋒だったという事実は、彼を判断する上で非常に重大なポイントです。バトルロワイヤル問題も然り。 >氏が国会でこの問題を取り上げたのは映画の封切前のことです。原作を読み、実際に試写会を見た人の意見も聞いた上で議論を起こしています。(中略)個人的にはこの種の表現に規制をかけることは反対なのですが、「見ていない映画を評判だけで吊るし上げた」というのも歪曲した表現だと思います。 「封切前に」「原作(だけ)を読み」「実際に試写会を見た人の意見を聞いて議論を起こ」したことを、「見ていない映画を評判だけで吊るし上げた」と表現したら、それの何処が「歪曲」なのですか?ストレートすぎると批判するのならともかく、私は何一つ事実誤認も改竄もしていません。「この種の表現に規制をかけることは反対」なあなたが、国会議員が封切前にネガティブキャンペーンを繰り広げたことに対して、少々鈍感すぎやしませんか? >そしてそれら(memo注:既得権益を守ろうという)反石井の思いが、「ある一人の人間」に太陽光をレンズで集めたように熱を発し発火したのではないか。犯人が犯行以前に多くの「政治団体」「事務所」「組織」「企業」等を徘徊し、時には物品の購入を言葉は優しくとも強要、金品を求める行為。時には「情報」と称するものを持込んでいたことを思うと、その行く先々でどのような言葉がかわされ、時には「おだて」にも似たような小さな殺意がささやかれ続けたのではないか。 これはmemo氏の発言ではありませんが、このようなオカルトめいた説が大真面目に主張されていることは驚きです。左翼諸君の反石原の思いも、いずれ発火して石原を殺すのでしょうか。馬鹿馬鹿しい。肝心なところが抽象論に終始して、一体それが議論といえますか? 色々申し上げましたが、memo氏の問題意識自体は至極まっとうなものであり、参考になりました。御意見を頂いたことに重ねて深く感謝申し上げます。 |
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