34368 返信 Re:工藤さん。あまりにも無責任だ。 URL 水原文人 2005/04/17 15:22
> >  結局、今日の猛烈な反日デモを引き起こす「挑発者」としての役割を果たした「新しい歴史教科書をつくる会」や「靖国神社参拝を平然とやるクソ宰相=小泉純一郎」みたいな、ナルシズム的ナショナリズムのどうしようもない連中が、日本の景気回復を妨害しているってことになるわけですな。
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>  鶏が先か、卵が先かの議論になりますが、今回の一件でおそらく日本における自衛隊軍縮論は後退し、ミサイル防衛構想は強力な説得力を獲得し、憲法9条改正は力を持つことになるでしょう。今流行の「憎しみの連鎖」つってもいいけどね。

あまり関係ないですね。現在反日デモの被害に逢っているのは主に中国に進出した日本企業であり、中国が日本に進出するというような話にはなっておりません。また20世紀の前半ではなく現在となれば、居留民保護のため日本の軍事力を中国に派遣するというのは、憲法以前に国際法的および国際世論的にいろいろ制約が出て来ますから、現実的にあり得ない話でしょう。

>  中国の反日に対する日本国民の不安を解消する最も手っ取り早い方法は、中国陸海軍が東シナ海に出てこられない軍事的優位を維持する事(イージス艦をあのあたりに浮かべておくと、中国空軍は大陸から出てこれないそうっす)。そして核ミサイルを100発100中で打ち落とす技術を完成させる事。それが無理なら上海と北京を射程に収める核兵器を……となるのは目に見えてます。


まったく逆効果でしかないでしょうね。

>  中国海軍が台湾海峡で演習して、台湾民進党を援護射撃したのと同じです。今後核武装論を含めた軍事力重視、中国脅威論は益々力を持つでしょう。

同じ理屈からすれば逆に中国における(実のところ、ごく一部でしかない)反日感情をますます援護射撃する結果にしかならないことに、なぜ気づかないんでしょう?

>  中国民衆の反日行動は日本の軍国主義を打倒すると称しつつ、実は日本の軍国主義(?)、民族主義を支援しているという、極めて馬鹿げた自体に陥りつつある。

まったく同じ理屈で、日本の一部の反中国行動が結局中国内の一部の反日運動を支援しているという、極めて馬鹿げた自体に陥っていることになぜ気づかないんでしょうね?

>  この状況を打破する唯一の方法は、中国政府が毅然とした態度でデモを沈静化させ、暴力行為には断固たる姿勢で臨むことです。反日デモを抑えこみ、”愛国教育”のあり方を考え直し、日本人に対して中国が敵意が無い事をアピールする事。これが最も効率的に日本の軍事的膨張を抑える事が出来る。

だから同じ理屈からいえば、スクイポンさんが主張している日本の軍備増強が中国の軍事的膨張すら引き起こしかねない危険性も出て来るんですけど、なんでそういう当たり前のことに気づかないんでしょうか?

>  当然、中国の反日に理解を示すなど論外中の論外。正に利敵行為と言えるでしょうな。

支離滅裂になっております。スクイポンさんの理屈から言えば、中国の反日に反発することこそ論外中の論外。正に利敵行為と言えるでしょう。

>  もちろん、日本も考え直すべき事はある。自分は基本的にやや右よりの立場に立つので、靖国参拝にはそう否定的じゃない。ただ、中国政府に対しては「これはわが国の内政問題だ!」でいいのかもしれないが、感情の生き物に過ぎない中国民衆を相手にする場合はそうはいかない。やはり靖国は考え直すべきだと自分も思う。

靖国の問題は、A級戦犯合祀の問題を除けば本来日本の国内問題であり、まさに日本人の感情に関わる問題です。A級戦犯合祀の問題は国際性を帯びずには済みませんが、それですら実は建前・大義名分の問題でしなく、ごまかし様はいくらでもあります。

むしろ靖国参拝が問題になるのは、文句の着けどころとして手っ取り早いから象徴的に取り扱われているだけでしょう。政治的な判断としては控えた方がいいでしょうけれど、戦没者遺族の感情をそう無視していいのかどうかだって、日本国の政治指導者としてはいいかげんに対処していい問題ではないんじゃないんですか?

そもそも総裁選に勝つ手段として遺族会の取り込みのためにその戦没者遺族の感情をおもちゃにした小泉が悪いと言えばその通りなんですが…

>日中双方が互いにある程度傷を追い面子を失う事で自体を沈静化させる。今取りうる選択肢はそれしかない筈なんですけどね。

ほっときゃ収まる問題ですし、本質的に中国の国内問題なんですから、形式上やらなければいけない対処(暴力行為に対する治安組織の怠慢への抗議、こと大使館への攻撃)を除けば、なにもしないのが一番じゃないですか? ちなみに中国内でデモの自由が限定的にせよ認められつつあることそれ自体は、結構なことです。朝日新聞までが「取り締まらない中国政府」を非難することは、自由主義の観点から言えば嘆かわしいことであります。思想的にフラつき過ぎ。

政府のやることは政府のやることとして、我々は自由と民主主義を奉ずる国家の市民なんですから、それとは別にやっていいこと/やるべきことはいっぱいあると思います。そのひとつは、中国の民衆がいっしょくたに「反日」などではないことに気づくことじゃないですかね?

日本の左翼ないし平和主義運動のほとんどがそういう動きをとらないこともまた、極めて嘆かわしいことだと思いますが。

>というわけで告天子さん、

小林さん、兼松さんとのやりとり、興味深く見ております。基本的には「侵略であるかどうか」という断罪よりも経緯を検証するという告天子さんの議論には概ね納得しておりますし、満州国崩壊時に日本人20万が虐殺や集団自決、それに病気や餓死などの悲惨な形で命を落としたことは認識せねばならないことだと思いますが、一方で現実には「日本対中国」の構図が「日本人対中国人」の構図にそのなまカーボンコピーされたと考えておいでなのだとしたら(たぶん違うと思いますけど)、その点に関しては多少異論があります。

中国残留孤児の皆さんというのがひとつの顕著な例だと思いますが、ごく普通に人間として、殺すことはしなかった人々、さらには命を助けたりした人々、国家は国家としても個々の日本人と友情の関係にあってその友情を守り通した人もまたいることは忘れてはならないでしょう。大文字の歴史、国家対国家、民族対民族という対立の図式を超えた立場で行動することができた人間は、満州国崩壊時、いやそれ以前の満州国の時点ですら、実はいたわけです。実数は少なかったかも知れませんが。

実際に行動を起こした人は少ないかも知れませんが、心のどこかでそう思ったであろう人であれば、実はむしろ多数派になるのではないかとすら思います。そうした個々人の個人としての人間的感情が、「国家」あるいは「民族」という大義名分によって押さえ込まれていたのだとしたら、それこそが悲劇ではないでしょうか。

その意味では、「日本の侵略」という一言で善悪の白黒をハッキリさせるみたいな態度自体に僕は組することはできず、その点において告天子さんとの共通点もあるのではないか、と思っております。

まあその辺りの話は小林さんの“風物詩”が少し収まってからの方がいいかな…。来月に、5年ぶりに満州に行くかもしれないんで、その後の方がもっといいかも知れませんね。