34369 返信 Re:「何もしない」対策の内容 URL 兼松真哉 2005/04/17 16:02
告天子さん。こんにちは。投稿34356への返信です。

> >  通州事件の責任者は、第一に実行犯にあると思います。

> それは間違いです。軍事行動ですから、兵士に指令を出していた司令塔があったはずです。

 おっしゃる「司令塔」が反乱の首謀者だった張慶餘である可能性が含まれるのなら、上記に依存ありません。ただし、保安隊の外に「司令塔があった」ということは証明されていないと思います。

> >  で、監督責任や予防責任は国民党にはないのだから、冀東政権の「黒幕」の日本側(軍部や政府など)に監督責任や予防責任があることになると思います。

> とんでもない話です。片や「実行犯に責任がある」と言いながら、襲われた側の、被害者側の日本に、事件の責任があるのだなど、倒錯も甚だしいです。

 すでに述べたような反日感情の原因となる積極的な行為をしているのであるから、責任がある、というのが私の考えです。(華北分離工作の進行の過程で作られた冀東政権成立前には、日本人通州居留民はわずかしかいなかったのです。)

> 何故、国民党に責任がない、と言えるのですか。

 正確には、「国民党に責任が」あるというたしかな証拠が無いです。 直接的には、反乱の首謀者だった張慶餘の決断であるというのが、現在のところ説得力があると思います。彼が国民政府側と交流があったとしても。

> この時点では、国民党は既に共産党と通じており、徹底的に抗日運動をやり抜く、その謀略は既に成立しており、停戦協定も何度も破っている。「戦争の拡大を防ごう」という意志は、もう彼らは持っていないのです。

 停戦協定が破られたのは、現地軍の将兵の反日感情を国民政府中央が抑えきれなかったという面もあるということを日本側は考慮して、たとえ中国側が停戦協定を破ったとしても、中国側にさらなる撤兵要求をし、そこに日本軍を入れたり親日(傀儡)政権を樹立したりしなければ良かったとは思いませんか?

> そういう流れを無視して、「通州事件の責任は、日本政府にあり」という意見が出てくるという、これは驚くべき倒錯であります。

 華北分離工作の進行とともに日本軍が通州周辺に軍事的影響力を行使してから(冀東政権が成立してから)、すでに述べた麻薬製造・売買や、冀東特殊貿易に関わる日本人居留民がどっと増えたという流れを無視してはならないと思います。

> 兼松さんの説は、自分の主張のために様々な根拠を引っ張ってくる、という話であり、「真実を知ろうとして」のことではない。一見冷静に見えても、政治言論である、と考えます。

 前述の、中国人に被害を与える活動をする日本人居留民の増加は、「自分の主張のために様々な根拠を引っ張ってくる、という話」なんでしょうか? わたしは誠実に根拠を提示しているつもりですが。

> 麻薬汚染の拡大があった、安い関税で中国経済が被害を受けた、そういう事実はあったでしょう。しかし、それが「虐殺を正当化したり、虐殺の責任が日本政府にあるという理由にはならない」です。

 無差別虐殺を正当化する理由にはならないでしょう。しかし、すでに述べた麻薬製造・売買や、冀東特殊貿易に関わる日本人居留民がどっと増えることを推進し、反日感情を高めた責任が日本側(軍と政府)にはあると思います。

> 兼松さんの常識では、「侵略を受けたのだから、虐殺をしても構わない」という見解だそうですが、何度も言ったとおり、文明を全面的に否定する、暴力的で野蛮な考え方であると、改めて指摘します。侵略を受け、被害を受けた側は、「絶対の正義」の立場に立つが故に、もはや何をしても許されるのだ、免責されるのだ、というような説は到底受け入れられません。

 「何をしても許されるのだ」とは述べていません。

> 虐殺を正当化し、その責任を逆に被害者側に持たせるような説を冷静に説くあなたは、根本的に間違っています。

 「虐殺を正当化し」てはいません。軍人でなくても侵略した地域に入って侵略による利益を積極的に得ようとする者は善良な市民ではないのだから、そのような人々を侵略された側が駆逐するのは虐殺ではない、というのが私の考えです。

> 「権利がないから、ロシア人は出て行かなければならない」などと、兼松さんがいくら言っても、誰が聞きますか。少なくとも、ロシア人は聞かない。そして、あなたはロシア人には言わないという。そして、血を流して戦った日本人には言うという。それが、あなたの欺瞞です。そして、あなたの言う「正当さ」の、うつろさです。

 もし、日本が大陸進出をせず、ロシアがいすわり続けていたなら、ロシア人にも言いますよ。

> とりあえず、弱い者、攻撃しやすい者を非難する、責任をぶつけるというやり方だと思います。

 ちがいます。母国の不正に甘くてはいけないからです。

> 個人の間の契約と、国家間の関係を混同していると思います。今、「銃を突き付けて、印鑑を押させようとしている」と言うなら、それはむしろ中国で、「普遍だ」というのなら、今の中国の行為をも責めるべきでしょうね。勿論、日本国にだけ「銃を突き付けた」のではないですよ。中国は、可憐な被害者などではないのです。

 その「国家間の関係」によって、侵略の犠牲になった中国の民衆のほとんどすべては一方的な被害者です。

> では、その武力の保護がなくなったとき、容赦ない虐殺を、陵辱を繰り広げても、「日本人は侵略者なのだから、文句を言えた筋合いではない」、というのがあなたの言い分なのですね。居留民も、軍部と一体だから、軍人と同じく「戦争行為者」の兵士に他ならぬ、殺戮をするのは正当である、少なくとも罪は大分軽い、と。

> あなたの意見は、明らかに国際法の精神に反しています。

 それはそうかもしれませんし、すくなくとも国際法には反しています。
 わたしは、この点については国際法の不備であると考えています。(侵略行為による利益を保護してしまうという点で。) すくなくとも、侵略した地域にいる侵略国の国民(文民含む)を限定して攻撃する場合は、正当だと認められるべきだと思います。

> 民間人の殺戮を正当化するなど、単に「中国の政治主張を擁護する」ためだけのものであり、

 中国は(すくなくとも共和国の方は)、「民間人の殺戮を正当化」したことはないでしょう。そういう意味で、わたしの見解は中国以上に「過激」ですね。

> それこそ「普遍的な人道精神」に反するものです。

 反するという意見の方が普通でしょうね。この点についてのみ、「普遍的な人道精神」を私は支持しません。

> 兼松さんは、むしろ好戦的・侵略的な立場で、終始意見されていると思います。表面上、被害者の立場に立っているように見えますが。

 「好戦的」と言われてもしかたないかもしれませんが、「侵略的」ではないですよ。

> >  武力を背景とした権益の獲得・拡大という反日感情の原因となる行為を日本がしていた以上、当時の中国側に要求することはできないと考えています。全部「権益」を放棄して、はじめて要求できたのではないでしょうか。

> つまり、日本が全ての中国権益を放棄し、大陸の防衛のために流した血は流し損、中国は取るものだけ取って、犯して殺して、あとお前らは用済みだから、日本人は出て行け、と。

 敗戦するずっと前に出ていけば、「犯して殺して」は無かったと思います。

> >  もちろん、個人被害者が賠償を中国政府に求めることは正当な権利だと思います。

> 権利というのは、あると思ったからある、というような代物ではありません。あなたの意見は、やはり反文明的だと思います。無法の、暴力を支持する、混乱をますます深める意見です。

 ここについては、何か勘違いしていませんか? たとえば、シベリア抑留者がロシア政府に賠償を求めるのは正当な権利だというのは、普通の考えだと思うのですが。

> >  その「普遍的な思想」を常に基準にしていますので、ダブル・スタンダードではありません。

> いや、普遍的な思想ではなく、自己中心的で、自己の目的を達成するためならば虐殺をも許されるとするような、暴力的な思想です。だんだん分かってきました。

 「自己中心的」というのは違うと思います。わたしが虐殺される側になる可能性もあるのですから。わたしが述べた原則はわたしにも適用されるのです。むしろ、(明確な敵対行為に参加していない)非戦闘員の殺害は不可というルールの方が、わたしの安全にとっては都合が良いのは明らかです。将来、反米感情がある、米軍駐留地域に私が仕事などで行くことになった場合などを考えれば。

> >  すくなくとも(植民地になりうる最後の大きな地域)中国については、経済力で勝負しましょうというのが、門戸解放・機会均等ではないかと思います。

> あれは、植民地戦争に出遅れたアメリカが、自分のところはモンロー主義で固めて、中国については解放だと、自分勝手なダブスタ要求を「普遍的な思想だ」みたいな調子で言ったまでの政治言論です。どこか似ていますね。

 当時の状況から、そう言われてもしかたないでしょうが、「普遍的な思想」を世界に広める第一歩という評価はできると思います。グローバリズムが良いということではなく、武力による植民地支配は悪いという意味で。

> > ナチスの行動は帝国主義的植民地分割とは違うと思いますし、アメリカの軍事力が強大になったのは、アメリカの国力が強大になったことと、第二次大戦への対応、冷戦への対応のためだと思います。

> じゃあ、世界は全然「これからは経済で勝負だ」みたいな話とは違っていたじゃないですか。

 そうですね。「これからは経済で勝負だ」の第一歩となったということでしょうね。「ダブスタ要求」ではあっても。戦後の自由主義陣営は、まがりなりにも「経済で勝負だ」を実践してきたのですから、継続性もあります。

> >  わたしは、無差別殺人については、「それほど問題ではない」とはしません。

> なら、虐殺の罪は日本の侵略により、許されるのだというような意見は言うのはおかしいです。戦闘行為の結果の死ではなく、陵辱し、相手に屈辱を与えて、楽しんで殺すような殺人は、「無差別殺人」どころではない、人間として、絶対に許されないことです。普遍、というのなら、そういうことこそ、普遍の人間の信念であるべきと私は信じます。ところがあなたは、普遍の名の下に、そういう殺しを容認し、正当性を与えているのです。

 侵略者を排除するための攻撃を正当だと言っているのであって、「陵辱し、相手に屈辱を与えて、楽しんで殺すような殺人」は容認しません。

> >  ところで、詳細が解明されていない部分があるのに「余程非道な殺しが行われた」と断言するのは、「驚くべき非人道的意見」や「寒気がしますよ」に該当しないのでしょうか?

> 非道な殺しがあったことを、あなたが知らないだけです。ご自分で調べてみてください。全員殺してしまえば、もう闇から闇ですから、知られずに終わったことなど、どれほどあるか分からないほどです既知のことについては、生き残った人の証言を、読むなり何なりしてください。

 「余程」のような比較を批判しているのですが。「全員殺してしまえば、もう闇から闇」は南京虐殺についてもあてはまると思います。(南京攻略戦の過程では、強姦したあげく殺してしまった事例が(数はともかく)あることは認めてらっしゃるのですよね。)

> >  また、「満州の悲劇をことさらにプロパガンダで言い立てて」などと言われたら、「驚くべき非人道的意見」とおっしゃるのではりませんか?

> プロパガンダではなく、事実なのですから、これまた兼松さん流の倒錯意見、として受け取られていただきますよ。あなたは、白いものを黒だといい、黒いものでも白だという。殺した者が、逆に「被害者」になってしまい、「何故責めるのだ」となりかねないですね。

 ですから、南京大虐殺だって事実ですよね。(否定されてはいませんよね。) それをプロパガンダだとレッテルはりするのは、南京大虐殺の被害者に対する冒涜ではないのですか?

> >  正当だったとは思いません。治安維持能力がないからやむをえずという場合を除き、わたしは常に死刑には反対です。現在までの刑事司法制度では冤罪の可能性をゼロにすることは不可能ですから、再審の道を閉ざすべきではありません。

> 死刑には反対で、どうして虐殺には賛成なのですか?。侵略されたと思ったら、外国人を虐殺しても、罪は軽いであろう、という反文明的な意見でありながら、死刑には反対とは驚きです。死刑に反対するなら、死刑に処されるような罪を犯すような者に、まず反対してください。犯罪的行為を正当化するような説を説きながら、死刑には反対だなど、到底賛成しかねます。

 無差別でないならば、(非戦闘員を含む)侵略者殺害は、救済する上位者がいない状況での自衛の範囲であると考えるからです。
 死刑には反対なのは、冤罪の可能性がゼロではないからで、「死刑に処されるような罪を犯すような者に、まず反対」することを妨げるものではありません。

> >  しかし、日本が大陸に進出しなければ、日本がロシアの属国になっていた可能性が高いと言える説得力のある根拠はないと思います。

> 日本が大陸に進出せずに、どうやってロシアと戦えばよかったのでしょうか。日本海沿岸にまで、ロシア陸軍が来るまで待っているのが礼儀です、とでも仰るのでしょうか。

 あきらかな自衛と主張するには、そういうことになるでしょうね。

> >だから、日本の大陸進出を自衛であるなどとは言えず、最初から(日清戦争から)侵略であったと評価するしかないと思います。

> 最初からそう「評価」しないと、兼松さんの主張に理屈が付かないから、そういうのでしょう。

 逆です。日本固有の領土の外で、しかも先住民がいるところに軍隊を派遣したから侵略だという単純な原則を、当時の日本側(軍・政府)の立場に近いと思われる告天子さんの主張を忖度しても、ひっくり返すのは無理でしょう、ということです。

> >  また、たとえば、北伐完了の頃に日本が「権益」を放棄すれば、国民政府の軍事力は向上していたし、放棄の条件として、国民政府と対ソ軍事同盟を結ぶことは可能だったのではないかと思います。

> 残念ながら、最初に兼松さんとお話をしたきっかけになった、南京事件という日本人虐殺が起こったのが、ちょうど北伐完了の頃ですよ・・・。その後も、まだまだ日本人虐殺事件は続きます。どうして「権益を放棄」して、対ソ軍事同盟を結ぶことが「可能」でありましょうや。だから、「空想だ」、というのですよ。

 すべての「権益」を放棄して反日感情の理由を取りのぞけば可能だったのではないですか、と思いますが、「空想だ」と言われてもしかないかもしれません。

> あなたは、上のハル・ノートの件でもそうですが、「歴史」に対して、次から次へと「空想」をぶつけているんです。歴史事実の脈絡についての無知を、自分の正義の主張を通すために逆に利用している。こうだったかも知れない、ああも出来たじゃないかと、それは、事実を知ろうとする者の態度ではなく、言いがかりを付けて断罪しようとする者の態度でしかありません。

 その「空想」は、話しの流れにおける傍論です。(日本固有の領土の外で、しかも先住民がいるところに軍隊を派遣したから侵略だという単純な原則から、中国におけるすべての「権益」を日本は放棄すべきであったという主な主張をするのに、おっしゃる「空想」は必要ありませんから。)
 「言いがかり」を付けているつもりもありません。

> それどころか、同胞が大量に殺戮された満州の件まで、「プロパガンダではないのか」と逆質問するなど、あなたはもはや道を大きく踏み外していると思います。

 「「プロパガンダではないのか」と逆質問」していません。よく読んでください。