| 34432 | 返信 | Re:デモで起きた暴力 | URL | リー | 2005/04/19 00:12 | |
> 私は、葉 千栄 東海大教授をTVで見まして、物凄く感心しています。 > あれほどの迫力をもって、正論を述べられる人は日本にいないと、中国人の凄さを再確認している者です。 > 一番感心しているのは、中国の間違っている点を、堂々と認めて話を進める態度です。 > 私もそれを見習って、日本が間違っている点を認めることに、躊躇しない態度を取りたいと思っております。 私は、上記に記述しておられるあなたの文意は推測できますが、表現上からの違和感 をそのままにして受け止めることはできません。これは通常における日本語の限界な のかも知れませんが、それでもまちがいなく看過することができない問題をはらんで いると思うので、まずあえてその点から意見を述べたいと思います。 私が看過できないとする点は、「中国の間違っている点を、堂々と認めて」という 「中国の」という文言にかかります。日本人にとっての「国」というのは、実にあ いまいなものである。英語で言うと、国に該当するものとしてland,coun try,nation,stateと少なくとも四つの表現があると云う。この四 つは重なりあい共通する部分もあるが、スペルが違うように全部違うものを表して いる。landというのは自然的な国土であり、countryは人々の集団であ り、nationはそれの政治的統一体で、stateはそういうnationや countryに作られる政府とか、裁判所、軍隊、議会、地方行政機構とかの国 家機構を指している。全部違うわけであるが、日本人には一般的にこの違いがわか らない。それら四つを全部いっしょくたにして「国」としかイメージができない。 それ故にたとえば次のような表現上にもなりえると云う。 まず英語的表現では「stateの政策が悪く、landの環境を破壊するので、 nationの利益に反するとして、country中に非難が起こっている」と いう文章が成立する。ところが日本人はこれを「国の政策が悪く、国の環境を破壊 するので、国の利益に反するとして、国中に非難が起こっている」という意味不明 の文章としてしか表現することができなくなると云う。 さて、ところがこういった日本人による国のイメージが自国以外に振り向けられて 発現するとき、特に問題が生じた場合には、明治期につくられた日本のナショナリ ズムが牙をむき容易にひろがっていくしくみがある。たとえば日本における新聞報 道ではどれだけ凶悪事件が起きても犯人が日本人である場合、いちいち日本国籍者 であることは報道しない。しかし外国籍者となるとその国籍を報道することが通例 となっている。日本の多数の人々における認識においては国と個人の区別がついて おらず、曖昧にいっしょくたのイメージがあるので、事件にまったく関係のない個 人を、ただ犯人と同じ国籍だということだけで、これまで数限りない差別や憎悪あ るいは暴行が個人にむけられてきた経緯がある。東京の都知事などはそれを悪用し て憎悪の拡大を煽りまくっている状況もすでに周知の事実である。「北朝鮮が云々」 と繰り返されるのもその典型のひとつにすぎない。 さて、本題にもどすと、つまり「中国の間違っている点を堂々と認めて」というと き、中国のどういう点が間違っているのかについての言及がなければならない。そ の点に言及せずに「堂々と認めて」との評価をそのまま受け止める気には、私はな らない。 無論、その後に続くご意見が、「中国の間違っている点」を示すことになろうとい う意図があるのかも知れませんが、前提にある疑問を放置するようなことをしたく ないので、あえて指摘しました。小林さんは葉千栄氏の発言から、「中国の間違っ ている点」とは、具体的にどのような内容だとおっしゃりたいのでしょうか? 少なくとも個人と国家を混同したくないという意図から、とりあえずの指摘をさせ ていただいた次第です。 |
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