| 34452 | 返信 | 「二国間認識」が排除するもの | URL | あしな | 2005/04/19 10:04 | |
| 日本国内で現在の日中関係が対立的側面のみから語られる場合(大マスコミの論調も概ねそのようであるとの印象を受けるが)に論者の意識から欠落しているように見えるものが3つある。 一つ目は前投稿でも指摘した内容に通じるが、日本と中国以外の国々の存在。当然の事ながら「対立する」両国以外にもそれぞれの国と多様な利害関係を持った国が存在する。それらの国はそれぞれの利害と思惑を持って日中関係に対処せざるをえないのだが、その辺がどうも見えてこない。 二つ目は対立に至る歴史的経緯。日本の「対立」論者は中国国内での「反日行動」の高揚を主に中国政府の「反日教育」政策のせいにしているが、関係性について語る場合にある状況の原因を一方的に相手のせいにすることは「下手なけんかのやり口」ではあっても対話の方法ではない。中国とけんかをするにしても本当に勝つ気があるのなら、1990年代以降の日本政府の姿勢や行為を意識化して正当化する必要がある。しかし「対立」論者あるいは「対立的対中批判者」の見解では、まるで日本国政府及びその要人は中国に対して一貫して無垢で誠実な姿勢をとり続けてきたかのようだ。 三つ目はそれぞれの国内の政府と人民の差異が無視されている点。一般的に排外ナショナリズムは国内矛盾の隠蔽の手段ではあるが、そこで隠蔽されている「矛盾」に注意を向けていかない限り、日本にとって日中対立は「負けるけんか」にしかならないだろう。しかもここで言う内部矛盾は中国側のものだけではなく日本側のものについても同様だ。権力側からの視点にたてば、現在の「日中対立」についての語り方は国内矛盾を外部に転嫁し、「国民」に対して国家権力との未分化な一体感を涵養するのに好都合であろう。その様にして国家と「国民」の一体化が強調されれば、人民は「国民」と非国民に分断されることになる。それで結局は「国民」もわりを喰う。 |
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