34488 返信 Re:兼松さんの二原則について。 URL 兼松真哉 2005/04/20 22:22
芥屋さん。34387への返信です。

> > >まず、兼松さんの二原則についてですが、

> > >(1) 侵略された側に立つこと。
> > >(2) 外国の不正よりも、母国が正義から外れているのを正そうと努力することを優先する。
> > >なぜ(1)と(2)を同時に兼ねられるのでしょうか。今回のケースで言えば(1)中国の側に立ち(2)母国である日本の不正義を糾す…となりますが、

> >「中国人の側に立って当時の国難を考える」ことなど、わたしの能力を超えていますので、できません。

> できないことはなさらないようにすべきです。(1)による「侵略者の側に立つ」は詐称であります。

 わたしの書いた「侵略された側に立つ」は「中国人の側に立って当時の国難を考える」を意味していません。よって、「侵略された側に立つ」は、すくなくとも芥屋さんにとっては、誤解をまねく表現でした。この表現を以下のように限定します。
 (1') 侵略された側を支持・応援する。最低限、侵略した側の肩を持つようなことはしない。
    できれば、そのような行為について、見て見ぬふりをしない。

> >わたしの「侵略された側に立つこと」というのは、中国人が受けた被害が念頭にあります。そして、すくなくとも二十一か条要求の後は、日本による侵略のウエイトが列強の中で突出していったと言えると思います。(満蒙特殊権益と、それにともなう日本人居留民の人口の多さから。)

> 「二十一か条要求」は民論沸騰を受けた愚策であり、撤回等が実現されなかったことは真に反省されるべき性質のものです。ただしそれ以後「列強の中で突出していった」のは何故かということの考察も抜きに、「母国の不正」も何もないでしょう。都合のいい時期だけを切り取ればいいというものではありません。「満蒙特殊権益と、それにともなう日本人居留民の人口の多さ」は、漢土直近の列国としては当然であり、列強内の「横の比較」には何ら意味を生じるものではありません。アルジェリアにおいてフランス人入植者(コロン)が列国中突出しておる…だから何なのか、ということであります。

 「漢土直近」であるから補給・情報伝達の点で有利であり、かつ、ワシントン会議の頃には世界第2位または第3位と言われる軍事大国であったのだから、中国で行動するという点で、一定期間、事実上日本が最強であり続けたと言えると思います。(ソ連軍が近代化され、その強大さが認識されたのはずっと後のことです。) よって、当時の日本は、中国を侵略している国々のなかで優先的に非難すべき国家であると考えることは、不自然な考えではないと思います。
 また、前段落のことについて、すくなくとも日米開戦の頃までは継続性があるので、「都合のいい時期だけを切り取」っているとは言えないと思います。

> >「(1)の立場を取りたい動機の基準が(2)で」はありません。日本が(ほとんど)関わっていない問題の場合は(2)については考えないのですから。

> 「日本が(ほとんど)関わっていない問題の場合は(2)については考えない」のは「国の不正よりも、母国が正義から外れているのを正そうと努力することを優先する」のであるから同じ意味のことで、これも同義反復です。また、そのことは直ちに「(1)の立場を取りたい動機の基準が(2)」を意味するではありませんか。

 「そのことは直ちに」以下が論証(論理展開)になっていると思えないのですが。

> しかしだからといって、それを過去の日華関係に同一視してどうなります。米英から莫大な軍事援助と資金援助を受けていた蒋介石の中華民国は、現代のパレスティナですか。ソ連の支持と援助の元にあった中国共産党は、現代におけるハマスだと言えますか。日本帝国が現代のイスラエルであるなら、現代における「イスラエルの庇護者アメリカ合衆国」に該当する大国は当時のどこですか。

 おっしゃることは一理あると思いますので、推奨はしない旨のことを付記したと記憶しています。
 ただ、国民政府も共産党も助けにきてくれないという認識を持つ人たちが(実際、「不抵抗」の方針を国民政府は取ったことがありますし、現代のような情報化社会ではありません。)、仮に、軍人でない人を殺害したとしても、それは許容されるべきである、というのが私の考えです。そのような実例が広くあったからそう述べているのではなく、原則がそうあるべきだ、ということです。(日本の降伏を知り、関東軍が去った状況を見て、女性や子供が主体の人々を攻撃したり殺したような行為が言語道断であるとことは言うまでもありません。)
 (ちなみに、通州事件については蒋介石が謝罪を表明していた記憶があります。全中国の指導者であるという立場で謝罪したのでしょう。共産党についても文民殺害を正当化したことなどないと認識しています。)

> ブッシュ大統領は、かつて自国が日本にそうしたように、イラクを戦争によって民主化させるのであると言う。アメリカを中心にNYテロの航空機テロを神風になぞらえる論調もあります。本当にそうか。

 神風は軍事目標が標的だし、日本はアメリカを侵略したわけではないので、全然違うことは言うまでもありません。

> これに付随して、侵略された側は、敵側の軍民を選ばずに虐殺しても責めは受けないとする論は闘争の運動から言っても全く当を得ないものであるむね、明日以降にでも個別にレスをいたしましょう。

 読みました。お書きになられた問題があることは分かります。

> > (自虐史観と評されそうな人も含めて)日本人研究者による研究はいちおう日本独自のもので、中国人研究者の影響は小さいと思います。

> その日本人研究者は、中国人研究者の論を否定した上で立論しているのですか?「影響は小さい」と判断する根拠が解りません。

 以下が根拠です。

  1.  巻末にある文献一覧の内、専門書や論文の大半は日本人著者によるものです。(念のため、図書館で、小学館の「昭和の歴史」と、岩波の日本史の通史の新旧2セットの近現代の部分をチェックしてみました。)
  2.  たとえば、南京大虐殺については、(いわゆる)「大虐殺派」の研究者であっても、中国人研究者による虐殺人数よりずっと小さな数字を虐殺人数としています。
  3.  南京大虐殺のようなテーマについてのシンポジウムの内容が本になったのが出版されていますが、比較的最近のことであり、それ以前は、このようなテーマについての活発な交流はなかったのではないでしょうか (推測)。
  4.  日本の研究者集団は十分に大きく、歴史も長いので、中国人研究者の助けは不要であったのではないでしょうか (推測)。
  5.  「侵略」という観点は、占領から東京裁判という中で、中国人研究者と関係なく持ち得たし、戦前・戦中から「侵略」と考えうる情報が日本に入ってこなかった訳ではないと思われます。であれば、知識人層は、戦後、「侵略」という観点を持ちながら近現代史を考えるということを独立発見することは、十分ありえたと思います (推測)。

> >何回か書きましたが、ほとんどすべての中国人民衆にとって日本による侵略は一方的なものだったと認識しています。

> 一方的ではない、つまり自衛と言っても正当な自衛と過剰防衛(つまり侵略)がからみあっていると私は考えます。しかし一方的であるとどうしても言わざるを得ないために言うのが「通州事件も日本軍の責任」なのですか。こじつけもはなはだしいと思います。

 違います。ほとんどすべての中国人民衆(何億人か忘れましたが)は、日本人居留民に暴力をふるったことさえないから、ほとんどすべての中国人民衆にとって日本による侵略は一方的なものだったと認識しています。(「ほとんどすべて」は本質ではないのですが。)

> >反日感情を原因とする日本人居留民に対する暴力や、国民政府による停戦協定違反を持ち出して、一方的な侵略ではない、経過を無視して断罪しているなどと主張されることに説得力を感じません。

> 兼松さんにとっての説得力の有無は問題ではありません。あなたの論はそれに説得力を感じないからこそ提起されているものでることは誰の目にも明瞭なのであり、今さら言明される意図を疑います。 ...略...

 告天子さんの投稿の各段落にコメント付けるというスタイルで返信し、全体の構成として分かりやすくしようという努力をしていなかったので、わたしの考えが伝わっていないかと思い、念のため、言明いたしました。

> > >自国の不正義をこそ糾したい、と言うのであれば、まず突き詰めなければならないのは、それは「日本の正義とは何か」であります。

> >それに関する回答はすでに示したつもりです。列強のように侵略行為はしないのが正義である、ですね。

> それでは駄目です。「日本の不正義をこそ問題にする」と言っておきながら、基準を他の列強においてアンチで済ますとは何事ですか。日本人に何ができたか、正義があるとすれば何だったか。

 まず、最低限、侵略行為はしないというのをおさえた上で、「日本人に何ができたか、正義があるとすれば何だったか。」ということを考察するのは悪いことではないと思います。が、たとえば、北海道警の不正を正すために彼らの不正行為をあげる場合、「北海道警の正義とは何か」を「突き詰めなければならない」とは思いません。
 「日本人に何ができたか、正義があるとすれば何だったか。」ということについて述べる能力が無くても、不正を指摘することが必要だと判断したり、不正を相対化したり忖度している言論は批判されるべきだと判断したら、黙っているよりは、発言したほうが良いと思います。

> しかもここでまた上記(1)(2)の相関関係による「侵略行為」の自己循環定義に戻るのですから、何を基準にしているかすら不鮮明です。

 その「自己循環定義」であるという御主張の根拠が分かりません。以前の御投稿を読んでも論証になっているとは全く思えませんでした。御自身の説明が論証になっていると本当に思われているのでしょうか? ちょっと信じがたいのですが。
 もし、「自己循環定義」ではないのか? という問いかけであるのなら、そうは思いませんというのが私の回答です。