| 34503 | 返信 | Re:中国の間違っている点 | URL | リー | 2005/04/21 11:57 | |
| > リーさん コメント有難うございます。 > > 凄い学識を感じ、教えてもらえるところが多いような期待感が膨らみます。 > > 我々は「国」という言葉を曖昧に遣うことが多いようです。 > 特に「ネーション」という言葉は難解で、私も良く解らないのだろうと諦めています。 > (余談になりますが、リーさんは今の中国はネーションだと思いますか?) > > さて葉千栄教授の発言としての「中国の間違っている点」という私の表現も曖昧だったのですが、 > デモで投石等の暴力を振るった中国人、と > それを制止し、逮捕しようとしなかった中国政府、と > その二つのことに謝罪しない中国政府 > をまとめて、「中国」という言葉で私は表現しました。 > 葉千栄教授はこれらのことは明らかに間違いだと言っていました。 > これら全てにリーさんは葉千栄教授と同意見でしょうか? > > 中国が明らかに非常識なこれらの点をリーさんにも認めてもらわないと、建設的議論が出来ないと思うのですが・・・。 小林さんによる投稿を見る限りにおいて、今回の「デモ」について、議論 をする前提を確立しておきたいわけですね。 それを確立しておかないと明らかに非常識な点を認めないということになり、 したがって建設的議論が出来ないとおっしゃっているわけです。 しかし、今回の一連にわたるデモについては、「あの部分は」「この部分が」 といったように分けて捉える必要はないと私は考えています。むしろ分けて 捉えようとする日本における世論の動向こそ私には常軌を逸した異常な動き であると捉えています。そして同時に、デモに対して「中国は」と連呼する 世論も同じく異常であると捉えています。デモの分析と称して、局部的に分 けて捉えようとする動向も、「中国は」と一枚岩でひとからげして捉えようと する動向も、ともに共通している点は、少なくともデモの趣旨をそらしてしま おうという動きに他ありません。 小林さんが引用している葉千栄氏も、その例外ではありません。つまり葉千栄 氏個人の言動である以前に、現在の日本のメディアにおいては、デモの趣旨を ストレートに解説するような人物は、決して大手メディアには登場しないし、 させません。葉千栄氏がテレビで登用されるのは、大学教授という権威をつけ た中国人から、日本の世論に迎合させた言動を口にさせたほうがより「効果」 があるという思惑や狙いによって、その役割を担うために登用されているにす ぎません。 したがってデモの趣旨から目をそらすという意味において、小林さんが葉千栄氏 と「同意見か?」と私に問う答えは、明確に「ちがいます」となる。 本掲示板においても世論同様、今回のデモにおける破壊や暴力を指して、それが 問題だと盛んに指摘されているが、私はデモに関してはそれが問題だとまったく 思えません。ましてや今回のデモを「暴動」とまで揶揄することは論外である。 たとえば日本においても「正当防衛」という概念がある。やられたから己の身を 守るために相手に腕力をふるうことであるが、だからといってやりすぎてしまっ ては「正当防衛」の域を越えて、「過剰防衛」というようになる。私は今回のデ モにおける暴力等々は、いうなればまちがいなく「正当防衛」の域であると捉え ている。その理由は簡単で、デモにより一人の日本人も殺されていないからであ る。 さて、加害と被害については、日本では、「足を踏んだほうは忘れても、踏まれ たほうはいつまでも忘れない」というような言い回しがされることがめずらしく ありません。でも足を踏まれたことぐらいをいつまでも忘れないような人間は、 ちょっとおかしい性格なんですね。しかし問題の核論は、私が繰り返し指摘して いるように、何の罪もない大勢の人々を日本人が虐殺したという事実にあります。 60年前は殺された親族にとっては昨日のことである。親や子どもたち、あるい は祖父母が自然死したのではない。殺されたのだ。犯人の動機は、自国(日本) の利益のためであった。日本の繁栄のために、つまり犯人たちの繁栄のために、 殺したのだからそれを不問にせよという理屈が成立しないことは、何人であれ、 容易に理解できるのではないでしょうか。 日本はアジアに対してとりかえしのつかないことを犯してきたが、それは過去の 問題ではなく現在進行形の問題である。現在は殺していないではないかといった 理屈が通用しないのは、殺人を犯した犯人が、現在は殺していないと開きなおる 理屈とまったく共通する理屈にすぎない。 天皇性という君主制国家でありながら主権在民が強調される日本で、殺人犯を日 本の民衆たちは裁こうとしてこなかった。それは主権在民であればあるほど、有 権者である個々の日本人一人一人に科せられる罪科である。理不尽に殺された親 族たちが唱える抗日や反日は、恨みなどではない。人間としてのまっとうな抗議 である。 殺人犯である日本の皇軍たちの親族が本掲示板の多くの読者であろう。そういっ た論者は「内政干渉」などというが、自分たちの親や祖父母たちがどれだけの 「内政干渉」を行ったのかについては、意図的かつ確信犯的な無知を装おうため、 ありとありとあらゆる屁理屈を提示している。しかし「殺した」という事実は、 「殺された」という事実と共通して半永久的に消滅することはない。 そして「殺した」という事実を現在にも及んで隠蔽し続けている日本政府を、日 本の多くの民衆が肯定している。その上で「日中友好」を唱えることがどれだけ 欺瞞的であるのかについてはもうすでに自覚できない域にいっている論者も垣間 見られる。 60年が経って、現在の日本はどうであるか? 少なくとも日本の人々が自国の過ちを自浄できてこなかった歴史として現在があ る。したがって「反日デモ」は、これから始まる日本への裁きの序章にすぎない ことをどれだけの日本人が知っているのか、私には疑問でならない。 許しあい友好を結ぶことは、人間として尊いことであり、そうなることを私は願っ ている。しかしそう願えば願うほど、日本の世論は逆方向へとつき進んでいく。 理不尽なことを相互理解することと、理不尽なことを不問にすることは、どこま でいっても決して相容れないことである。 どのような立場の人間あれ、人間は一方的に殺されてよい存在ではない。命の有 無こそ機軸となる共通の視点ではないだろうか。そのことを念頭において今回の 「反日デモ」を再考していただきたいと小林さんには提言する次第である。 |
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