34528 返信 リー氏から見える左翼自爆の必然。 URL 八木沢 2005/04/22 14:05

 親中派左翼にとって正念場であるこの時期に多忙と言うことでクマ氏が長期不在であるその部分に、彼の立場を代弁するが如き得体の知れない新人が何食わぬ顔で席についていることに私は大きな関心をもっている。付け焼き刃の知識を非論理的にまくしたてるというクマ氏と共通した特徴(一般的な言葉で言うところの「知ったかぶり」)を持つ、このリーなる投稿者の最大の見所は「主権在民」という言葉の連発に見られる法の素養の欠如であろう。今更言うまでもなく国民主権の意味でかつて多用された「主権在民」は法律用語でなくイデオロギー用語であり、一度でも憲法を学んだことのある者、特別に専門的に学んだわけでなくとも大学の法学部程度の知識で十分なのだが、ならば使用に慎重になる言葉である。そのことを知らないリーなるこの青年は、身の丈にあわない一人よがりな法律用語の解釈を嬉嬉として行い、自ら墓穴を掘っていることにまったく自覚がない。哀れの一言である。

>本掲示板においても世論同様、今回のデモにおける破壊や暴力を指して、それが問題だと盛んに指摘されているが、私はデモに関してはそれが問題だとまったく思えません。ましてや今回のデモを「暴動」とまで揶揄することは論外である。たとえば日本においても「正当防衛」という概念がある。やられたから己の身を守るために相手に腕力をふるうことであるが、だからといってやりすぎてしまっては「正当防衛」の域を越えて、「過剰防衛」というようになる。私は今回のデモにおける暴力等々は、いうなればまちがいなく「正当防衛」の域であると捉えている。その理由は簡単で、デモにより一人の日本人も殺されていないからである。

 攻撃と防御のバランスで正当防衛か否かが決まると述べておきながら、なぜか結論は「一人の日本人も殺されていないから正当防衛」になっている。前半と後半が論理的に全くつながらないことに全然気がついていない。一つの投稿の中で語尾の統一すら出来ないのだからまあ無理もないのだが、人が死のうがなんだろうが正当防衛にはなるわけで、今回の暴動が「正当防衛」だというのなら「日本人が殺されていない」などということは全く関係ない。「攻撃」とのバランスを欠けば、怪我をさせただけでも過剰防衛になる。

>デモの分析と称して、局部的に分けて捉えようとする動向も、「中国は」と一枚岩でひとからげして捉えようとする動向も、ともに共通している点は、少なくともデモの趣旨をそらしてしまおうという動きに他ありません。

今の日本に「中国は、と一枚岩でひとからげして捉えようとする動向」があるという認識を示した瞬間に、彼自身「日本は、と一枚岩でひとからげにして捉えよう」と試みていることが露呈するわけだが、書きながらそれにも気がつかない。

>現在は殺していないではないかといった理屈が通用しないのは、殺人を犯した犯人が、現在は殺していないと開きなおる理屈とまったく共通する理屈にすぎない。

 「まったく共通する理屈に過ぎない」のなら、殺人を犯した人間がその後60年間殺人を犯さなかった場合と同様の対応をしなければならない。60年前の殺人をいつまでも論われるべきだとする発想は、およそ法治国家に生きる者のそれとは思えない。

>日本において操作されている情報や世論しか念頭にないから、そのような思考になるのではありませんか。これまでの自国(日本)の種々の抗議デモを新聞で検索されれば自覚されることであると判断しますが、たとえば竹で県庁につっこんでいったり、強制調査を船を衝突させて阻止する反原発等々のデモは「暴動」などと記載されていませんよ。自国内のデモは「暴動」ではなく、他国のデモについては「暴動」と新聞が評する狙いは、デモの意図を否定したいがための方便だと映ります。

 これは全く話が逆で、リー氏が暴動をデモと呼んでいるだけのことであろう。「新聞の狙い」なるものとして彼の濁った目にどのように「映」ろうと私の知ったことではないが、たとえば国内においても1990年の西成暴動など、暴動は暴動としてちゃんと報道されているわけだから、彼が早急に得るべきは「なぜ日本ではほとんど暴動が起こらないのか」という視点であろう。「投石や卵をぶつけたり、窓ガラスを割ったりするのも、日本に対する抗議デモの全体の中の一要素」とのことだが、「デモ」とは暴力を行使しない示唆活動を展開することにその意味があるわけで、偶発的に一、二枚の窓ガラスが割れてしまいましたという程度ならともかく、意図的な暴力の行使が続発した瞬間にそれはデモではなくなるわけだ。でなければ、警察がデモを許可するしないということ自体おかしいだろう。一体どこの国で他国の領事館への「投石オフ会」が許可されるというのか。「デモ」といったときにそのような破壊活動は明らかに想定されていない。例えば、日本の判例ではこの部分はとっくに明確になっている(1954年11月2日最高裁)。

>時間が経過しても殺人は免罪になりません。ましてや犯人たちが何の反省もなく開き直っている場合は、それを放置することは人間の尊厳を自ら捨て去ることに等しいことです。さらに言うなれば再犯の可能性がきわめて高いとき、それを「復讐」と呼ぶことは妥当ではありません。

 そのとおり。妥当ではない。この場面での「再犯の可能性がきわめて高い」なる指摘は客観性を持ち得ず、そんな思い込みによって展開される暴力は「復讐」でも「正当防衛」でもなく、独立した新たな犯罪行為だ。このくだりはリー氏の法意識の欠如をあらわすまさに最たるものであろう。犯人、犯人と連呼しているが、そもそも「犯人」って具体的に誰なのか。領事館員か?外交官を包括的に殺人者呼ばわりまでするのなら、その「被害者」とやらは中国政府に断交を働きかけるべきだろう。それをしないのは、それができるシステムにすらなっていない、つまりお上にたてつくことが一切許されていないような国だからであり、そんな御都合主義の論理の中から生まれた狼藉に、いったい我々がどう「反省」しろと?

>明日からしばらく日本におりませんので、返信するような投稿があっても、しばらく時間がかかることを蛇足とします。

 「しばらく」って、いつまでなのか。フェイドアウトへの伏線か?知識の欠如、ロジックの欠如、法意識の欠如、事務能力(不在を回答遅延の理由とするのなら、いつまで不在かの告知をするというのは、論者として当然の責任であろう)の欠如、それら全ての自覚の欠如…左翼の人材枯渇ここに極まれりだ。