34564 返信 「靖国」の機能的意味 URL あしな 2005/04/23 22:28
基本的にはかなり古い日付の以下の文章の範囲。

8425 返信 Re:やっぱり15日以外に考えられない。(イデオロギー装置としての「靖国」) URL あしな 2001/08/13 21:13

> >  「英霊」にとっての「靖国」は「天皇のために死ぬこと」を強いるためのイデオロギー装置だったと思います。この場合「天皇のために死ぬこと」に意義があるという観念は、どう考えても「無駄死に」であった戦死者を「天皇のために死んだ英霊」とすることにより「無駄死に」の悲劇性を隠蔽してしまいます。
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>  隠蔽というのはどうでしょうか。靖国が存在することによって歴史の事実は語り継がれていくでしょう。(すべての人について、『どう考えても「無駄死に」であった』という考えは保留せざるを得ません。現に生きている方の中にも、「陛下のために命を捧げた」ことを誇りとしているかたがいらっしゃるので。また、慰霊のためには「決して無駄ではありませんでしたよ」と、その意義を認めることも必要かと思います。)
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 戦死者の多くは、(すしづめの)輸送船を沈められたり、餓死したり、衰弱・病死したりしてます。これは民間人や侵略された側の死者達と「どうしようもなく無意味かつ馬鹿馬鹿しい死を強いられた」という一点で通底しています。

> >  繰り返しますが、やはり問題は、「天皇のために死ねば神になる」=「天皇のために死ぬことに意義がある」というイデオロギーの存在にあり、かつ「靖国」が現在においてもそのようなイデオロギーを担っている施設であるということにあります。

 しかし上記のような「靖国」のイデオロギーは、「英霊として奉られる」という事実そのもの、「靖国」の存在そのものによって「強いられたどうしようもなく悲惨な死」の「天皇に捧げられた英霊の死」として何か意義ありげなものにしてしまいます。この美化の過程において、「強いられた悲惨」という理不尽な暴力を隠蔽してしまいます。或いは隠蔽によって「暴力性」を現在にまで引っ張ってきていると言っても良いでしょう。

>  「かつて」はともかく、現在においてそのようなイデオロギーは存在しません。自衛隊員に「靖国で祭ってやるから陛下のために死んでこい」と言ったって誰も動きませんよ。
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もちろん「靖国」や「天皇のため」に死のうとする人はいないでしょうが、「強いられた悲惨」を美化する形式が持続される限り、「〜〜のために死ぬ」というイデオロギーは持続しますし、「〜〜」はいつでも「国」という曖昧な言葉で語られた「国家権力機構」であり得ます。おっと最近は「公」か。

私はDaydream Beleaverさんがおっしゃるとおり、個人にとっては「死んでしまえばそれまでよ」が原点であると思っており、「公」なるものも「私の生存可能性」を高める場合にのみ「私にとって有意義」であると考えます。間違っても「無駄死にを強いる」ようなものでは困ります。




 付け加えれば、「靖国」を単なる宗教法人と強弁するのは、袈裟の下に鎧の類である。 このような(天皇制ファシズムのイデオロギー装置としての)「靖国」の特殊性は、戦前においては他の神社が内務省神社局の管轄であったのに対して「靖国」が陸・海軍省管轄であったこと、「靖国」が戦後においても戦前からのイデオロギー的連続性を保っていることから明瞭であろう。

 あるいは中国の「反日」デモ批判が敢えて忘却してみせる諸点とも類似するが、「(公人による)靖国参拝が単なる宗教行為」という言明においても「靖国」の機能(天皇制ファシズムのサブシステムとしての)とその歴史的経緯が徹底的に排除されている。両者は「自己に都合の悪い部分を(共時的にも通時的にも)直視しない」=「自己純化」という点で同様である。ここで「自己純化」については「入江公康 渋谷望:猥雑化する権力/純化する「心」 現代思想 31巻 4号 112ー121 青土社 2003年」を参照。