| 34566 | 返信 | Re:「怒り」が支配する行動に、理はあるか。 | URL | inti-sol | 2005/04/24 00:13 | |
| 八木沢氏 私の書き方も、いささか誤解を招きやすいものであったことは、お詫びしたいと思います。 私が「ほんものの右翼」像に疑問を抱くのは、もちろんペンキ投げ付けだの民族学校の生徒に暴力を振るうなどの直接的な犯罪行為を行う連中が右翼の主流である、という意味ではなく、「我々右翼は、国民にこの『悲しみ』の共有を呼びかけたい」という、怒りではなく悲しみを行動原理とする右翼の実在性です。 なるほど、怒りをペンキ投げ付けだのチマチョゴリ切り裂きだのといった形で発露してしまうような連中は、右翼の中でもごく一部でしょう。 しかし、「万景峰号入港阻止」とか、「北朝鮮産アサリ輸入阻止」「百人斬り裁判勝利」あるいは「『自虐教科書』を許すな」「靖国に代わる慰霊施設反対」といった、「怒りの発露」を、より穏便な、非合法ではない手段で行っている右翼は、きわめて広範に存在するのではないでしょうか。たとえば、先の投稿で触れたような藤岡信勝や産経新聞(産経は八木沢氏によると単なる保守らしいですが)などは、その典型例であると私には思えます。 そして、実際、怒りを行動原理にしないと、人はあまり動かない。人間の感情の中でもっとも行動エネルギーに結びつきやすいのが怒りの感情だからです。悲しみの感情は、そのままではむしろ行動エネルギーを吸い取る役割を果たすことが多い。そういう人間の行動原理は右翼とか左翼とかのイデオロギーにかかわらず、普遍性を持つものではないかと思います。 拉致被害者の家族が、ただ単に拉致という犯罪に対して悲しみの感情の共有を呼びかけていただけだったとしたら、彼らが北朝鮮に対する怒りの感情を発露し、それを少なからぬ日本人が共有していなかったら、あのように運動が盛り上がることもなかったでしょう。 |
||||||
![]() | ||||||