34588 返信 Re:教科書、靖国は国内問題か?あるいは教科書、靖国へのクレームは内政干渉か? URL 告天子 2005/04/24 11:47
> tpknさん
> 結局靖国問題の根幹というのはここでしょう。「首相が靖国に行くことは反省していない証拠である」といったような中国の主張は、すでに歴史認識の共有という範囲を大きく超えて、日本人の死生観を中国人のそれに合わせろという要求になっているわけです。100年前ならともかく、きょうびそんな主張をまともに支持するのは、文化相対主義という観点から見れば著しい蒙昧と言わざるを得ないでしょう。

同感です。死生観まで中国と同じにしなければならない、そうでないなら侵略の肯定だというのであれば、日本人の思想信仰に対する全面否定になりかねません。常に中国の思想検閲におびえながら精神生活をせねばならないとしたら、大変な暴力的支配だと思います。

実際、戦後の占領下では、日本はアメリカからそういう「精神の支配」を受けたのではないかと思いますが。その傷跡は、あまりにも深く、今も精神の傷として残っており、それを回復したいという気持ちが、近年強まっているのではないかと思っています。

そういう運動が、あたかも侵略を肯定するかのような暴力性を帯びないように、日本人は自ら戒めながら、進んでいきたいですね。

> 以前、歴史修正主義を糾弾するのを「ライフワーク」としている称するピエールという「メディア関係者」が、私の家がスサノヲノミコトを祭っていることを知って「スサノヲ? あんなオモチャみたいなもん」などと言い放ちましたが、政治的主張や正義のために他者の精神を陵辱しようとするようなこういう暴力は、絶対に認めるわけにはいかないのです。

そのお話はtpknさんのところの掲示板でも読んだことがありますが、ひどい話だと思いました。互いに尊敬するという気持ちを失ったら、異なる宗教間では「では、どちらが正しいのか、理論的に決着を付けようではないか」と、闘争あるのみ、勝った方が偉い、みたいになるのではないかと思います。人類平和のためには、それではいけないし、何というか・・・人類が「正しくあろうとして、結局悲惨を選び取ってしまう」ことが現れている話ではないかと。

信仰生活というのは、個人の日常の生活感情というんでしょうか、これはもう理屈じゃなくて、その人の生活の実感そのもの、ものの感じ方とか、そういうシステム全体と係わっていると思います。他人のそれを、踏んで恥じないというのは、一見正しそうに見えたとしても、根本的な暴力であり、だから違う人たち同士なら、踏まないようにそーっとやらないといけないと思います。

> というか、普通に考えればわかることですが、たとえばアメリカ人がイラクに侵攻した後「イスラムはテロを生み出すのでモスクに行くな」と言ったとしたら、あるいはイスラム諸国がヨーロッパの元首に対して「教会に行くのは十字軍を反省していないからだ」などと言ったとしたら、どんなに非難を浴びるでしょうか。
>
> 中国の言っていることは、これと全く違いがなく、ナショナリズムをともなった危険な全体主義であることを認識すべきです。

そうです、全くその通りだと思います。そして、その危険さが何故か「見えなくされている」、それどころか、「見てはならぬ」、「見たオマエが悪いのだ!」、とするような精神体制への反逆のために、いろいろ理屈をこねております。

私は長々だらだらと書いてしまいますが、さすがはtpknさんのご慧眼だと思いました。