34603 返信 Re:教科書、靖国は国内問題か?あるいは教科書、靖国へのクレームは内政干渉か? URL 告天子 2005/04/25 00:26
> 烏龍茶さん
共同声明などに反していないので、不当な内政干渉です。反している、という理由は、単に烏龍茶さんが「反していると思う」という類推と拡大解釈に過ぎません。

> 従って、条約違反に対して相手国が抗議することは、もともと自国が受け入れている事象なわけですから、これは内政干渉には当たらないわけですね。

「条約」違反ではないのですから(中国がそう言ってますか?)、中国の参拝禁止要請は、不当な内政干渉であり、日本が受け入れる義務はありません。中国が抗議をするのは任意ですが、日本はただ「内政干渉である」と応ずるだけで足ります。


次に、靖国の件について。HPからの引用をコピーしますが、

「戦後、日本と戦った連合軍(アメリカ、イギリス、オランダ、中国など)の、形ばかりの裁判によって一方的に“戦争犯罪人”という、ぬれぎぬを着せられ、無惨にも生命をたたれた1068人の方々…靖国神社ではこれらの方々を「昭和殉難者」とお呼びしていますが、すべて神さまとしてお祀りされています。」


> 東京裁判の正当性云々はおくとして、この部分のポイントは【戦争犯罪人というぬれぎぬを着せられ】【(戦犯を)昭和殉難者と呼び】【神として祀っている】という部分でしょう。
> 要するに、侵略戦争という犯罪行為は「ぬれぎぬ」であって、A級戦犯は「国難に殉じた人々」であって「それらをも神として祀る」わけです。

書いてもいないことを「要するに、」と勝手に作り上げる烏龍茶さんの行為こそ、不当な濡れ衣ですよ。戦争犯罪人という概念自体が、東京裁判という「勝者の裁き」によるものであり、その「裁判」で、法的な根拠もないままに「犯罪者」にされたのですから、濡れ衣だ、というのは尤もな話です。

ところが、烏龍茶さんの読みによると、「これは侵略戦争という犯罪行為を濡れ衣だとするものだ」と、書かれてもいない内容に変換されてしまう。ここに私は驚きを感じるのですよ。何故そんなすり替えをなさるのですか?。「戦争犯罪人という濡れ衣をきせられた」としているのに、「侵略戦争は濡れ衣だ」という話になってしまうのは、何故ですか?

ここに、烏龍茶さんの思考スタイルの典型が現れているように思います。

> このあたり、書いていてだんだん馬鹿馬鹿しくなってくるほどです。

それは馬鹿馬鹿しい読み方、すり替えをするから、そうなるのです。戦争犯罪人などという汚名を戦争の勝者にきせられ、あたかも人類に対する犯罪人のように裁かれたのです。その悲痛を思えば、そのみ霊をお慰めして、神さまとして祀ることに、何の外国に恥じることがございましょうか。


> 誰が「罪人とされた人々につばを吐き石を投げろ」などといったのでしょうか?

中国韓国辺りでは、小泉首相の絵に火を付けてメラメラと燃やしていますよ?。中国では東条元首相が土下座する像を造って見せ物にして蔑んだり、罪人にすらこんなことは普通しません。何と野蛮で人をバカにした話かと、驚き呆れるばかりです。

> それと、過去の行為を反省しながら、その行為者を尊敬するなどという芸当がどうして出来るのか、理解に苦しみます。

反省することは、過去の全否定ではないからです。反対に、「反省しろ」と要求する側にしても、その過去の全肯定など、到底されるものではありません。「侵略戦争だ」、と言い立てることで、自分が何の罪もない一方的被害者の立場となって言いたい放題、全て免罪、というわけにはいかないでしょう。


> そもそも、かつての戦争の指導者どもが、戦争指導のどの部分につき尊敬に値すると言えるのか、これまたさっぱり理解不可能です。靖国には、戦争で戦ったから祀られているわけですから、一体どう尊敬できるのか、この部分を説明してください。

戦争などというものは殺し合いですから、そのようなことは誰でもしたくないに決まっております。国の命により自らの命を戦に捧げられたのですから、これは尊い行為であると思います。実際のところ、どこの国にも戦争殉難者の墓碑は「聖地」ではないかと思います。

また、戦争の指導者にしても、国のために戦ったのですから、過ちがあったとしても、やはりお祀りすべきだと思います。もしある人に過ちがあるからしない、というのであれば、何が過ちかの政治裁判の如きが、神聖な祈りの場に政治の論理として混入してくることになると思います。政治裁判により、祀るか祀らぬかを決めるのだとなれば、それこそ神社は「政治の舞台」になってしまいます。宗教の論理は、政治の論理とは別個に存在し、神として崇めつつも、現実の政治に於ける責任やその判断についての評価は、これとは別に考察されるべきでしょう。死後のことまで政治に巻き込んでしまう中国側の論理というのは、やはり、「永久に許さない」とする、そういう論理に通じていると思います。



> 相手がこれまで再三にわたって「それは約束と違うからやめろ」と言いつづけてきたことに対して、共同声明を無視して繰り返しておきながら、相手が怒ったら「寛容でないことを批判する」わけですか?そんな理屈が一体どこで通用するのでしょう。
> それと、上でも説明したとおり、誤解でもなんでもないのですよ。

靖国を参拝するな、ということは、共同宣言でも言われていないでしょう?。約束もしていないことを、「約束と違うから止めろ」などといわれたら、それは言う側が誤解しているか、悪意を持っているのです。靖国参拝には、日本が中止するまで中国が「知らなかった」ことはないだろうに、突然火がついたように「参拝を止めよ」と言い出したのです。これは重大かつ不当な内政干渉であります。言わせた日本のサヨクにも責任があります。


・・・以下、烏龍茶さんは、「濡れ衣といったから、侵略を肯定していることになるんだ」、「参拝したから侵略を肯定しているんだ、反省していないんだ」、「参拝したから、条約違反なんだ」、「書いてなくても条約違反で日本の約束破りなんだ」、といった、型に填った文章を繰り返しているだけで、私の反論に対して全く内容のある返事が返らないばかりか、論旨にすり替えが大変多いです。大事なところで、するりと言葉を入れ替えて、事実を明らかにするのではなく、「要するに、参拝は侵略の肯定である」というテーゼを、延々と繰り返しているだけです。


> 虐殺、とはまたずいぶん大げさな言い様(日本人の死者は一人でしたね)でありますが、それはさておき、南京事件より以前に、対華二十一箇条要求があり、それを機に中国の国内世論が反日に大きく傾いていたことを無視してはいけません。

こうした事件も、烏龍茶さんに掛かると「大したことのない事件」として価値判断されてしまいそうですね。そして、「それより対華二十一箇条要求が大事だ」と、するりと交わされてしまう。要するに、あなたは中国にとって都合の悪いことは、見ようとすまいとしているだけですよ。

虐殺された人数、については、私も通州事件などと混同していたところがあって、大げさな表現にもなったかも知れません。しかし、私は南京事件に於ける、殺しの虐さ、悪質さを問題にしています。

そして、「戦争」という形態を取らずになされる、暴力の解放、それがどのように日本人を踏みにじったか、ということです。宣戦布告のない、無制限の暴力を行使したのは、むしろ中国側なのです。これは、侵略がどうこうを言う以前に、このことを言わないと、大陸での日本の行動そのものが分からなくなる。「反日に傾いたから」、「日本簡略をしたから」、だから中国側は何をしてもよい、中国のした陵辱や虐殺は見るな、とでも言われるのですか。


> 私が述べたのは「侵略しなければ日本人の陵辱も虐殺もなかっただろう」ですが?つまり、因果関係の順を述べたのですが?誰がいつどこで「侵略者に対してなら何をしてもいいのだ」などといったのでしょう。

何だ、前の投稿でも同じようなことを言っているんですね。だったら、「侵略者だからといって、何をされても文句は言えない」というような姿勢は間違いだと、あなたも認めたということです。それ故、日本が「侵略をしたから」といって、不当な内政干渉に従わなければならない理由もない、ということです。


> ここでの論点は「侵略があり、それ故抵抗が発生した」という【事実の確認】であります。「侵略はいけないが中国人だって日本人を虐殺しているだろう」という「因果関係が逆立ちしている理屈」は間違いですよ、という部分への反論とはズレていますよ。

随分と図式的な説明ですね。単なる抵抗ではありません。戦争という形態は、国家同士の、正規軍同士の戦闘により行われます。しかし、中国人による日本人の陵辱、虐殺は、それが国家の行動なのか、暴徒によるものなのか、こちらの常識では到底図りがたい「文明以前の蛮行」であり、それがむしろ事実でしょう。

「侵略に抵抗した」というのは、単に都合のよい図式に過ぎません、「抵抗」からは、陵辱、虐殺というその「抵抗の手段」がそっくり抜け落ちてしまい、一体何が起こったのか、烏龍茶さんの説明からは全然見えてきません、「中国は正しい」という擁護以外は。


>> すなわち、極端な自己中心主義、そして相手の痛みを全く考えようとしない非人間性です。
> すべて日本自身に突きつけられる言い様でしょうね。相手の痛みを考えるのであれば、侵略者を神とし英雄と祭り上げ、侵略の罪を「ぬれぎぬである」とぬけぬけと公言するような神社に参拝など出来るはずがないのですね。

何故そのように「日本が憎くてたまらない」というような姿勢になるのか、全く理解できません。日本では「抗日英雄」として中国の兵士が慰霊されることに、何の異議も不快も差し挟んだりしません。それは「こちらが侵略をしたからだ、ごめんなさい」とかいう理由ではなく、それが人間として、近代国家の一員として生きる存在として、避けられない運命によるものだという諦めを知っているからです。

ところが、中国側は、いや、烏龍茶さんはどうですか。侵略したんだから、慰霊など絶対許さないと、筋の通らない、すり替えの論を展開されているし、お話はただ「侵略だ、侵略だ」と繰り返しているだけで、何らの洞察もそこにはなかったです。


すり替えが典型的に現れているのは、戦略ミサイルの射程についての論ですね。

日本が中国の軍備に、「共同声明違反である」とクレームを付けないことが、中国の核ミサイルが日本を狙っていない証拠になるとか、また、中国の核ミサイルが日本を射程に収めているにもかかわらず「日本を狙っているというのはうわさ話に過ぎない」と強弁し、そればかりか、

> 従って、そんな想像を根拠に【中国は共同声明違反を犯している】などといえないわけです。
>よろしいですね?

もともと、「書かれていないからといって、何をしてもよいとは限らないのだ」と、書かれてもいない靖国参拝を「条約違反だ」と言い出したのは烏龍茶さんです。そして、靖国参拝が「侵略を肯定していることになる」というのは、烏龍茶さんの「想像、類推」に過ぎません。ところが、ミサイルの話になると、現に日本を射程距離内に置いている事実を示しても、・・・明らかに「平和・友好」に反しているだろうに、想像だから、反しているとは言えない、だそうです。ダブスタです。

事実を突き付けられても、「あれは平和のための核だ」などと言い出す心性を思わせます。また、核ミサイルという絶滅兵器の話をしているのに、「戦略爆撃機の戦闘行動半径が、中国領にまで及ぶ」など、全く違ったものを比較対象に持ってきて、「ミサイルが狙っていない証拠を出せ」という要求を交わしたつもりでいる辺りも、おかしいです。そんな証拠は出せないでしょう?。烏龍茶さん流の拡大解釈からすれば、まさに中国の核武装こそ、共同声明・共同宣言への「重大な」違反行為です。

靖国に日本首相が参拝したくらいで、中国にとっては何の困ることもありませんが、核ミサイルはそういうイデオロギーの問題とは、次元が違うでしょう。それを飛行機の航続距離がどうこうなどという論で誤魔化そうとは、呆れた話です。


> しかし、都市戦略爆撃と絶滅爆撃は、【無差別爆撃】という点で共通しています。どちらも軍事目標主義という国際慣習に違反する行為ですので、犯罪性においては五十歩百歩、ということですね。

全然違います。東京大空襲の場合は、住民の殺戮、絶滅のデモンストレーション、ということを目的に含んでいるでしょう。単に「無差別だ」というのとは全く異質で、犯罪性に於いては「絶滅爆撃」は遙かに罪が重いです。非戦闘員の殺戮、居住区の破壊そのものを目的とする、ことと、単なる無差別爆撃とは、大いに異なるでしょう。



> 【都合が悪いのか、中国は共同調査を断り続けてきた】という言い方からすれば、ずいぶん控えめな例示ですね。で、この文では【識者】が何者であり、どのような調査の依頼をしたのかがさっぱりわかりません。

私にも識者が誰かは分かりませんが、共同調査を中国が断り続けてきたことは間違いないでしょう。受け入れてはいないんですから。

> また、私が先に述べた孫宅巍氏は、「三十万人という数字にこだわる必要はない。新しい資料が発見されれば当然数字は変更されうる」という趣旨の発言をしているそうです。あなたの引っ張ってきた文とはずいぶんかけ離れていますね。そもそも南京大虐殺研究フォーラムが開かれている以上、「断り続けてきた」は間違いとしなければなりませんね。

三十万人という数字にこだわったら、これからもっと多くすることも出来ないし、また、新資料などで「そんなにいなかった」場合を考えれば、こだわらないのは「南京大虐殺」という政治的な材料を使う側からすれば、当然のことでしょう。異なる考えの人については、「断り続けてきた」のですから、私の主張が正当です。

> 現に笠原氏と孫氏は見解が異なるのですが?にもかかわらず笠原氏は中国の南京研究第一人者と「共同研究」をしているわけです。このあたりの「中国は断り続け〜」は、日本のウヨクの、中国の為にするデマである、と私は思います。

中国側にとっては、許容範囲、ということなんでしょうね。見解の異なる人をも受け入ているのであれば、どうして次のような発言が中国側から出るのでしょう? ↓ 。

「中国が記念館に資料を展示したり、さまざまな調査発表を行うのは、過去の歴史を忘れず中日の友好を促進するのが目的だ。共同研究の是非は、こうした立場に立つ人々によるかどうかが重要だ

記念館の史料展示について疑うような人の「共同研究」など、お断りだと、ハッキリ言っているではありませんか。そして、「こうした立場」に立たない人は、現に断られているわけでしょう。その選択を中国がしている限り、やはり「見解が異なるもの」の共同研究は受け入れていない、のが事実でしょう。

ところで、

> 日本のウヨクの、中国の為にするデマである、と私は思います。

これは、中国のためにするデマだ、といったら意味が逆になります。右翼による、ためにするデマだ!!、と、こう言わなければなりません。「中国のためにデマ」を流す右翼なんていませんよ、サヨクならいるでしょうが・・・。

>> 石原知事が行くわけではないでしょう。また、「あったに決まっている」と決めつけることにしても、やはり学問研究の立場から「パージされて当たり前」とは言えないでしょう?
> え?あなたは南京大虐殺が「なかったかもしれない」と思っているのですか?

そんなことは全然書いていないと思いますが・・・? ↑ よく読んでね。

> どれだけ膨大な資料が事件の存在を示しているか、それすらご存じでなく南京大虐殺のことを例示されていたとは驚きです。
> はっきり申しますが、事件はなかったのだ、などという論は、どのような理屈をつけようとも成り立ちようがないのですね。日本のネット右翼どもに出来るのは、せいぜい「中国人は三十万人といっているがそんなことはデタラメだ」と、「中国側がいかなる資料をもって三十万人といっているのか知りもしないで」「日本のまともな研究家は三十万人説を支持していないことを根拠に」述べ、「三十万人は嘘」→「だから南京大虐殺も嘘」という苦しい屁理屈を並べることがせいぜいです。

南京攻略戦の際には、やはり野蛮な違法行為もあったでしょうね。全然なかった、とかは言えないと思います。しかし、それがたとえば日本人の残虐性の証拠だとか、日本人が平和に対する罪人である証拠だ、みたいな論の持って行き方は、おかしいと思っていますよ。

あと、どの程度の「大虐殺」があったのかの事実関係については、中国側の発言自体がくるくる変わっているのですから、これは調べれば確実に「言っていることと違う」部分は出てくるんじゃないんですか。まあ、多く変わるか、少なく変わるかは分かりませんが。これから調べれば、分かるでしょう。


> 因果関係をよく考えてください。日本が侵略をしなければ、日本人が殺されることもなかったわけです。南京事件については上記の通りであります。

日本人が中国を侵略したからと言って、南京事件及びそれに続く多くの事件のような日本人への陵辱、虐殺が、「何の問題もない、中国の正当な抵抗」であるかのごとく見なされてよいわけがありません。「日本がした侵略」、「南京大虐殺」、日本の犯罪的侵略、を言い立てる影で、「日本人が虐殺・陵辱されたことについては、無視される」という、ダブスタが、他ならぬ日本人によって正当化されるのは、倒錯であると考えます。


> で、民間の「まともな」研究は、もう始まっているわけです。一貫して拒否、されているのは、「なかったに決まっている」などという右の方々だけでしょう。

じゃ、やっぱり「一貫して右の人は拒否している」んじゃないですか。拒否していない、というのは嘘です。一貫していないのは、烏龍茶さんの意見の方でしたね。


>> 日本側としては、そんなことをさせてはいられないと言うことで、今まで提議はしなかったのでしょう。提議をしようと思えば、いつでも出来たでしょうに。しかし、今回はさすがに困ったので、きちんと調べてはどうでしょう、と申し入れをしたわけです。
> それが動機であるという根拠の提示が出来ますか?

状況判断からして、そうではないかと思いますよ。この動機から外れた行動というのは、見つけがたいのではないかと思いますね。中国のメンツを立てて、しかも日本が害を被らないようにする、しかし今回は、中国側のあまりの暴力にさすがに驚いた、という話でしょう。だったら、大元の歴史認識について、共同できちんと調べましょうか、史料の信憑性も調べさせてくださいよ、ということです。


>> 侵略を美化するのでなければ、よいのではないでしょうか。戦争の美化、讃美は、中国でもやっていると思いますが。むしろ日本の方が、そういうことにはデリケートなのではないでしょうか。
> えーと、「あいつだってやってるだろう」は子供の理屈ですのでお気をつけください。

全然違うと思います。「あいつだってやっているだろう」というのは、万引きだとか、「悪いこと」を言い逃れするために、そういうのでしょう。侵略の美化でもしたのならば、烏龍茶さんの言うとおりでしょうが、戦争の美化、というのは必ずしも悪いこととばかりは言い切れません。過度になったり、それ自体暴力にでもならないのであれば、どの国でもやっていることであり、日本ばかりがしていることではない、ということです。

>>> してはならないこととして「内政干渉」を批判しているのではないのですか。
>> 何故に、してはならないのか、という理由が、理由になっていないわけでしょう。
> 「不当な事に対してなら内政干渉であっても抗議できる」ですか?では伺いますが、誰がどういう基準で不当だと決められるのですか?

場合によると思いますね。たとえば今回の場合は、烏龍茶さんの言う「条約違反」は単なる拡大解釈のこじつけですから、条約違反を理由に(中国はそう主張してはいないと思いますが)、というのは要求の理由にはなりません。

日本国首相の合法な活動に、「ヤメナサーイ」と命令したりするのは、相手にそうする権利などない以上、不当な内政干渉です。参拝を遺憾だと思う、というような抗議であれば、これは「干渉」とまで言えるかどうかですが、普通はそんなことはしませんし、中国(や韓国)には自分の国の中と外との区別が付いていないと思います。

アメリカなどに対しても、同じように図々しい要求をするかといえばしないので、これは「相手が弱いと見ると、自分の手下と見て強く要求する」といった心理が働いているのではないでしょうか。



>>> で、誰がいつどのように要請し、どれくらい断られたのですか。
>> 上に示したように、中国の主張に批判的な者は、ことごとく断られてきて、それに例外はなかった、という認識です。
> 上記の通り、それは間違いです。

烏龍茶さんはご自分で、右翼は拒否されて当たり前だ、とか書いていたじゃないですか。だったら間違いは烏龍茶さんの方ですよ。

>> 一貫して拒否、されているのは、「なかったに決まっている」などという右の方々だけでしょう。

ほら、やっぱり、拒否しているじゃないですか。右翼って、人間の内にカウントされていないの?。あながち、冗談でもなさそうなところが、かなり怖い・・・。



ところで・・・

> 靖国のホームページをよくごらんください。呑天使さんへのレスでも書きましたが、侵略戦争という犯罪行為は「ぬれぎぬ」だそうです。


芥屋さんへの書き込みにこんな事書いてますが、烏龍茶さんは、ご自分の「考えていること」と、「事実」との区別がきちんと出来ていない、内と外の区別が付いていないところ、中国や韓国流の思考法にかなり影響を受けているように思いました。「戦争犯罪者」とされたのが濡れ衣、であって、「侵略戦争という濡れ衣」などと、少なくとも私は書いていないし、烏龍茶さんが次々と類推されて頭の中で作り上げた「事実」でしかないのです。

それをすっかり事実だと信じて疑わず、人にまで吹聴するあたり、こうして風説というのも広まるのだなあ、と思いました。まる。



私の書き込みについて、新しい論点がない、かのように仰いますが、むしろこうしたやりとりで更に明らかになっていくのは、烏龍茶さんの思考形態です。史料が問題にならないときには、思考そのものの質が浮き彫りにされるのですよ。事実と頭の中の想念の混同、書いてもいないことを「書いてあるも同じだ」と言い張る辺りからして、既に現れているように思いますね。