34639 | 返信 | 日中戦争の侵略性 | URL | 小林 哲夫 | 2005/04/26 10:58 | |
告天子さんは、私の考えが理解できていませんので、もう一度「日中戦争の侵略性」について書いてみます。 そのためにはまず「日中戦争の原因」を考えなければなりません。 当時満州を侵略されて怒った中国民衆の中に、反日感情が高まって、日本人居留民が安心して住めない状況になったことから考えるのが妥当と思います。 あちこちで日本人が被害を受ける事件が起きています。 しかしそれは一件ずつ解決されてきました。 しかしながら、反日感情に対応して、居留民および日本の世論の反中感情が納まらないほどに高まり、軍部もこれを受けて、何か抜本的な手を打たなければならない、という考えが多くなりました。 盧溝橋事件とそれに続く小競り合いは、それぞれ個別に解決されていました。 盧溝橋事件に対して、日本政府、軍参謀本部、現地軍の大部分は、不拡大方針を明言しました。 それにも関わらず戦争に発展したのは、現地軍の一部が中央の統制を無視して、暴走したからです。 この暴走を起こした原因は、石原謀略に見られるような当時の軍の統制のデタラメさであり、世論の無責任な後押しです。 統制を無視して暴走した現地軍が考えたのは、中国人の反日感情の抜本的解決のための「戦争」でした。 反日感情を抑えて日本人の被害を防ぐための抜本的解決が軍人にとっては「戦争」という方法だったということは、実に恐るべきことです。 今度の反日デモに対しても、日本の軍事力の問題と考える世論があることから、当時の軍人の考えが理解できることと思います。 短絡思考の軍人は、一度国民政府を叩きのめしておけば、もう二度と反抗はしないだろうと、中国人を甘く見たのが間違いの根本原因です。 現地日本人が被害を受けた事実を無視していいはずがありませんが、この被害をすぐに戦争に結びつける発想が許せません。 戦争で一体何が解決できると考えたのでしょうか? この発想が徹底的に間違いだったことを、あの戦争の反省として、自覚しておけば、今回のような時にも、日本の世論の暴走を防ぐために役に立ったに違いありません。 この時に中国共産党は日本を戦争に引きずり込むためにさまざまな策略を行なったと思います。 例えば中国の一般の人を唆して、日本人を襲撃するなどと言うこともやったと想像できます。 また蒋介石は彼から戦争を始める気持ちは無かったと思いますが、日本が攻撃してきたら受けて立つ準備は出来ていて、この意味で戦争を否定した者ではありません。 中国人の世論は、今とは比較にならない反日感情が渦巻いていて、日本人を中国から追い出すために、戦争すべきだと考えていたとも言えます。 これらのことを考え合わせれば、日本が一方的に戦争をしたのではありません。 もともと戦争は一方だけで出来ることではありませんから、中国側にも戦争の意志があったことは疑えません。 満州事変の時には一方的な攻撃で殆ど終わりましたから、一方的侵略ということはできますが、日中戦争は一方的と言えないとの見方も可能です。 このように考えれば戦争と言うものを、絶対悪、と絶対善の戦いと考えるのは明らかに間違いです。 戦争の歴史を勉強すれば、様々な戦争があったことが解ります。 一方が100%悪い戦争と、どちらが良いとも悪いとも言えない五分五分の戦争との両極端のどこかに位置付けられるのです。 それを判断するのが歴史認識の問題です。 歴史を勉強するのは極端に言えば、このことを知るためだと私は思います。 例えば蒙古来襲と秀吉の朝鮮征伐は100%侵略です。 数字に全く意味がありませんが、私の気持ちをあえて数字で表現すると、満州事変は95%日本が悪い、日中戦争は90%日本が悪い、というのが今まで勉強してきての私の歴史認識です。 日本のここが止むを得ない要素だったという指摘も必要ですが、全体としてどうだったか?という判断を抜きに、日本の弁解だけを強調するのは、歴史認識とはいえません。 私は人類全体にとっての世界史を作る、という観点で書いていますので、日本の国益だけしか念頭にない人には、この考えは通じないかもしれません。 |
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