| 34696 | 返信 | Re:日本は特殊な国 | URL | 水原文人 | 2005/04/28 05:47 | |
| 小林さん、横レスですが… > 怨霊(悪者の恨み)を鎮める神社(平将門など)などという日本の宗教観は、世界のどこかにあるでしょうか? 世界中どこのアニミズム文化にもありますよ。あと仏教圏にはどこでもあります。そんなに日本固有に珍しいものではありませんよ。 ただそのアニミズムがさしたる理論的な発展も見せずに残って来たのは驚異的ですが。ただし現代においては急速に消えかかってますけど。 > ネーション(国民国家)という概念は戦争が日常であった、ヨーロッパに生まれたものです。 ネーションというのは「民族」ないし「国民」です。国民国家はNation Stateの訳語ですよ。 > ネーションの概念は戦争と密接に結びついています。 …かどうかは知りませんが、他民族と接触することで自民族としての自覚やアイデンティティが必要になってくる、ということはあるでしょう。日本列島に日本人しかいなければ、「日本人」=「人間」と考える可能性は限りなく高くなりますから。 > 戦争に勝つ国になるために、ネーションにならなければならない、という発想が生まれたと私は考えます。 歴史的な経緯からしますと、国民国家の概念が確立したのはフランス革命です。革命の直後には民主制を恐れる周囲の君主国からの侵略が始まり、それに呼応してフランス各地から義勇軍が馳せ参じたりした(フランス国歌はその時のマルセイユ義勇軍の歌)ですから、戦争との関わりは確かに否定できませんね。 > 黒船ショックでネーションになった日本は、その途端にアジアへの侵略を始めたのは、これによって説明できます。 そりゃちょっと短絡すぎるのでは? 国民国家思想でまず重要になるのは、その民族の祖国を「守る」ことです。もちろん守ることもまた「戦争」ですから、それがいつ侵略へと暴走するのか、その中にいる当事者にはその一線を判断することは極めて難しい。 > ネーションを自覚するのは、経済発展と密接な関係があることも知られております。 それは初耳ですが。ことヨーロッパのように比較的狭い地域では、経済活動を担って来たのは中世までは異民族であるユダヤ人だったりしますし、19世紀の産業革命以降でもブルジョワジーのなかに重要な位置を占めて来ました。ちなみに経済発展のためにはむしろ短絡的な民族意識をあまり持たないこと、それに「平和」の方が有効です。他民族との商売なしには経済発展などあり得ないからです。 > つまり中国の現在の経済発展がネーションとしての自覚を呼び覚ましたものと思われます。 昔から漢民族の民族意識はかなり強いですし、愛国主義それ自体は中華人民共和国成立以前からありますよ。日本をはじめ列強の進出に対する自然なリアクションですが。 近年において愛国主義が全面に押し出されたのは、むしろ共産主義イデオロギーの崩壊が決定的な意味を持っているのではないでしょうか。共産主義と言う理想が無効になってしまった時、もっとも手っ取り早く国内を統合するのに便利なのは「愛国」であり、仮想敵があれば「祖国を守る」ことにリアリティが出て来るのですから、なおのこと結構ということでしょう。さらに経済の開放政策で漢民族が圧倒的マジョリティである地域ですら大都市では外国人、つまり異民族と接触する機会が増えますし、しかもその外国人が自分たちを搾取して金持ちになっているという構図が出来てしまえば、なおのこと愛国主義は個々人の感情を伴って発達するでしょう。 それに文化の国際化が急速にすすでいる時、現代の中国が文化的には(悪いけど)全般的に三流国に見えてしまうこともあるでしょう。 > そしてこのネーション意識は西洋発の概念ですから、戦争と結びつき、必ず排外感情を伴います。 そりゃ無茶です。民族意識は世界中どこにでもあり、そして常に排外主義の危険性を内包しているものです。東洋も西洋も関係ないでしょう。 > 明治以後の近代日本の間違いは、西洋製のネーションになろうとしたことにあります。 そりゃそうなんですが、不可抗力の部分はありますよ。 > 日本本来の伝統に基づいた、平和なネーションになろうとすればなれたのではないか?と考えます。 難しいでしょう。「日本本来の伝統」とは、「孤立した島国」という日本が長い間存在してきた条件とセットになっています。幕末の開国とは、その環境が壊されたことなのですから。 > それは日本の侵略されない環境、特殊な地勢によって可能になります。 開国した時にはすでに国際的な環境として不可能です。日本の開国と相前後してアジアの国のほとんどが植民地化されているわけですが、そのほとんどのケースにおいてヨーロッパ人は船で来て侵略しているわけですから、日本が例外的に恵まれた環境であったわけではありません。 > そして日本が本当に日本の特殊性、日本の伝統の平和主義を自覚すれば、世界平和のための「ネーション論」が展開できると考えるのですが如何でしょうか? あなたのおっしゃるようにその「日本の特殊性、日本の伝統の平和主義」が、侵略されにくいという地理的条件によって成り立っているのなら、その条件を持たない外国にそれを押し付けることは不可能です。 むしろ世界に対して提案できるのは、広島の第1回平和式典で読み上げられた「戦争の悲惨をもっとも激しく体験したものこそ、もっとも激しく平和を希求する」ということではないでしょうか? もっとも、今の世界ではほとんどあらゆる戦争が「平和のため」に闘われています。平和主義自体はそんなに珍しいものではありませんし、排外的な民族主義でしたら、日本は世界のほとんどの国に負けていません。たまたままだ国内の外国人の数が少ないか潜在化しているので、少数民族への激しい弾圧とか、その暴動とかの目に見える大きな問題にはまだなっていないだけでしょう。 |
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