34750 返信 それでもミスは許されない。 URL 八木沢 2005/04/30 10:32

 JR福知山線での事故について。いろいろな意見が出ているが、ダイヤ管理の厳しさが事故を招いたという類の見解が思いのほか多いことに驚いている。

>はい。荷物じゃないです。はっきり言って、50秒の遅れや100メートルのオーバーランを100回繰り返そうが、事故を起こして死者を出すよりは一万倍いや一億倍マシです。50秒の遅延に対して制裁を課したりしなくていいから、スピードオーバーに対して制裁を課すべきです。ところが、実際にはそうなっていないから問題なわけです。

 こういう意見が出てきた。論点をはっきりさせることを目的にあえて極論を述べられたのであろうことを承知で、マジメに反論させていただく。「50秒の遅れ」や「100メートルのオーバーラン」を100回も繰り返せば、もはや正常なダイヤの維持は不可能である。ここで「正常なダイヤ」というのは、たかが50秒程度電車の到着が遅れただけで一体何が問題なのだといったような単純な疑問を誘発したいのではない。例えば、朝に起こった人身事故による数十分の遅れがそのあと200本以上の遅延を招き、当該路線以外の路線にも影響を与え、完全復旧までに丸一日かかり、30万人近い乗客の予定を狂わせたという先日の尼崎駅での件も報道されているが、こういうことが毎日起こっても「事故を起こして死者を出すよりはまし」などと構えていられるほど現実はのんきなものではない。「50秒の遅れ」や「100メートルのオーバーラン」は確かにそれ自体は死者を出す事故より「一億倍まし」だが、そんな比較や「一億」などという数字には何の意味もない。ミスは、ミスである。小さなミスを「まあまあいいさ」と許せば、必ずそれは大きなミスにつながる。これが恐ろしいのである。ルールはちゃんと理由があるから存在しているのであり、全てを遵守しなければならない。ここまでのミスは大目に見るが、ここからはダメなどという境目は存在しない。

 先日、私の取引先で起こった「事件」。仕事の能率を上げるために基盤送り出しのスイッチにネジを挟みこんで常にスイッチが入った状態にする、ということが恒常的に行なわれていることが発覚した。実は、これは死者どころかケガ人すら発生することが想定しにくい一見単純な装置なのだが、事故というのはしばしば想定外のことが起こるのである。作業者の勝手な判断で装置に手を加え、その事実を報告もしないというのは言語道断だ。作業者は叱責された。これは、叱責されなくてはならないのだ。この若い作業者は、スイッチに細工をすることがそんなにいけないことだとは夢にも思っていなかったようなのである。そういう意味では、これはルール違反でありながら、「ミス」でもある。こういうグレーゾーンに属することが職場にはずいぶん多い。ミスやルール違反してもバレなければいい、という発想をいかにして駆逐するかが、マニュアルによる作業進行が進む職場での頭の痛い課題である。

 JR西日本の場合、ミスに対してはかなり厳しいペナルティを加えられていたようで、確かにそういうやり方に問題はある。緊張感を持たせることと萎縮させることはまるで違うし、「小さなミスが大事故につながる」ということをきちんと理解しなければ、ミスとペナルティのバランスの悪さばかりが目につき、じゃあミスは隠そうという発想に至るのは必然だからだ。そういう意味では、ミスに対してある程度の余裕を持った対応は必要だろう。しかし、それはミスに対して「優しく叱る」ということが求められるのであり、「ミスをしてもいい」という甘えとは全然違う。

 遺族の一人が「どうも社会全体にユルみがあるように思います」とおっしゃっていたが、同感だ。「社会全体が管理され些細なミスを許さなくなっている」という、今回の事件で頻出した見解とは一見正反対の意味を持つコメントのようだが、必ずしもそうではない。管理がいくら厳しくともその意義が理解できていなければ、管理に心理的に背を向けミスの持つ重大さに本心から向き合おうとしない風潮を生み出す。人間は、何も考えずに管理されているのが一番楽なのだ。叱られて、腹の内で舌を出していられるようなメンタリティの人間が適当に仕事を遂行できるのが実は管理の進んだマニュアル社会なのである。どんな職場にもプロ意識を持つ人が少なくなったといわれて久しいが、自己管理のできる人材を生み出してこなかったツケがそろそろ出始めているようだ。