34757 | 返信 | Re:教科書、靖国は国内問題か?あるいは教科書、靖国へのクレームは内政干渉か? | URL | 烏龍茶 | 2005/04/30 17:00 | |
告天子さん >> 上記のように、判明したとあなたが早合点しているだけです。条文解釈につき、文言のみを問題にする愚にお気づきください。 >侵略戦争であるからといって、その責任者が法に基づかずに「縛り首になる」など、法の名を騙った野蛮の跋扈でしかありません。〜 私の前回投稿で、法に基づく処罰である事は説明しました。空襲軍律に関するあなたの立論で、あなた自信もこれに同意していることになると思われます。 >>>> 東京裁判の根拠法には不戦条約を含むのですね。「侵略戦争」を一体何によって裁いたと思うのですか? >>>では、いかなる権限により、不戦条約にはない「罰則」を、連合国軍は作り出したのですか? >> あなたのいうポツダム宣言ですが?第10条を、あなた自信が揚げているではないですか。 >では、「東京裁判は関係ない」というあなたの話は全部違っていた、ということですね。 「犯罪である」とする根拠は「不戦条約」です。「処罰する規定」はポツダム宣言」が法的根拠になります。 犯罪であるか否か、という話に無関係な処罰(縛り首)を論理的根拠もなく絡めてきておいて、東京裁判に無理矢理リンクさせているのはあなたであります。 そうまでして議論に勝ったポーズがとりたいですか? >やはり私の言ったとおり、ということです。罰を与えた根拠はポツダム宣言であり、そのポツダム宣言にしても、どんな罪にどのような罰を下すのか、明示はされていません。つまり、「無法の裁き」だった、ということです。 罰を与えるのはポツダム宣言が法的根拠です。どのような行為を犯罪とするのかは、それぞれの国際法によるのですね。この2つをごちゃごちゃにして不法であるといっているだけなのがあなたの発言なのです。「無法である」というために、ずいぶん無理な屁理屈を考えたものであります。 >不戦条約を「根拠にした」のではなく、「言い訳にした」だけのこと、法に定められていない罰を下した裁判は、裁判の名に値せず、不戦条約の名を持ってきたとしても、どこにも書かれていない「縛り首」という結果を不戦条約から導くことが出来ない以上、それが「根拠である」とは言えません。縛り首の根拠は、「勝者の復讐心、怨念」であり、不戦条約ではありません。 1 「縛り首という刑罰の根拠」はポツダム宣言と東京裁判規定ですね。 2 どのような行為を犯罪であるとするか、は不戦条約をはじめとする国際法です。 この2つを区別できていないことが、あなたの考えが間違ってしまったことの原因であろうと思われます。 >>>> 1 東京裁判では被告は抗弁していますし弁護人もいました。弁護もなされています。 >>>東京裁判では、連合国にとって不利な証拠は裁判官により却下されました。 >> すべてが、ですか? >小堀桂一郎の東京裁判却下資料集という膨大なものがありますね。 「すべてがですか」という質問の答えになっていないのですが? >>>また、連合国側の偽証は、罪とされませんでした。 >> さて、誰がどのような偽証をしましたか。溥儀とか、ですか? >偽証が罪とされない、ということ自体が、裁判の実質を伴っていない、勝者のリンチである、ということの証明なのですよ。 「誰がどのような偽証をしたのですか?」という質問の答えになっていないのですが? >> パール判事は裁判当事国際法の専門家 で は あ り ま せ ん で し た 。 >> 右翼のホームページばかり見ていると、こういう間違いを犯すことになります。 >そうなんですか?。それは知りませんでした。それは具体的には、どういう事実を指して仰るのでしょう。 パール判事の裁判当時の専門分野はご存じなかったですか? >>>私などがするまでもなく、専門家がやっていますし、当時から日本のために証拠を残そうと尽力した人はいくらでもいました。烏龍茶さんのお話は、「日本有罪」の判決を正当な既成事実とした上での話であり、同じ日本人として残念に思います。 >> 事実はどうであったか、という点において、日本人であるかどうかなど、なんの関係もないのですね。これはあなたの信仰告白でしかありません。ついでにいえば日本人全体に対する冒涜です。で、具体的立証は出来ない、ということでよろしいですね? >事実がどうであったかが、日本人であるかどうかによって変わるとは申しておりませんよ。日本人が日本人裁きをし、日本人の靖国参拝を貶めることが残念だと思うことが、何故「信仰告白」になるのか、さっぱり分かりません。 私は日本人ですが、日本人を裁いているわけでもなく靖国を貶めているわけでもないですよ。 事実はどうであったのかについて述べることが「日本人を裁く」とし、 靖国は「ぬれぎぬだといっている」ということが靖国を貶めることであるというなら、 そういう考えこそが日本人を貶め靖国を貶めるものだと思います。 >また、日本人全体に対する冒涜、というのもこれまたどういう筋でそうなるのか、見当も付きません。日本を侵略国、犯罪国、として冒涜することに熱心なのはむしろ烏龍茶さんのように思いますが??。 「日本人が事実を述べたら日本人を裁いたことになる」などという考え方が、日本人をそのような「身内であれば悪いことをしたものであってもかばい嘘までついてでも外国に対して自分は悪くないという」ような、くだらない生き物とする考え方だからですね。 >具体的立証は私は出来ませんが、A級に関して言えば、日本の大陸での軍事行動は、中国の侵略を目的とした戦争でもないと思うので、一概に侵略戦争とも言えないと思うし、対米戦にしても日本の侵略戦争とは言えないでしょう。だから、「日本有罪」ははなはだ疑わしいと思いますね。 そう思うのはあなたの自由です。現実とはなんの関係もありませんが。 >> えーと、極東軍事裁判条例は手続き法でして、不戦条約などの実体法をどのように適用し裁判をどのように運営するかを定めたものです。その辺の区別を出来ないと、このように間違ったことを書くことになります。 >第十六条 刑罰 >本裁判所ハ有罪ノ認定ヲ為シタル場合ニ於テハ,被告人ニ対シ死刑又ハ其ノ他本裁判所ガ正当ト認ムル刑罰ヲ課スル権限ヲ有ス。 顔文字の意味がわからないのですが、ご自身の発言の誤りに対する恥ずかしいという表現でしょうか? あなたの示したこの規定は、この裁判所がどのような刑罰を科すことが出来るかという「 手 続 き 法 」の規定ではないですか。 >罰則規定のない実体法を、どうやって手続きするんでしょうか。上に示したように、極東軍事裁判条例第十六条では、 処罰規定がない実体法だからこそ、どのような手続きで処罰するかという手続き法が必要になるのではないですか。 >「勝手に処罰する権限があるのだ」と、自ら規定・宣言しておりますよ。 「勝手に」という字句を勝手に挿入するのは、資料の引用方法としては「捏造」と呼ばれることになりかねません。ご注意ください。 >どこが不戦条約の手続き法なのでしょう???????。 理解できないのは大変残念なことですね。あなたにとって。 >>> 罰則のない刑法など、あり得ませんし、罰則のない刑法に基づいて「縛り首にした」ならば、した方が無法者なのです。 >> ですから手続き法と実体法の区別をしてください。 >今しました。 出来ていませんでしたね。 >> 従うわけにはいかないとあなたが意固地に思いこむのはかってですが、それは客観性をもたないのですね。日本は、なんの根拠もなくただ脅されて、あるいは中国の行為が欲しいが故になんの根拠ももたないことを認めたわけではありませんよ。日本をあまりバカにしないことです。 > いや、日本を馬鹿にしているのは、謝り行脚をした旧社会党の村山元首相とかだと思うのですが。 論点のすり替えです。「日本がなんの根拠もなく侵略だと認めた」というあなたの発言が日本をバカにしているかどうかです。 >「謝った者が立派だ」みたいな風潮を作り上げた当時の言論人の責任は重大だと思いますね 誰がそんなことを言ったのでしょうか? >結局、その反動でサヨクは崩壊の危機にあるんじゃないかと思いますが。村山発言は無責任極まるもので、日本を馬鹿にしたものであることは、その後の社会党のを見れば分かるでしょう。 なんの根拠もなくこのような発言をするのは、あなたにとって自虐的ですらあることを自覚しましょう。 >>>まして、それを否定することが、「日本の主権を認めないのか」などという問いに発展するとは、言うに及ばざる戯れ言でしかないでしょう。総理の発言を認めることと、日本の主権とは何の関係もありません。 >> 総理は日本の主権を代表して共同声明に合意したのですね。全く何を言っているのですか。 > 日本は中国と違って、政治権力者の意見に反対したり批判したりするのは、至って自由です。政治権力者の意見に逆らったからといって、「主権を認めないのか、非国民ではないか」みたいな問われ方はしない国でしょう。 あなたの発言が「日本の主権を認めない発言である」とする自由も当然あるのですね。また、客観的に見てあなたの発言が間違いである、というのは言論の自由の侵害ではありません。 自由のはき違えを改めましょう。 >>>首相の公式参拝は、合憲であり、何ら問題とするところではありません。政治判断で止めていた時期もありましたが、それは「違法」を意味するものではなく、更にまた、中国や韓国にそれを命ずる権利はありません。まして、国際法違反でもないし、条約違反でもありません。 >> 誰が命じたのですか。日本自らの意志で発した共同声明に違反するのだ、というだけの話ではありませんか。 >共同声明には違反していないので、靖国参拝は何ら問題ありません。 「誰が命じたのですか」という質問の答えにならないのみならず、なんの根拠もなく「違反ではない」と繰り返すのは、議論ではなく信仰告白です。 >> それと、首相の公式参拝が合憲?なんでそんな話が出てくるんですか? >確定した違憲判決はないですよ。 「共同宣言違反であるか否か」という議論の中に、どうして「合憲である」という発言が出てくるのですか?という質問の答えになっていないのですが。 なんでもいいから「正しい」と言える根拠らしきものをかき集めているだけではありませんか? >調べてみましたが、別に恥ずかしくはありません。 わたしの前回投稿をごらんになれば、恥ずかしくなると思いますよ。 >恥ずかしいのは、無差別爆撃をした米人の方です。 論点とは無関係のようですが、南京や漢口を無差別爆撃した日本兵も恥ずかしい、ということでよろしいですね? >これは明らかに国際法違反であり〜 これ以下の部分は、前回投稿で示したとおり、あなたの論理的自殺になるかと思われます。 >五条で「平和に対する罪」というものを新設しております。その内容は、しかじかのことを意味するとして、もともとの不戦条約には記されていないことが「罪」として創造されたのです。 その根拠は不戦条約であることは、いうまでもありません。 >不戦条約は、「戦争の放棄を宣言する」というものであり、違反することが犯罪であるともしていないし、 禁止されていることに違反すれば、それは犯罪となるのではありませんか? >何が侵略戦争なのかについての規定も、勿論ありません。 自衛戦争でも懲罰戦争でもないもの、という国際社会の認識がありました。具体的かつ詳細な定義がなされていないのはおっしゃるとおりですが、個別的かつ具体的な調査に基づいて、戦争の最終決着がつく遙か以前に国際社会は満州事変を侵略戦争と認定しました。 >また、違反の主体が国家なのか、国家指導者なのかもこれまた不明です。 第一次大戦の戦後処理で、国家の行為の具体的責任は、国家機関の責任者という個々の人間がおうことがすでに示されています。各国もこれを承認しました。 >その点、空襲軍律が、国際法各条文に依拠して行った処罰とは、まるで性格が違います。解釈した、というより、東京裁判では、罪を「創造した」のです。 上記のように、「創造された」のは文言の話であって、罪そのものは不戦条約ほかによるのですね。 >不戦条約と「全く関係がない」とは言えませんが、現に不戦条約が実効性のない条約と化している以上、東京裁判のいかがわしさこそが「恥ずかしい」ことなのです。 不戦条約に、どのような評価が今日なされているか、と、有罪の判定に関係があるか否かはまったく別の話なのですね。 >>>> 3 そもそも国際法においては、国際刑事裁判所規定に至るまで【事後法を禁じる規定】>>>> はありません。事後法の不成立は国内法についてのみ有効であったにすぎません。 >>>しかし、国際法が「事後法を禁じない」など、初めて知りました。出来れば詳しく教えてください。 >> 国内法に比べて国際法は一般に発達段階がおくれており、特に戦争犯罪を規定する国際法は、戦争技術の進歩に全く追いつけていない、という現実がありました。 >国際法が事後法を禁止ししていないという説明にはなっていません。 この点は、五番街氏の説明が当を射ていると思います。 >> では、事前に規定が定められていないからということで、実際起こってしまった戦争の悲惨と人道の退廃につき、法という正義が沈黙してしまっていいのか、ということから、一般に戦争犯罪は戦争とその後の戦後処理により発展してきた、という経緯があるのですね。 > ??。正義が沈黙してよいのか、正義のためなら事後法だろうとノー・プロブレム、というような考え方は、最も「法という正義」になじまないものです。 そうですか?では「民族浄化という名のホロコースト」やら「核兵器の使用」やらは、裁かれなくともよいというわけですか? >捕虜虐待などの戦争犯罪については、事後に量刑が決まることになると思いますが、捕虜虐待が違法である、ということ自体は、先に国際法で規定されているわけです。そういう意味では、いわゆる戦争犯罪の戦後の量刑決定は、「事後法による処分」には当たりません。 この辺も、あなたの論理的自殺になるかと思われます。事前に「侵略戦争は違法」という規定がある以上、後に縛り首という量刑を決定することは問題なし、ということになりますからね。 > ・・・そもそも何故自分が考えていることが「正義である」と信じられるのか、不思議です。 私だけの考えではないからですね。 >> 右翼のみなさんは、日本が「事後法に基づき」第一次大戦の戦後処理で「勝者の裁判」に裁く側で参加しようとしていたことは無視して、また空襲軍律という事後法によってドゥーリットル隊の隊員を処刑していたことには黙りを決め込んで、ただ東京裁判を批判できればなんでもいいという程度の浅はかな認識でもって「事後法」を持ち出しますが、このようにそれは間違った議論なのですね。 >第一次大戦の際には、戦後の条約の決め方によって、日本が「勝者」側に付いた形ですが、これは「裁く側に回った」こととは全く違います。賠償条件をどう決めるかは、「事後法による、戦争犯罪処罰」とは異質な問題です。 1 賠償と処罰は異なります。 2 日本は戦後のドイツ皇帝カイザーを裁く裁判に判事を出すことになっていたんですが、知 りませんでした? >また、ドゥーリットル隊の件に関しては、空襲軍律自体は「事後法」ではありますが、犯罪の構成要件は国際法に事前に明記されているわけです。 そうですね。 >したがって、構成要件自体がそもそも成立していない罪状を、戦後になってから突き付けた東京裁判の場合、「罪刑法定主義」が無視されている点、空襲軍律とは性格が違いますね。 1 戦争を裁く国際裁判の場合、罪刑法定主義は妥当しません。あなた自信、上の方で罪刑法 定主義を否定しています(「量刑の決定は事後法でいい」は罪刑法定主義の否定です)。 2 構成要件自体が成立してないとは、なんの罪のことをいっているのでしょうね。 >>・・・黙りを決め込んで、ただ東京裁判を批判できればなんでもいいという程度の浅はかな認識でもって「事後法」を持ち出しますが、このようにそれは間違った議論なのですね。 >別に黙ってはおりませんが。 現に「事後法による日本自身の行為」につき、何らの批判もしていなかったではないですか。 >東京裁判を、日本を貶めるために利用するためにはどんな理屈でも持ってきてやる、というサヨクの狡猾な認識では、 あなたの脳内の「サヨク」とやらとのシャドーボクシングなら、あなたの脳内で完結させてください。 >>>>>また、参拝することは、参拝せぬことが共同声明に規定されていない以上、明確な内政干渉であり、 >>>> 失礼ながら【念仏の繰り返し】にすぎません。この部分はあなたの反論不能、という結論を出すしかありません。 >>>念仏なら繰り返してもありがたい限りです。空語でなければ、いくら繰り返してもそれは有意味です。 >> では言い替えましょうか。「空語」を繰り返しても意味はありません。 >空語ではありませんので、何と言い換えようが問題ありませんし、参拝取りやめの要請が内政干渉であることにも、何の変わりもありません。 というあなたの発言自身が意味のないループなのですね。「具体的行為がすべて記述されていないことの無意味さ」につき、説明したとおりです。 >> はいはい。それではあなたは「日本を射程に収めるミサイルを配備しているアメリカは、日米安保条約違反である」という屁理屈に納得するのですね? >ご自分で屁理屈だと思うのならば、言わなければいいのに・・・。 あなたの述べている理屈(「中国のミサイルは日本を射程に収めているのだから」)は、これと同じ屁理屈ですよ、ということなのですがね。 >アメリカが日本をミサイルで攻撃「したら」、安保条約違反になると思います。中国とはそういう条約はありませんから、ミサイルの存在自体が友好をうたった共同宣言への明示的違反です。 だって中国の場合は 「日本を射程に収めるミサイルを持っているだけ」で「友好条約違反」なんでしょう? 「日本を射程に収めるミサイルを持っているだけ」で「安全保障条約違反」になならないのはなんでですか? 「相手の安全を保証しなくていいい友好条約」など、形容矛盾でしかないですよ? >> 同上です。「アメリカのミサイルは日本を射程に入れている以上、あなたが反証できない限り、日本を標的にしていることになる」で納得するのですね? >アメリカのミサイルは日本をも射程に入れていますが、そして勿論日本を狙えるでしょうが、アメリカとの間には安保条約がありますから、ミサイルの存在が日米の友好を害することにはなりません。 では当然ながら、「中国との間には友好条約があるのだから、ミサイルの存在が有効を害することにならない」という結論になるはずですよね。 中国に対しては「ミサイルを持っているから条約違反である」とし、 アメリカに対しては「条約があるからミサイルを持っていてもよい」とする。 矛盾ですよ。 >>> 南京大虐殺否定派をも受け入れて、初めて公平さは保たれるのであり、都合のいい研究者を受け入れたからといって、それが「公平な共同研究をした」ことにならないのは明白です。 >> 否定派の述べていることは科学でなくて、「地球は実は平面である」と同程度の疑似科学でしかありません。科学的な研究から排除されてあたり前です。 >非科学的な人ほど、「自分のしていることは、科学である」と信じ込んでいるものです。科学的な研究なのかどうか、それ自体を疑うところに科学精神があるのであって、「反対派を排除して当たり前」というような心性は、実に中国らしいというか何と言うか、ここでも「言うこととすることは違う」ことが見えたように思います。 あなたがそう思うのは勝手なんですが。こういう具体的な話に「非科学的な人ほど」などという一般論が出てくるのは驚きですね。「科学的な研究であるかどうかを疑う」事と、「疑似科学を振り回すこと」は全く異なるのですが。 例えば「一次資料」を改竄して自説の補強に使う、などという真似を平然とするのが否定派ですが、こういう輩は科学的な研究から排除されてあたり前なのですが、こういう常識があなたにないのであれば、これ以上話しても無駄というものでしょう。 > 理由さえ付いてしまうなら、どんな差別でもやって平然としているようでは困ります。「民族浄化」とかいって、やっていることは民族の抹殺だ、というのと共通するものを見たように思います。「否定派は排除されて当たり前」には、正直、驚きました。否定派が暴力に訴えたり、否定派が研究を独占しようとするなら別ですが、排除しておいて「公平だ」と言えるとは、驚きです。 あなたが、南京大虐殺の否定派につき無知なのかとぼけているのか、私にはわかりかねます。それにしても、否定派の暴力につき、ご存じないとは驚きです。 > >>> 「有意な反論ではない」といえば議論終了、と考えることの間違いはわかっていただけましたか? >>いえ、有意な反論をしても、相手がそれを理解しないのであれば、議論終了にはならないのだなと悟りました。 >なるほど。この部分についてはとぼけることに決めたわけですね? >>>> A級戦犯「国際法違反の犯罪者であったか」に論点を絞って議論を続けたいのですが、これ、いかがでしょうか。 >>>烏龍茶さんの立論には、逐一反論を返すのみですから、どちらでも構いませんよ。 >> 反論のための反論なら願い下げなんですが。 >有意な反論のつもりでいますし、反論のための反論ではありません。 でも、「反論する」という行為がはじめから決定しているわけでしょう? > 黙っていると「黙りでごまかそうとしている」と言うし、反論すると「反論のための反論だ」と言うしで、一体どっちなんですか。 有効な反論であれば、いくら続けていただいてもかまわない、ただ信仰告白などであれば迷惑なだけです、というだけなんですが。 |
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